文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

タグ:故郷

体調不良でしばらくブログを休んでいた。糖質オフダイエットは始めて間もないのでその影響ではなく、むしろ気象が及ぼした体調不良だと思う。

31日の朝から胃がキリキリと痛んで、原因の分からない不快感が続いた。その日の予定をキャンセルして家にいると、午後6時33分に千葉県北西部M4.5の地震。足元に揺れを感じたのは久しぶりで、これが原因かなと思った。

ところが胃の痛みと身体のだるさは増す一方で、「このままじゃ危ない。早く何とかしなきゃ」と居ても立ってもいられない焦燥感が続く。地震恐怖症か、さもなければ鬱病になったのかと思っていたら、今朝になって体調不良がスーッと消えた。体感で地震予知をする人たちが、発振直前になって「抜けた」というのと似ている気がする。

感知していたのは今日の午前中に、四国に上陸した台風12号。お昼のニュースを見ていたら、愛媛県西条市では道路の一部が崩れるなどして、4つの地区で112世帯200人が孤立しているらしい。なんと私の生まれ故郷が被害に遭っている。さらには隣の徳島県でも行方不明者が出ているそうだが、ここも父の転勤に伴って暮らしたことがあり、童謡『またあそぼ』のモチーフになった思い出の地だ。

幼稚園のときに関東へ引っ越して来たので、故郷はうろ覚えの景色しか脳裏に残っていないけれど、DNAに刻まれた動物的な勘が、懐かしの地の危険を察知したのかもしれない。

こんな時に浮かんでくるのは、室生犀星の抒情詩。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや」

祖父母は亡くなり、知る人がほとんど居なくなってしまった故郷には、今さら帰る場所はない。それでも大雨に途方に暮れる老人が「水が床上まで来よったけんのう」と話すのを聴くと、懐かしい方言がまるで親戚のように思える。

どうか故郷の景色は、山も海も町も田畑も思い出のままでいてくれますように。変わり果てた姿で映し出されることがありませんように。今は台風がこれ以上被害をもたらさずに、早く通り過ぎてくれるのを祈るのみである。
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神経を張り詰めるトラブルと戦ったあと、溜息をつきながら車のエンジンキーを回した。
ラジオからは聞きなれたパーソナリティの声。
点灯したカーナビの行き先から自宅を選んで、ギアをドライブに入れる。

いつものように第3京浜から横浜新道へと走っていくうちに、どこかへ寄り道したい気分になる。ベイサイドマリーナに行ってみようか、いっそ箱根の温泉まで足をのばしてみようかと、ハンドルを握る手が誘惑する。

仕事場から家に戻る前にワンクッション。どこかへ寄りたくなるのは私だけではないだろう。
例えばマンデリンの美味しい珈琲屋であったり、負けを取り戻したいパチンコ屋であったり、昨日の続きが読める駅ナカの書店であったり、常連が集うカラオケスナックであったり・・、人それぞれ立ち寄りたい場所があるはずだ。
ホッと一息ついて、溜まった気を逃したい。

ウインカーを右に出せば自宅なのだけれど、あえて今日は直進。
逗子マリーナの端にある公園に車を停めた。日没を待っていてくれた相模湾に、両手を広げて挨拶と深呼吸をする。母なる海を抱きしめる。

逗子マリーナから相模湾


今日は厳しかったよ。でもここまで帰って来たよ。
私を癒してくれる景色と一緒に無言の10分を過ごす。いつでもここにいてくれる大親友。
自宅に戻って鍵を開けたら、家の中には暗い気持ちを持ち込まないようにしよう。

生まれた場所でなくてもきっとみんな、ごく近い場所に心の故郷を持っている。
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好きな花はなに?と聞かれると、春なら「菜の花」、秋なら「コスモス」と答える。季節の訪れを感じる花が好きだ。

私は恵比寿ガーデンプレイスに住んでいるのだが、去年の春にはサプライズがあった。ある朝起きたら、ガーデンプレイスのセンター広場に異変が起きていて、いきなり菜の花畑が出現していたのだ。いつもならLIVEステージと客席ベンチのある広場に、大きな花壇が広がっているには、子供のように喜んだ。

菜の花1菜の花2


物心がついた頃、私は愛媛県の西条市に住んでいた。
家の前には大きな菜の花畑があって、その向こうには公民館があり、白い日傘をさした母が泳ぐように黄色の海を渡っていった妖艶な景色が目に焼きついている。

今の職業につく前、物書きをしていた頃に、5年間ぐらい加山雄三さんの全国ツアーの構成をしていた時期がある。どこのホールを回ろうかという打ち合わせの席で、「四国も入れてくれませんか?」とわがままを言い、松山での公演が決まった。

うだるような暑さの夏の日、公演があったあくる日に、予讃本線に乗って昔探しの小さな旅を試みた。
3歳の記憶は何故か残っていて、昔住んだ家を探し当てたものの、その家は垣根だけが残り、門柱には表札の跡。夏なので菜の花畑はないけれど、それがあったはずの場所には小さな家々が軒先を並べていた。
大きな川だと記憶していた川は、ただの小さな用水路。保育園まで通った大きな道は、車もすれ違えないような狭い道。

呆然として駅まで戻り、暇な雑貨屋さんに入ってジュースを買い、店番をしていたおばあさんに、私の苗字の記憶があるかどうか聞いてみた。「そんなお家、あったかしらねえ?」と首をかしげるおばあさんに笑顔を返して、駅のホームでなかなか来ない鈍行の列車を待った。

そして今、私の部屋には菜の花が飾られている。いつも花を欠かしたことはないけれど、菜の花をフラワーショップで見つけた時は、心が躍った。
黄色と緑の色彩に目を休めながら、心は子供時代を旅して、今年の春もまたガーデンプレイスに菜の花畑が出現してくれることを期待している。


菜の花3
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