文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: ニュース・番組・雑誌記事

ニュースサイトを見ていたら、「クラシカル霊柩車“絶滅”の危機」という記事が目に入った。黒塗りの高級車に、金ぴかの屋根が乗った宮型霊柩車の需要が減少しているという。条例で火葬場への出入りを禁止している自治体まであるとは、どうしてそこまで嫌われてしまったんだろう。

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小学校からの帰り道、一緒にはしゃいでいた同級生の足がピタッと止まり、「親指を隠して!」と言われたことを思い出す。そうしないと親の死に目に会えないというのが理由だ。手のひらをギュッと握って目をつぶり、息まで止めて霊柩車が行き過ぎるのを待つ。まるで悪魔の使者みたいな車だと怖がりながら、中はどんなふうになっているんだろうと想像したものだ。

あれから数十年。霊柩車には一度も乗ったことのないまま、今の年齢になってしまった。祖父母の葬式はあったけれど、私は親族が乗るマイクロバスに乗って火葬場まで移動したので、霊柩車の助手席に座った経験はない。

宮型霊柩車が敬遠される理由は、自宅での葬儀が減ったこと。斎場から火葬場まで、同じルートを何度も通るのを目撃する近隣住人から、「死を連想して不吉だ」とクレームがついたことが原因らしい。社会が洋風化したこともあり、今ではリムジン型かバン型が普通のようで、派手な装飾の車は見かけなくなった。

子どもの頃はあんなに怖かったのに、なんだか懐かしくなった宮型霊柩車。どの霊柩車でも亡骸を乗せて運ぶ役割は変わらないけれど、あの金ぴかの車がファーンとクラクションを鳴らして走り出す様子は、威厳に満ちていたように思う。セレモニーの締めくくりで運ばれていく魂が、主役としてのエンディングを飾るシーンだ。

介護施設でお世話になっている父は、もうすぐ89歳。医師からは「嚥下障害が進行しているので、いつ窒息死するか分かりません。覚悟していて下さい」と言われている。そのときにはたぶん身内だけの小さな葬儀をして、宮型霊柩車を呼ぶことはないだろう。それから何十年か経って私の番が来たときには、霊柩車そのものが無くなっている可能性が高い。

昭和は遠くなりにけり。そして平成も去っていく。天皇陛下が譲位されることが決まれば、2019年からは新元号に変わる。霊柩車のクラクションが頭の中で鳴っているような、切ない時代の終焉を感じている。
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小池百合子の圧勝で終わった東京都知事選。巨大組織からの弾圧に屈しないその姿に、同じ女として、しかも同じ「ゆりこ」として、今回の選挙は投票に行く権利のない神奈川県民なのを残念に思った。地団駄を踏む自民党にも野党連合にも言いたいことはひとつ、「女の力を甘く見るなよ!」だ。

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テレビで人気の著名人で行こうとした野党連合は、政策よりもルックスを重視した。年配女性たちにファンの多い石田純一や鳥越俊太郎なら、韓流スターを応援するが如く、こぞって票を入れてくれると思ったのだろう。しかし「不倫は文化」男と「バージンだと病気だと思われるよ」男は、自惚れが強いだけのエロじじい。女にモテた時期は終わった人たちだ。

小池百合子を孤立させて増田氏を担いだ自民党は、石原東京都連会長と都議会のドン・内田幹事長が悪代官みたいな策を練って、魔女の火あぶりかと思うほどの嫌がらせの数々を展開した。「女性が活躍する社会を」の公約はどこへやら、できる女を潰そうとした男の嫉妬深さが露呈したのである。息子に担ぎ出されて「厚化粧の女」だの「嘘つき」だのと煽った石原元都知事は、さらに墓穴を掘った。


権力に媚びを売り、目下の者には空威張りするオッさんたちに反旗を翻したのは、これまで利用されてきた女たち。「責任は君のもの、お手柄は僕のもの」と、売名のために人を利用する根暗な根性を、あからさまに太陽の下に晒す機会を待ち続けてきたのだと思う。

小池百合子は判官びいきを狙ったとも揶揄されているが、どちらが賢かったかは一目瞭然。やられっぱなしの女は遠い昔の時代劇か、三流ドラマの中にしか居ないのである。

初の女性都知事が誕生し、これからどんなリベンジが始まるか、都議会の行方に目が離せない。都民からの血税で飲み歩くケチな懐しか持ち合わせていないダメンズたちを、スッカラカンにさせてやる小気味いい都政を見せて欲しいと願っている。

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どこに行っても、舛添要一都知事の話で持ちきりだ。今や「せこい」の代名詞。漫画「つるピカハゲ丸」のキャラに合致するらしく、「つるセコクーポン知事」というあだ名まで付いてしまった。今年の流行語大賞になるのでは?と笑いがこみ上げてくる。

政治資金問題について行われた記者会見で、敏腕弁護士2人による調査結果は、不適切でも違法性はなし。もともと政党交付金の使途に関する制限がないのだから、罪を負わせるのは無理な話である。しかし人間としては如何なものか、反省して「不退転の決意で信頼回復へ仕事にまい進する覚悟だ」と頭を下げても、都民の怒りは収まらない。

美術品は寄附する、湯河原の別荘は売却すると言いつつ、6月末に380万円のボーナスを受け取ることが確定した。既に4〜5億円の資産があるのだから、任期が終わるまで給料をカットするぐらいの度量の大きさを見せて欲しいものだ。

カネの亡者であるばかりか、自らをトップリーダーと称する舛添氏には、福沢諭吉の「福翁百話」、九十二「銭のほかに名誉あり」をぜひ読んで戴きたい。金満家がぜいたくを見せびらかすのは一身の名誉を得るためであって、それ自体は悪いことではないが、もう一歩進んで、カネ以外の場所にも心の安らぎを求めて、名誉の偉大さを知ってほしいと語っている。

