プライベートライフ・生活

August 16, 2008

送り火は焚かないけれど

8月16日の今日は送り盆。といっても特別なことはしない。
祖父母のお墓は車で10分程度の距離なので、月に数度はお参りに行っているからだ。
家庭事情が複雑なためお位牌は寺院に預けているのだが、それより直接お墓を訪ねるに越したことはないと思っている。

従ってお盆期間は家族代々のアルバムを眺めたり、親戚縁者でなくても親しかった故人を偲んだり、家でのんびりと過ごすのが習慣だ。

古いアルバム


一昨日、とてもお世話になった方が亡くなったと連絡を受けた。
去年の夏に癌が見つかって手術。その後経過は良好、自宅で静養中と聞いていたのがまさかの訃報である。
読み慣れた字で「今は小康を得てのんびり過ごしています。またお目にかかれる日を楽しみにしています」と葉書が届いたのは2ヶ月前。最近幸せ太りしてる私の写真を送り、そろそろ返事を頂けるかなあと心待ちにしてた矢先だった。

優しくしてくれた人、愛してくれた人・・、亡くなった人たちは何処へ行ったのだろうと想いをはせる。それに対しての意見は様々だ。
天国に行き、仏様にお仕えしているのだと言う人。
肉体は単なるかぶり物であって、魂は何度も生まれ変わっていくのだと言う人。
この空間からは去っても、同じ魂がパラレルワールドの中に存在していると言う人。

俗にいう「虫の知らせ」とは、現世から旅立って叡智を得た彼らからのメッセージなのかなと考える。何故なら親しかった人たちが亡くなるにつけ、地震や事故を予知したり、私に近づく人間の善悪が見えたり、不思議な力が高まっていくからだ。

大好きだった人がまた1人、向こう側に行ってしまった。
「ゆり子ちゃん、平気平気。死んでみたら大したことなかったのよ」と、気丈な彼女の声が聞こえてくる。きっと遠くはない場所にいるのだろう。

いつも守ってくれる誰かに、朝起きたら感謝、夜寝る前にも感謝。
今生きている生きていないに関わらず、私にとってお盆とは「ありがとう」を伝えたい人たちを、指折り数えて思い出す期間なのかもしれない。


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July 25, 2008

モノに溢れたエコ生活

石油危機、食糧難と言いながら、資源の無駄遣いは相変わらず続いている。
捨てるしかないものを供給されたり、要らない新製品を買い込んでしまう日々に苛立つ。

毎日ポストに入ってくるチラシやダイレクトメール。
目も通さず捨ててしまうけれど、発注する人・制作する人・配る人の生活を支えているのを思えば心苦しい。
スーパーのレジ袋を使わないために購入したエコバッグ。
地球に優しいと言いながら、合成繊維やコーティング生地では土に戻らないのでは?と矛盾を感じる。
ランチで出てきた大盛りのカツ丼。
店の気前良さに感謝しつつ、最初から半分の量を頼めば良かったと、残飯になる白米を申し訳なく思う。季節外れの台風や洪水の被害が相次ぐフィリピンでは、深刻な米不足が続いていると言うのに・・。

カツ丼

私たちの国・日本は、モノ・モノ・モノに溢れた毎日。
しかし大地震や火災など突然の災害時に、何を持って逃げるだろう。
準備してある物を持ち出せず、命からがら逃げ出した場合、本当に何が必要だろう。
とりあえずは水、そして横たわることができる場所。
船が難破して無人島に流れ着いた自分を想像すると、都会暮らしの必需品が色褪せて見えてくる。

「スローライフ」「ロハス」「エコ」・・。
お洒落な横文字は増えていくけれど、本当の深刻さは浸透していない。口ばかりの資源対策の下にまたモノが増えてゴミが増える。
もしかしたら増殖していく文明人こそが、地球の最大のゴミかもしれないな。

自分を生んで育ててくれた母なる地球を、成長した子供たちが面倒を見る番が確実に来ている。

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May 08, 2008

愛しのケムンパス

たいていの動物は好きだけれど、生理的にダメなのは長くてクネクネした生き物だ。
蛇、ミミズ、ゲジゲジ、ムカデは当然のこと、釣り餌のイソメもトイレ掃除に使うようなビニール手袋なくしては摘めない。

