文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

タグ:作詞

雨上がりの空気がぬるんだ日曜日。なまった身体をほぐしにウォーキングに出かけたいが、締め切りに四苦八苦する状況から抜け出せない。明日は仲間内のミニ・パーティーがあるので、徹夜明けのゲッソリした顔を晒さないよう、早めに片付けたいところだ。

そしてもう一つ、何としても時間を取りたいのが3月26日のコンサート。横浜市磯子区民センター(杉田劇場)で行われる、杉劇リコーダーずの定期演奏会だ。彼らは6歳〜85歳まで、46名のメンバーからなる異世代リコーダー・アンサンブルで、地元のみならず日本全国へ演奏活動に出かけ、東日本大震災の復興支援活動も行っている。

私の作詞した「赤いやねの家」を定番にしてくれているご縁で、昨年末に新作を一つ書き下ろした。長年コンビを組んでいる上柴はじめさんのメロディーに詞をつけた「あなたの笑顔」という曲である。

デモを聞いて印象的だったサビの部分にまずは、♪ 笑って! なんだか曇った顔してる 今日よりも 明日はうんといい日だよ ♪ の歌詞をはめ込み、後から全体を構成する作り方にしてみた。何もないところから詞を書くより、この方式が私には百倍も簡単なので、1時間かからずに完成したと思う。

コンサートに向けて歌劇団まで編成したと聞き、どんな演奏がステージに繰り広げられるかが楽しみだ。あくまでも演奏者が主役で、作者は裏方仕事。これまで人前に出たことは殆どなかったが、照れくさいことに今回は壇上でトークコーナーが用意されているらしい。これこそ徹夜明けでは行けないな。

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暑さ寒さも彼岸まで。ニュースによれば、ソメイヨシノが例年より4日早く開花した。1週間後に聴ける「あなたの笑顔」が、ますます沢山の春を運んでくれるように願っている。
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音楽関係のコーディネートをしている友人から、弾んだ声で電話があった。今年1月に作詞してCD配布したJF全国漁青連の団歌「いざ大海原へ」が、全国2万人の会員の各代表が集う場で発表されたという。九段会館での前夜祭では作曲者が弾き語りをし、あくる日の総会では全員で唱和。日に焼けた海の男たちの歌声がホールに響き渡ったのを想像するだけでも、パワーを貰えた気分である。

歌詞の出だしは『♪もやいを解けば 日の出は近い♪』なのだが、どうして漁師のことを詳しく知っているのだろうと驚かれたらしい。父が道楽で買った釣り船に子どもの頃から乗せられていたこと、友人たちのヨットでクルーをしているうちに専門用語を覚えたこと、今では逗子の小坪漁港で漁師さんたちとお酒を酌み交わす付き合いをしていること・・、いろんな要因が混じって海のボキャブラリーが身についたのだと思う。

振り返れば、作詞を始めた若い当初は人生経験が乏しかった。原稿用紙を埋めるのは、今付き合っているボーイフレンドとの出来事であったり、小説や映画から探してきたワンシーンであったり、ネタ探しに七転八倒したものだ。

詞にメロディが付き(もしくはメロディに詞が付き)、一発で通ることはまず少ない。ディレクターや歌手本人からの注文が返ってきて修正作業に入る。彼らが年上であればあるほど、自分の薄っぺらい人生観を見透かされた気がして、置き換える言葉探しに悩むのである。哲学書や宗教書を読み漁り、「愛とは何か」「生きるとは何か」の知恵を貰ったところで、絵空事の詞に実感が伴わないギャップに苦しんだ。

当時に比べたら、参考書がなくともスラスラと言葉が湧いてくる自分に驚いている。生きた言葉を得た背景には、毎晩泣き過ぎて瞼を腫らした辛い経験や、こんなに幸せでいいの?というほどの大恋愛もある。涙も笑顔も、これまで出会った沢山の沢山の人たちから貰った置き土産なのだろう。

歳を重ねるほど若さを失うけれど、心の年輪は増えていく。ティーンエイジの初恋も、未亡人の哀しみも、孫と手をつなぐおじいちゃんの愛も、何だって書けそうな自信。紆余曲折の人生でやっと手に入れた天職は、これからが本番スタートである。
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昨日の記事(6月10日「作詞家になるには・その1」)の続き。

高校生でヤマハと著作権契約を交わし、作編曲も学んだというのに、プロになるまでは相当なブランクがあった。
広尾のS女子大に推薦で入って在学中に婚約。卒業と同時に結婚して数年で離婚。その間は女として生きることに一生懸命で、音楽で食べていく夢はどこかに置き忘れていた。

