文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: 自己紹介

明けましておめでとうございます。
「文章で稼ぐ贅沢」は今年で10年目となりました。物書きの忘備録として好き勝手に綴ってきたブログですが、応援してくださる読者の皆さまのおかげで、こうして新年のご挨拶が書けるのだと幸せに思っています。

激白から始まった昨年の元旦に比べ、今年の心模様は「のほほん」「うららか」「ほんわり」。
何かが好転したというわけでもないのですが、春の日溜りのなかにいる気分です。
きっといいことがある!と信じていれば、本当にいいことが起きる。
そんな予感とともにスタートを切りました。

もうひとつのブログ「歳を隠すのをやめました」とともに、肩の力を抜いて継続していきますので、本年もお付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。


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実は今月から試験的に新しいブログを始めています。Hatena Blogに間借りして、タイトルは「歳を隠すのをやめました」。そのものズバリです(笑)

blog

断捨離して、本当に良い品だけを持つというミニマルなライフスタイルがテーマですが、ファッション、美容、料理など、長年にわたって試行錯誤しながら、確信を得たものだけをアップしています。もう歳だから・・・と、女の一線から退いている方に参考にしてほしくて、勇気を出してみました。

5月13日に公開して2週間目、もう4500アクセスを超えたのにはビックリ。宣伝していないのに訪問者はどこで見つけたのか、ユニークユーザー、リピーターの数が日ごとに増えています。共感して下さる方がいることは毎日の励みになります。

ということで、いつかバレる前に自己申告。ネタは尽きず、いくらでも書けちゃうので、当分は小まめにアップしていく予定です。

歳を隠すのをやめました
http://www.connoisseur12.com
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アンチエイジングは一生のテーマ。一昨日NHKで放送された番組「これが体の新常識 若さと美のヒミツ」を見て、新たな課題が増えた。それは血管力を維持することである。

美肌のポイントは身体をくまなく走っている「毛細血管」にあり、皮膚の繊維芽細胞に栄養を運んでコラーゲンを生成する。しかし年齢と共にゴースト化して、毛細血管を守る壁細胞が剥がれ落ちることにより、70代では4割が消滅してしまうらしい。その結果は肌が陥没してシワとなり、いくら高級化粧品を擦り込んでも、コラーゲンは上皮から吸収されるものではない。

壁細胞を毛細血管にくっ付けておくには、天然の接着剤が必要。その成分に類似した食材として、沖縄でゴーヤチャンプルに振りかける「ピーヤシ」がある・・・と、これを聞いた瞬間にGoogle検索をかけてみた。別名ヒハツ、Long Pepperというスパイスで、S&Bからもパウダーとして販売されている。

さっそくamazonにアクセスしたところ既に売り切れだったので、石垣島の特産品を売っているページで「ビバーチ」なるものを注文した。5〜6日で届くはずが大誤算。発送元からのメールには「ご注文いただきました商品は、テレビ放映の影響で 只今注文が大変殺到しております。製造が追いつかない状況となっており 出荷までに約2〜3週間程度かかる見込みです」と書かれている。凄い、みんな一斉注文したんだ!

しかしピーヤシ以外にも、同じ効果を発揮する食材があるのを聞き逃さなかった。それはシナモンとルイボスティーだ。冷蔵庫に保管していたシナモンスティックで、ルイボスティーをかき混ぜるという技にトライ。これで夜中にパソコンに向かう時も、口寂しさを和らげて美肌対策になる一石二鳥の飲み物ができた。

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女性ホルモンを活性化させる恋愛には今のところ縁がないが、4か月目に入った断酒と美容食材選びも、ダイエットと若返りには効果を上げている(と思う)。モチベーションアップのために恥ずかしい過去を晒して、どれだけ変化したかの写真を載せておこう。最初が2009年、次が2013年、最後が3日前(2016.3.21)に撮った写真だ。頭の先から爪先まで固形石鹸だけで洗うボティケアも始めて、この数か月で顔は化粧水さえ要らなくなり、髪は艶々になった。

20091101
20130329
20160321

アンチエイジングに塗る・切る・注すは要らない。新たに試みるシナモンスティックに効果はあるか、意を決してスタートしたお金要らずの美容法を続けて公開していきたい。

追記:2016.5.07です。
20150507
タグ :
アンチエイジング
毛細血管
壁細胞
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10年ぶりに髪を短くした。かろうじて結べる程度のショートヘアだ。周りからは「何かあった?」と聞かれるけれど、恋人もいないのだから失恋ではなく、単に長い髪が邪魔になっただけである。

床に落ちた長い抜け毛はひどく目立つ。シャンプー後の排水溝に集まった毛はゴソッと嵩が多く見えて、このまま行ったら四谷怪談のヒロインになるんじゃないかと背筋が寒くなる。夏になれば猫の抜け毛も加わって、履いても拭いても掃除を怠った家に見えてしまうのが耐え切れず、クリーンな道を選ぶことにした。

