文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: 猫・ペット

ジリジリと太陽が照り付け、今日は30℃近くまで気温が上がるらしい。もう夏かな。ゴールデンウィークに楽したツケがきた私は、〆切が重なって、また徹夜の日々が続いている。

身体が鈍らないように、最近始めたのが階段の上り下りだ。短時間で心肺機能を強化し、エアロバイク並みの運動量があるという。

今年105歳になる日野原重明先生いわく、
「私は、建物の中や駅のエスカレーターを用いず、階段を急ぎ足で上がっている。一段一段を吐いて、吐いて、吐いてと3連続で吐息して、あと一息吸気し、それを繰り返して階段を上がっている」。

足腰の大きな筋肉の衰えを防ぐと、基礎代謝が活性化され、脂肪のつきにくい体になると聞いて、外出時にはわざわざ階段を探すようになった。

うちの近所でもっぱらのお気に入りは、滅多に人が通らない新緑の階段。桜もツツジも終わったけれど、行くと必ず出会う友だちができた。一歳ぐらいの地域猫である。

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人差し指を鼻先に持っていくと、猫の習性でクンクン。「かわいいね、いい子だね」という呼び掛けには目を細め、いつまでも頭を撫でさせてくれる。

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長い階段を数回上り下りして、不思議そうに眺めている猫に、また明日ね!のバイバイ。ちょこんと佇んで見送ってくれるのが可愛くて、運動がてら会いに行くのが日課になった。

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うちに戻れば仕事の合間に、メゾネットの階段でも昇降トレーニング。面白そうに走って追いかけてくる与六も、一緒にスリムになって欲しいな。今年8歳になったけれど、足腰を鍛えて長寿猫になってくれるよう願っている。

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テレビからフェイスブックから、桜の便りが賑やかだ。我が家の周りは出遅れ気味で、満開になるのは来週末かもしれない。

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賑やかと言えば外をうろつく猫たちの声も、恋の季節を迎えて騒がしい。見目美しい白猫を見つけたので、与六を抱いて対面させに行った。久しぶりのアウトドアにそわそわしながら、すぐに目の焦点は一点に固まっている。

「フミ〜、ニャニャ♪」と、鈴を鳴らすような可愛い声で話しかける与六。
フリーズして沈黙を通す白猫。
やがて彼女は「フ〜」と唸ったあと、「ウウ〜、バリバリバリ(`Δ´)!!!」とドスのきいた低音で反撃して走り去った。
「この去勢メタボおやじが! あたしに声かけるなんで百年早いわよ!帰んな(`へ´*)ノ」とでも言ったのだろうか。

しょんぼりした与六を連れ帰り、今日だけは特別におやつを与えた。フラれたことなど即座に忘れ、恋より食欲が勝っているのは元気な証拠だ。

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都内での会議に出向くため、急いで着替えて外に出ると、あれれ。
柱の陰からさっきの白猫がこちらをチラチラ伺っている。恋の季節なんだなあ。
与六をもう一度連れ出そうか迷ったれど、キャットタワーのてっぺんで食後の昼寝中だ。

この2匹にぴったりな名言。
男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである By  ニーチェ

男は、あまりにもたやすく手にはいるようなものは欲しがらないでしょう。と、いっても、あまり待たせすぎても興味を失ってしまうものです By テネシー・ウィリアムス

ニャンコも人間も恋の季節。全国津々浦々、週末のお花見はどれだけたくさんの恋が生まれることだろう。


追記:
アップした桜は一昨日の朝に撮ったもの。
今日は一気に満開になっていました。
去年よりずっときれい。
愛おしい花ですね。

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2月は28日しかないのに、もう月の半ばだ。焦りを感じる月曜日、会議で新宿まで出掛けるため、仕事道具を詰めた鞄を持ったら「イタタタッ‼」。二の腕に激痛が走った。

原因は分かっている。毎晩必ず腕枕をせがんでくる与六のせいで、サタデーナイト症候群になってしまったのだ。

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発症したのはお正月で、指先までの痺れは腱鞘炎かと思っていた。でもこれには橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)という病名があるそうで、新妻を腕枕する夫に起きる症状として、ハネムーン症候群とも呼ばれているらしい。

1ヶ月くらい治らないのはザラで、長期化すると腕がピクリとも動かなくなる場合も。先日、病院関係者の友人から聞いたことには、ペットかわいさのあまり、サタデーナイト症候群にかかる飼い主が増えているのだそうだ。「腕枕は危険だから、絶対にダメよ」と忠告され、二の腕にロキソニンテープを貼って痛みを和らげている。

それなのに毎晩、与六のおねだりは止まらない。私の肩をポンポン叩き、無視していると耳に鼻息を吹きかけてくる。これはもう猫じゃなくて人間だ。

パソコンに向かえばマウスを動かす手が重く、病院に行くべきか悩む。でもねぇ、問診票に原因を書くのが恥ずかしく、夜を共にする伴侶もいないのかと想像されるのは惨めだ。

愛とは耐えることなんだと心に言い聞かせながら、ニャンコの色っぽいお誘いに、タヌキ寝入りで対抗する日々である。


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与六が垣間見せる最高の瞬間を「今だ、撮りたい!」と思うときがある。スマホのカメラを向けて焦点や構図を考えていると・・・、あれっ、目を背けた。「こっち見て〜」と呼べば尚さらのこと、そっぽを向いて我が道を行くのが猫なのだ。