プランターの花を並べた窓辺。リビングの床を拭いていたら、とんでもないものを発見した。ヒェーッ!!!と叫び声をあげて後ろに飛びのく。
「ケムンパスでやんす」
黒いボディにピンピンと長い毛の生えた虫が、身体をくねらせながら移動しているのだ。

ケムンパス

ティッシュで摘もうか。ダメ、絶対に触れない。
BBQで使う団扇でパタパタしてみた。ダメ、暴風に耐えて床にへばり付いている。
ちりとりを近づけて、おいでおいでしてみる。ダメ、回れ右してほふく前進してる。
ホウキでちりとりに乗せてしまおう。ダメ、ホウキの毛にもぐって離れない。

落とされまいと必死にしがみ付いている彼をしげしげ眺めた。
小さな赤い目が2つ、「殺さないで」と哀願してるように見える。
このまま飼っていたら可憐な蝶々になるのかな。それとも毒々しい蛾になるのかな。

テラスに届いた樹木の葉にホウキを擦り付け、そうっと彼を移動させた。
幼虫が蛹になって羽化するまで、命を全うしてね。飛び立ったら挨拶しにきてね。

ちょっとだけ可愛く思えたケムンパスに、一度きりの夏が近づいてくる。


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April 18, 2008

スペシャルゲストの忘れ物

3月にBBQの記事に載せたように、我が家はお客様が多い。車で来てお酒を飲まれた方には寝室も提供するのだが、民宿か合宿所かというほど皆様に親しんで頂いている。

先日お泊まり頂いたスペシャルゲストは、逗子の有名人のケメ子ちゃん。
細い身体でひょろひょろと歩く姿は、まるでLAのヤクの売人!?
実態は彼と呼ぼうか彼女と呼ぼうか、本人曰く「コミックバー」のママである。

シモンズのベッドを提供した翌日、午後から用事があると聞いていたのでそろそろ起こさなくちゃ・・で、はたと困った。オカマは男が起こすべきか女が起こすべきか、判断がつかないのだ。しかも服装は女物、顔と精神は男らしいのだから、一概にオカマとも言えない。

結果、ドアの外からケメ子ちゃんの18番「トンコ節」を歌ってモーニングコール。
「♪あなたのくれた おびどめの 達磨の模様が チョイト気にかかる♪」というお座敷ソングだ。手拍子も元気よく、家中にこだまする。

心地よくお目覚め頂いて、酔い覚ましのお味噌汁、筍の煮物などでブランチ。窓の外はみずみずしい新緑、小鳥のさえずりも愛らしい。
が、出かける間際に静寂をぶちこわす大事件が勃発した。
「たいへん、ブラジャーがないわ!」だって!?

どんなブラジャーかと聞けば「黒」というが、オカマのブラジャーを私が探していいものか、見つけたときに触っていいものか判断に苦しむ。そもそもペッタンコの胸にどうしてブラジャーが必要なのか。
ベットの中やらソファーの上やらを捜索していると、
「ねえ夕べ私、ブラジャーしてた?」だって!?

知るか!!!

結局ブツは見つからず、ノーブラのまま帰っていただいた。
ちなみに「ブツ」をWikipediaで調べると、「反社会的な物品」や「所有しているだけで違法行為になる物品」を指す。
もしもベッドの下から見つかった場合、洗濯して渡すべきか否か。持っていていいものか。
オカマのブラジャーは所有してるだけで違法行為になる物品ではないかと、発見したその時を恐れている。


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March 18, 2008

愛と恋との違いは何だろう

今夜は銀座7丁目のおでん屋で、男性3人とプチ飲み会だった。
お酒のお代わりが進むにつれ、恋愛談義へと話題が進んでいく。

肴にされたのは、ラブラブだった恋人と別れたばかりの妻子持ち氏。喧嘩しては仲直りを繰り返してきたが、今回こそは本当のサヨナラが訪れたらしい。
土日は家族サービスで忙しい彼としては、平日なんとか時間を作り彼女とデートしたい。
一方で彼女は忙しさを理由に約束を断る、すっぽかす。わがまま放題に振り回す。

