文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

タグ:立秋

立秋とは名ばかりの、うだるような猛暑だ。昨夜は冷房を付けっ放しで寝てしまったので、身体がだるくて節々が痛い。こんな時にはちゃんと汗をかかねばと、意を決して散歩に出たものの、焼けつくような日差しに根をあげた。

日曜日だというのに、人っ子一人いない昼下がり。ジージー、ミーンミーンと降り注ぐような蝉しぐれに反して、子どもの声ひとつ聞こえないのは、揃ってプールにでも行ってるんだろうか。

とりあえず街に出て買い物をしようとバス停に立つと、前の家の洗濯物が目に入った。家族が多いのか、幾つも下がった物干しハンガーの最も手前に、肌色の大きなブラジャーが下がっている。道路側なのに何て大胆な・・・と凝視したけれど、きっとビア樽みたいなお腹をした、陽気なおばあちゃんの下着なのだろうと笑いがこみ上げてきた。

鳥の影が横切ったので空を見上げると、クロスした沢山の電線。ケーブルが全て地中に埋まっている我が家の周りに比べると、昭和の時代にタイムスリップした風景である。

clouds

耳をすませば、どこか他の家からオリンピックの実況中継が聴こえてくる。お父さんが枝豆とビールをお供に、競泳の応援をしているのかな。「金メダル〜!」と絶叫するアナウンサーの熱狂度に、なんだか東京オリンピックがあった昭和39年が懐かしくなり、私も家に引き返すことにした。

「秋立つや 身はならはしの 余所(よそ)の窓」 一茶

小さな家々が軒を連ねた川沿いの道。蚊取り線香の匂い。
ゆっくりと首を振る扇風機を従えて、バレーボール女子の応援をしていた祖父がどこかの窓にいるようで、ちょっと切ない帰り道である。

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立秋を過ぎて急に涼しくなった。久しぶりにホットコーヒーを入れてゆったりとした午後を過ごしている。外を眺めれば盛夏の象徴みたいな夾竹桃も花が僅かになり、夏休みの終わりを迎える小学生の頃を思い出す。二学期に提出する宿題はないけれど、解決のつかない人生の宿題はどうしたものか。数々の分岐点での選択に、こんな生き方で良かったのかとちょっとナーバスな気分だ。

20140809

「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)

台風が近づいているせいかお盆休みなのに子どもの声が聞こえず、セミの鳴き声を除いては静かな土曜日。秋の歳時記をめくりながらお気に入りの句を探している。物書きの自虐さ、自分を切ない想いに追い込むのが大好きな性分にとって、秋の歳時記は物侘しい言葉の宝庫である。

「今朝秋や見入る鏡に親の顔」(村上鬼城)

今朝秋、今朝の秋とは立秋の日の朝をいう。さらに一歩踏み込んでの今朝秋は、真夏の夜の夢から醒めて我に返った朝みたいなイメージを持つ。人が歳を重ねるのは誕生日ではなく、若さがひとつ終わったと感じる初秋の一日ではないだろうか。季節は更け、人間は老ける。自然界に生きている当たり前の現象がやっぱり物侘しい。


「頼まれしことに励みて新涼に」(星野立子)

「涼し」が夏の季語なのに対し「新涼」は秋の季語で、初めて涼しとも言う。何もやる気が起きない猛暑が遠ざかると、頼まれごとに手を出す余裕が生まれてくる。昨日の打ち合わせで「困った」「どうしましょう」を連発していた相手を救うべきかどうか。儲けにはならないけれど、まだ自分が人の役に立つことを確かめるべく、一肌脱いでみましょうか。でもその前に・・。

「立秋の夜気好もしく出かけけり」(高浜年尾)

17時を告げるチャイムは「さあ、飲みに行こう!」の音。久々に感じる空腹にソワソワしつつ、今夜は焼酎のお湯割りにしようと決めた。人恋しさが際立ち、ほっとするぬくもりが欲しくなるのも立秋。ピーヒョロロロロと鳴く哀愁のこもったトビの声が夕空に響いている。
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