そして断髪式。スタッフを使わず1人で切り盛りし、半年に1回しか予約が取れない某カリスマ美容師からOKの連絡を貰って、土曜日の正午に向かったのは世田谷。駅から10分ほど歩いた森の中にある美容室に、ボサボサのロングヘアで「お久しぶり、野武士です」と挨拶したら笑われた。戦国時代の合戦で負傷して野山を逃げ惑うサムライみたいに、見る影もないヘアスタイルになっていたからである。

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「どうします?」以前に、鏡の前に座って即刻お願いしたのは「思い切りやっちゃって下さい」。シャキシャキと動く鋏がいさぎよく切り落とした髪が、ホウキで履き集めればこんもりと黒い山となる。私の10年間が切り落とされたのだと感無量になり、それからは目を閉じて過去を振り返る旅に出た。

いつだったかラジオでユーミンが言っていたが、よほど強運の持ち主でない限りロングヘアは運と体力を吸い取る。なるほど私の傾向としては、ショートヘアの時に素敵な恋をつかみ、ロングヘアの時に詐欺師やスケコマシやらが寄ってくる。たぶん髪がユーミンほどのミラクル強度を持っていないのだろう。しかも伸ばせば伸ばすほど貧相な質感になって「美」からは遠ざかる。

さてさて森の中の美容室。親ゆずりの頑固な癖毛ゆえ、カットの後に縮毛矯正、ふんわりとカールするためのデジタルパーマ、仕上げのブロー。ここまで要した時間は4時間半に及んでも、値段は町場の美容院の半額程度だった。「長らくお待たせしたので・・」の割引が入っていたのだろうが、何よりも爽快で幸せな気分になった。

ずっと頭皮を引っ張っていた重りが消えた世界は、御伽草子の「鉢かつぎ姫」に匹敵する。観音様のお告げにより大人になるまで頭に鉢をかぶりつづけ、周りにいじめられながらも最後に幸福をつかんだ娘の物語である。

ロングヘアで鉢かつぎ姫になれるのは、ユーミンが言っていたように天から選ばれた存在なのだろう。頭皮が軽くなった私は昔のごとくラッキーに出会えるよう、軽々と生き生きと振る舞いたい。長い髪を切ったのはこれで何度目か・・、今度こそ失くさない幸せを手に入れたいと思っている。

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私の陰口を言う人は女性が殆どだ。しかも内容が決まっている。
「金持ちの親に、『蝶よ花よ』と育てられたお嬢様」だそうだが、本人から言わせてもらうと「貧乏な親に、なけなしの夢を託して育てられた愛娘」である。

祖父が会社を潰して一家離散し、四国から上京してきた両親は、藤沢市片瀬の狭い長屋を借りて暮らし始めた。それまで銀行の支店長だった父は営業が得意で、日産のセールマンとして成績トップに輝き、発売一日前のフェアレディを最長ローンで購入するまでに至った。しかし祖父の借金の返済で、生活が苦しいことには変わりなはい。

それでも父は夢を追いたい。エレクトーンが発売された時には、寝場所がなくなるのも構わず、娘のために買い与えてくれた。ピアノよりもまずエレクトーンが、精いっぱい見栄を張った最初の習い事となったのである。

当時YAMAHAエレクトーン教室は数が少なく、江ノ電と東海道線を乗り継ぎ、横浜まで行かなくてはならない。仕事が終わった母に付き添われて週に一回、すし詰めの電車で泣きながら通ったのだが、終わってからデパートを見て歩けることが唯一の楽しみだった。

何も買わないのが約束なのに、私は文房具売り場で見つけたお習字セットが欲しくてたまらない。だだをこねて動かない娘に根負けし、母がお財布を取り出した時は、天にも昇る嬉しさだった。しかしその買い物のせいで帰りの電車賃がなくなるほど、我が家は貧乏だったのである。

公衆電話のダイヤルを何度も回す母。「ここでパパを待ちましょう」と、日が暮れて寒々しいベンチに二人座った。数時間後にやっと車で迎えに来た父は、私に対し妙に機嫌がよく、母は無言のまま。どうやら愛人の家に転がり込んでいた父を、呼び出したらしい。

なけなしの千円札を使った母には、父を呼び戻せる理由が出来たのかもしれない。娘のレッスンに毎週付き合ったのは、自分までエレクトーンを習うお金がなかったからだろう。貧しくてギクシャクした夫婦関係を、なんとか繋いでいるのは一人娘への期待だけ。私には苦労を見せないように働き続け、ミッションスクールに入れてくれたけれど、学友たちの間で長屋住まいは私だけだった。

この後も話はずっと続くのだけれど、私が大人になるのを待って家を出て音信不通の母、脳溢血で倒れて半身不随になり介護施設にいる父。今と昔の二人を想う度に、切なくてたまらない。

そんな事情を知らない人には勝手に言わせておけばいいし、「けなす代わりに、ほめ倒し!」という日記に書いたように、陰口の応酬をする気はない。何の苦労も知らないお嬢様に見えるのは両親のおかげだと、感謝の気持ちが増していくのみである。
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