でもそれは彼女の腹いせだったかも。
「奥さんと私とどっちが大切」の選択を迫られたら?と、意地悪な質問をしてみた。

「妻と恋人とは違う」「彼女はそんなこと望んでないよ」「どっちも大切だから1人には決められない」云々で返事をはぐらかすのに対し、隣からも追加射撃が飛んでいく。もしも子供がいなかったら、究極でどちらを選ぶのかと。

若干の間を置いて、観念したように彼は呟いた。「奥さんを選ぶよ」。
逢いたくてたまらない彼女との関係は『恋』であり、長年連れ添ってきた妻との関係は『愛』だというのだ。

実は『恋』と『愛』との違いについて土曜日のBBQパーティーで話題にのぼり、友人から素敵なサジェスチョンを仕入れていた。
『恋』とは1対1の関係でしかないが、『愛』とはその人に関わる全てを受け入れることだと。なんて崇高で且つ難しいことなんだろう。

一次会のみで午後9時、新橋の駅で解散したあと横須賀線のホームに立つ。
私もいつかは『愛』のもとに帰るのかな?
下りの通勤電車を無言で待つ長い列に、プラス1で加わった。

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January 25, 2008

親の呼び名をどうしてますか?

いつ頃からだろうか、親を呼ぶときに言葉に詰まるようになっていた。
人前で「パパ、ママ」と呼ぶことが恥ずかしくなって、やがてそれは本人に対しても言えない人称となった。
周りのように「お父さん、お母さん」にスライドすれば良かったものを、照れくささが邪魔したのだ。

じゃあ何と呼んだか? 家を去った母には必要なくなったが、父に対しての呼び方だ。
遠くからの声をかけるときは「ねえ」だったり「ちょっと」だったり、どうしても主語が必要なときは「会長」もしくは「○○○夫さん」。会社での呼び名や氏名をそのまま使った。
なるべく呼ばなくて済むようにと、文脈を工夫して喋る変な癖までついて、親を呼ぶことは苦痛にまでなっていた。

このお正月、知人の母子とご一緒して驚いたこと。
お母様を「オフクロ」と呼んでいるのが、いつから始まったのか、とても自然だったことだ。
孫が生まれていれば「おばあちゃん」に移行している家もあるだろうけれど、「オフクロ」には親子の歴史といおうか、臍の緒で繋がった深い愛情を感じた。

そんな印象が残ったまま先週、介護施設にいる父を訪ねた。
会話している最中に、どうしても父を呼ばなくてはならない状況が出てくる。
今まではありえなかったこと、不思議にスッと「お父さん」が口から出たのだ。
娘の初めての呼びかけに驚くでもなく「うん、うん」と答える父。
なあんだ、こんな簡単なことだったのかと、長いわだかまりが雪のように溶けていった。

この何十年も「あの」「ちょっと」で通してきた分、あとどれだけ「お父さん」と呼べる時間が残っているだろう。
先週の呼んだ回数は2回だったけど次は倍になり、その次はもっともっと。

日本人のDNAが引き継いできたシンプルで温かい響きは、心の中で一年中の春である。


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January 24, 2008

男が逃げる冷蔵庫

livedoorニュース【独女通信】で、掃除ができない女性たちについての記事を読んだ。
物を引っ掛けられる場所には、常に洗濯物をのれんのように吊るしたまま。
シーツは3年前に購入して以来、一度も洗ったことがない・・等々、ぐちゃぐちゃの部屋に住んでいる。

片付け下手なのは、独身女性に限ったことではない。
家に寄り付かない夫たち数人から取材した話。彼らは家族と夕食を共にするのは月に2〜3度、妻とのセックスはなし、家には寝に帰るだけだという。

理由はいろいろあれど、妻を敬遠する共通項は『冷蔵庫の中が汚いこと』から始まった。

スーパーが安売りしていたからと、両手にレジ袋を下げて帰ってくる。
空きがない冷蔵庫にギュウギュウと詰め込んで、やがて何を入れたかも忘れてしまう。

野菜室の奥には原型を留めない胡瓜やレタス、冷凍室には2年前の肉パック、開けるのが恐ろしいタッパウェア。冷やす必要のない缶詰までもがギチギチに詰め込んである。
いざ料理を作るとなると、手前の新しいものから使い(しかも簡単に調理できるもの)、余れば勿体無いと皿のまま詰め込む。しかしそれは干からびるか腐るかして、二度と日の目を見ることはない。