6歳にもなれば猫じゃらし程度じゃ振り向かない。どうしても目線をもらいたい時はフードで釣ってみるが、大好物の「ちゅーる」なんぞ見せた分には、「ちょうだいニャン」と身体を擦りつけておねだり。もしくはお腹を広げて降参のポーズを取るなど、飼い主の思惑には乗ってくれないのである。やはり猫は犬のように忠実ではないのか。

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ところが先日見た映画で、演技のできる猫がいることを知った。『先生と迷い猫』に登場する三毛猫で、本名はドロップ。ドラマ「あまちゃん」やバラエティ番組「ブラタモリ」にも出演した女優猫だそうで、動物プロダクションに所属している。人見知りすることがなく、環境が変わっても平気。カメラを向けられても動ぜず、誰の膝の上に抱かれていても、大人しくじっとしているそうなのだ。

演技する猫を育てたトレーナー曰く、猫には根を詰めさせない。その気にならないのを無理強いせず、その子のいいところを伸ばしていくのがトレーニングの秘策だという。

与六のいいところ、何だろう。優しいところかな。
  • 爪切りやブラッシングを嫌がらずに、されるがまま。

  • 頭を撫でると歯を見せてニヤッと笑う。

  • どんな野良猫にもフレンドリー(自分からミーッと猫撫で声をかける)。

  • 人見知りせず、お客様が大好き。宅配便のお兄さんも好き。

  • ゴキブリや蜘蛛に遭遇したら、飼い主より先に逃げる。

  • 飼い主が病気のときにはずっとベッドで寄り添ってくれる。

こんなふうに考えれば、与六はタレントにはなれなくても、いい相棒にはなれる。今も私の足元で「そろそろ夕飯の時間ニャ〜」と、時計の針がわりに尻尾をパタパタ。いつも私のことばかり気にかけてくれる君のためにも、健康で長生きしなくちゃね。
「さあ今夜はサンマを焼こうか」。呟いた一言に与六がくるりと振り向いて、熱い視線をくれた。
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うちの与六は生後2カ月のときにブリーダーさんから購入した、猫種としては比較的新しいマンチカンという種類の雄猫である。何十万円もする短足マンチカンではなくて足長タイプだけれど、骨太な体つき、真ん丸な頭、くるみ型の目、腰を振りながら直線上を歩くモンローウォークなどは血統書通りで、足のレングスも短めかなと贔屓目に思っている。

与六はペットとして飼われるために代々繁殖して生まれてきた子。この6年間ベランダ以外は表に出したことがないのに、野生だったルーツを感じるときがある。
  • 飼い主の急激な動作には危険を察して飛びのき、決して油断しない。

  • トイレで用を足した後は、モノと匂いを隠すために執拗に砂をかける。

  • 見張っている窓から小鳥を見つけると、捕りに行けない悔しさで「カカカ」と鳴く。

  • 窓から野良猫に出くわしたときは、鈴のような声で「ニャ」と呼びかけるか、「ウンギャーゴロゴロ!」と敵意を剥き出して脅す。

  • 暑くてもじっくりと被毛に太陽光を浴びて、ビタミンDを生成する。

  • 飼い主から貰う食べ物は嗅いで嗅いで嗅いで・・・、フレッシュでなければ絶対に食べない。

書き出せばもっとあるけれど、昨夜気付いた与六の野生。インテリアの色に合わせて自らが保護色になっているのだ。いや、被毛の色にマッチした場所を選んで寝ていると言った方がいいかも。

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革のソファーを保護するために掛けたのは、同じ茶系のハワイアン柄タオル。それは与六の被毛カラーと見事に溶け込んで、擬態としか思えない自然のミラクルを感じる。うっかり上に座ってフンギャ!と叫ばれるところだった。

親馬鹿のあまり与六の話を長々と綴ってしまったが、今回言いたかったことは他にある。水族館イルカ問題だ。日本動物園水族館協会(JAZA)が国際社会からの批判を受けて、追い込み漁によるイルカ調達を禁止したことで、加盟水族館では「繁殖がうまくいかず、飼育頭数が減るのでは」と不安をつのらせているという。

このニュースを聞いて考えたこと。イルカはワシントン条約の規制対象には入っていないけれど、なぜ野生のイルカの恐怖心をあおる方法で捕獲して水族館が購入し、芸を仕込まなくてはならないかだ。もう野生に戻れない個体を飼育するのなら分かる。いつか絶滅危惧種となったときのために繁殖方法を研究する必要もあるだろう。しかしペット化させてショーを開き、お客さんを喜ばせるのは、単なる人間のエゴじゃないかと思うのだ。

なら動物園は?と「そもそも論」になるので掘り下げないが、野生と飼育との境界線は難しい。アライグマだって、野生→ペット→害獣→特定外来生物の道を辿ったのは誰のせいだろう。

文明を切り拓くためにいったん自然に手をつけたからには、その将来に最後まで責任を取るのが人間の務め。さもなければ地球の創造主から見て、ワーストワンの害獣は人間になってしまうと思うのである。
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