「現代のいわゆる大富豪の中には、きわめて貧しい境遇から身を起こした人もあろう。富裕は、本人独りだけでなく、国のためにも祝うべきことなのだが、家が繁盛すると共に、その人の気品もそれに伴って上昇したかどうかすこぶる疑わしい。

もしかして財産だけが今日の富豪であって、その人品や考えることが依然として肩にてんびん棒を担いだ貧困時代のままであったなら、たとえ現在の衣食を美しくし、交際を盛んにし、またその身に何とか会議員などの栄誉を担おうとも、それは身分の卑しい召使に大金を持たせ美しい衣装を着せて世間に突き出し、公的な会に列席させたのと異ならない。

その金を奪い身に付けたものを除いてしまったときは、たちまち元の正体を現して、残るものはただ無学・下劣・粗野な身体があるだけである。なんと殺風景なことではないか」
(『福翁百話』現代語訳 角川ソフィア文庫より引用)

「長」がつく地位にしがみつき、赤いリボンの胸章をして踏ん反り返る方々にも読んで欲しい一節だ。知らず知らずのうちに世間の尊敬を広く得ること、もとめざる名誉こそが人格の美だと思うのである。

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ベッキーにまつわるスキャンダルが毎日のように報じられる。CM契約の打ち切り、番組出演の見合わせ、そしてまたLINE画面ショットが週刊誌に掲載されて、不倫疑惑騒動は収まるところを知らない。LINEが覗き見されているのは分かっているのに、やり取りを続けるのは正気の沙汰と思えない。

国民的アイドルの座から急転落下。江戸時代なら密通罪に問われるのだろうが、なぜベッキーばかりが集中砲火を浴びて、表に出てこない川谷絵音はバッシングされないのか不思議である。

もちろん人の亭主を奪った女は悪い。しかしフリーライブで女性ファンを動員し、「ご迷惑、ご心配をおかけして申し訳ございません」のお詫びで涙を集めた川谷絵音は、ズルい男の代表みたいに思えるのだ。アーティストの売りはイメージではなく、良い作品を生み出すことだと言えばそれまでだが、いまだに妻と愛人(恋人?)双方の心をかき乱しているのはルーズなのか、自分の心に正直なのか、ラブソングにいったいどんな形のエンディングを描くんだろう。

先日、とある女性経営者と仕事の打合せをしていたところ恋愛談義になり、「近ごろの男ってズルくて臆病よね」の本音が彼女の口からこぼれた。女に向かって自分から好きとは言えず、相手の出方を待っている。向こうから寄ってくればしめたもの、フラれて自尊心が傷つくのを恐れているというのだ。逃げ場を用意しているのは自分に自信がないからでは?と聞けば、「したたかさが、少なくとも武士ではないわ」と笑い飛ばして、いかに昔の男たちが魅力的であったかと、歴史上の好男子論へ話が発展した。才色兼備で著名人で資産家で、きっと恵まれすぎている女性だからこそ行き着いたダメンズ論なのかもしれない。

私の恋人といえば今のところ肥った猫だけ。足元のホットカーペットから聞こえてくるイビキに癒されながら、朝までもうひと頑張り、徹夜が続く繁忙期をありがたく乗り切ることに集中しよう。
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フジテレビのゴールデン帯(19〜22時)の視聴率がテレビ東京に抜かれ、民放5位に転落したという。1959年の開局以来、今年10月30日に発表された決算によれば初の赤字転落。日刊ゲンダイの記事(2015年11月5日)を引用すると「上司の顔色をうかがう社員がドンドン出世し管理職になるため、現場のモチベーションは下降の一途」「給料が下がり、経費は使えなくなり、社内には不満が充満」だそうだ。

ニュース以外、私は生でテレビを見ることは殆どなく、気になるドラマだけ録画予約している。NHK『あさが来た』やTBS『下町ロケット』は次回が待ち遠しいほど面白いのは、練りに練られた原作と脚本が優れているからだと思う。自分らしく生きる登場人物に感情移入できて、応援したい気持ちが湧いてくるのだ。

一方で鼻についたのが、フジテレビ『オトナ女子』。篠原涼子、吉瀬美智子、鈴木砂羽という妙齢かつ美形の女優を揃えているのに、時代錯誤のトレンディドラマを見ているようで、女として共感できない。センスが新しいのはファッションだけ。アラフォー世代の独身女性にこんな都合の良い恋が出来るだろうかと、今どきの恋愛マンガにも登場しない設定の陳腐さ、ぶっ飛び方の中途半端さを感じるのである。

同じ局で『5→9〜私に恋したお坊さん〜』はギリギリ2桁をキープしているが、女性の深層心理に存在するシンデレラ症候群をくすぐる原作の力によるものだろう。2005年にTBSで高視聴率をキープした『花より男子』のそそられ方と同じ理由だと思う。いい歳して隠れファンだった私は、『花より男子F(ファイナル)』の映画まで観に行ってしまったが、同じ井上真央が主演を張っているNHK『花燃ゆ』は観るに耐えられない。主人公が実存の人物であっても台詞が説教くさくて、脚本家の上から目線といおうか優等生ぶりにムカついてしまう。

メディアの選択肢が増え、若者のテレビ離れに歯止めが利かない。しかし街の書店が減ってデジタル書店が増えても、小説やマンガといったコンテンツが衰えずにいるのは、人間が質の良い感動を求める生き物だからだと思う。人気俳優やお笑い芸人さえ出しておけば視聴率が取れる時代は終わった。テレビ局には、視聴者の頭脳や心を甘くみない作品作りをしてほしいと願っている。
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