しかし再独身になって就職するには、自信の持てるものが何もない。
とりあえず何か習いに行こうと見つけたのが、青山にある作詞作曲を教えるスクール。作詞の3年間コースを選んだ。
でも場所と時間に問題が・・(^_^;) 受付に課題作品を出しておくのみで、週1回夜間の授業はいつも六本木のディスコ、お立ち台に皆勤賞だった。

3年目で研究科へ進むに当たっての講師面接。出席率は低いが作品は優秀とされ、山川啓介氏(「太陽がくれた季節」や「時間よ止まれ」の作詞者)のクラスへ入ることになった。
しかも数ヶ月後には、森山良子さんのラジオ番組の構成をやってみないかと、初仕事まで頂いたのだ。

TOKYO FMで流れる音楽ラジオドラマ。
男女が交互に台詞を語りながら間に音楽を挟むという30分番組で、放送局に入るのも初めての私には、初めてのスタジオ、初めてのレコード室、初めての台本読み・・何もかもが震える思いである。
研究科のクラスからは3人が抜擢されてのコンペティションだったが、私の作品が勝ち取ることが多かった。

当時のギャランティーは確か台本1本につき2万円だったような。生まれて初めて文章で稼いだお金は、銀座の伊東屋に行って、薄い黄色の枠が入った原稿用紙を束で買ったのを覚えている。

だんだん放送台本書きに慣れてきた頃、ディレクターから別番組の構成を依頼され、アーティストのプロデューサーからはコンサートの構成を依頼され、そして念願だった作詞も手がけるようになった。作詞に慣れたらミュージカルも書く。

高校生のときは別として、一番最初の作品は何だったか忘れてしまったけれど(たぶん外国曲に日本語の歌詞を付けたかも・・)、録音スタジオで歌手が初めて口ずさむのを聴いた瞬間は、天にも上る喜びだった。

というわけで私の場合は、大した苦労はなくラッキーな出発だったと言える。
しかし運も実力のうち。いつ巡ってくるかもしれないチャンスに対応できる力は、育てて磨いておいて損はない。
たとえ何十年後に遅れてきたチャンスでも、天職は生きている限り続けていくものなのだから。
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プロフィールに載せているように、プログラミングも含めて私はいろんなジャンルの文章を書いている。しかし物書きとしてのスタート地点は作詞からだった。

業界に憧れる方々から「作詞家になるにはどうすればいいですか?」と聞かれる。
曲先(メロディへ詞をはめ込む)等のテクニックは持っていると仮定して、どこで才能を認めてもらえるか。
手っ取り早いのはオリジナル曲のデモテープを作って、音楽プロダクション等のオーディションに応募することだろう。
もちろん作曲・演奏・歌も必要となってくるが、自作自演J-POPSの時代に、作詞だけで売り込むのは難しい。

私の場合は高校生の時、無謀な売り込みをしたのがきっかけだ。
親に買ってもらったフォークギターを練習しているうちに、自分でも作ろうと数曲書き溜めた。それをラジカセでカセットテープに録音して、ヤマハ音楽振興会に送りつけたのである。

拙さ丸出しの楽曲。山と積まれたデモテープに埋もれて消えるはず・・が、意外な返事が来た。
「作曲についてはもっと勉強する必要があるが、詞は才能がある。優秀作品としてヤマハのポプコン歌詞集に載せたいので著作権契約をしたい」という内容だった。
一斉を風靡したヤマハのポピュラーソングコンテストは、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥など多数の有名アーティストを輩出した新人の登竜門。詞を書くのが苦手な人のため、ヤマハが発行する作詞集に載せてもらったのである。しかも2曲だ。

当時の目標は、目指せポプコン出場。
作曲の勉強も始めるため、新宿にあったヤマハの作編曲教室に通い始めた。
しかし手渡された教則本は、渡辺貞夫の「ジャズ スタディ」。5〜6人いた生徒達は全員アレンジャー志望で、まるで大学生の中に小学生が紛れ込んだ環境だ。「高校生です」と言える雰囲気ではなく大学生と偽って参加したため、当然飲み会にも付き合わされた。

週1回の授業の後、渡される宿題は・・・(絶句)。
ポップスオーケストラの楽曲を聴いて音を拾い、スコアを作って来なさいだって!?
私に出来るわけないでしょ! そもそも作曲を習いに来たのにぃ・・と嘆きながら「♪ザバザバザバザバ♪」と、怪しい和音を五線譜に書き込んだものだ。

本当の大学生になってからは辞めてしまったけれど(と言うより作編曲教室自体が無くなった)、今思えばあの勉強、曲先の作業には大いに役立っている。楽器がなくても全体のトーンは解るし、譜面さえ持ち運べば何処でもいつでも詞をはめ込めるからだ。

そしてついにプロとしてのデビューは・・・。
前置きが長くなりすぎたので次回に持ち越します。♪ザバザバザバザバ♪
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