たまに夫が自宅で過ごす休日、酒のつまみでも作ろうかと冷蔵庫を開けてビックリ。
周りに目をやれば散らかし放題の部屋、ジャンクフードでお腹を満たす子供、着飾って女友達とランチに出かける妻、抜け毛がへばり付いたブラシ・・、家の外に愛情を求めても仕方あるまい。

数年前から「そうじ力」という言葉が流行っている。
掃除が苦手な女性たちへ、まずは一箇所集中でキレイにすることから始めてほしい。
手始めは何たって冷蔵庫。男性たちが大好きな冷蔵庫。
そこには容姿だけではわからない、あなたの女たる管理能力が詰まっているのだから。

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January 09, 2008

飽食の時代とTime is money

原油価格の高騰で、身の回りの物が次々と値上がりしていく。食材もクリーニング代も給食費も・・、この勢いではどれだけ家計を圧迫するだろう。

節約だ、省エネだと叫ぶ一方で、飽食の国・日本は無駄遣いを止めようとしない。
日本国内で廃棄される食料は年間約2,150万トン。このうち半分は家庭から(まだ食べられるものも含めて)で、コンビニ、ファーストフード店、レストラン、スーパーなどが、食品という形に変わった「お金」を捨てている。

お昼時のスーパーに買い物に行くと、あきらかに主婦と思われる人たちが出来合いの惣菜を物色している。売れ残ったものは賞味期限が切れる数時間前に廃棄処分される。
賞味期限の偽装問題が騒がれている今、業者は尚のこと注意を払っているだろう。

しかし時間に余裕のある主婦が、どうしてパック詰めの焼きそばやファーストフード?

かくいう私も都内に住んでいたころは、デパ地下で惣菜を買うことが多かった。
そのとき食べたいものを専門店でちょこちょこと選んで、容器のまま電子レンジで温めれば、鍋やお皿を使う必要もない。周りにつられた食生活だ。

しかし逗子に引越してからは意識が変わった。
農家が直売する鎌倉野菜や、ビニール袋持参で買う魚市場の地魚。生きているものがどんなに美味しいかを知ると、防腐剤や添加剤入りのお惣菜がジャンクフードに思えてくる。

養豚業者がコンビニの廃棄弁当を豚のエサにしたところ、死産や奇形児出産が相次いだという噂が流れたことがあった。
母親の羊水はコーヒー色だったという信憑性はともかくとして、添加物を入れなくては売れない食品を、疑問もなく買う側の意識は何なのだろう。

独り暮らしでは、大根半分、白菜1/4カットにしても一度に使い切ることは難しい。
でも上手に保存すれば、お惣菜一個分の値段で一週間の食卓が賄える。
家族で暮らす家なら早起きしてお弁当を作れば、身体にも安心だし、使い捨て容器も要らない。昔の家庭は皆そうしていたのだ。

"Time is money"の訳は『時は金なり』だけど、一概にスピード重視の考え方はもう古い。
スローライフ、スローフード。身体のため、地球のため、愛のためにゆっくりと時間を使うことが、これからの"Time is money"ではないだろうか。

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January 06, 2008

家族で囲む食卓

いつもなら独りで過ごすお正月。今年はリビングルームに家族の灯が戻ってきた。
といっても父は介護施設にいるし、母は数十年前に家を去ってしまったので、本物の一家団欒ではない。

笑い声を運んで来てくれたのは、日々仕事に追われる友人とそのお母様。
私の父と同学年というお母様は、足が不自由でここ十数年は旅行したことがないそうだが、幸い我が家はバリアフリー。しかも森林と海が間近な逗子は、心身を健康にさせる「気」の宝庫である。
暮れにアメ横で買い込んだ食材を役立てるためにも、ぜひにと誘って泊まりに来て頂いた。

1人っ子であり親も離婚・自分も離婚の私には、親戚がほとんど居ない。
誰とでも仲良くなる自信はあっても、ご年配のご婦人と向かい合うのは久しぶりで、お互いに緊張気味。
お茶ひとつ入れるにも薄めがいいのか渋めがいいのか、もしかして私に気を使って自分の好みを我慢してるんじゃないのか、余計な配慮が先回りする。

大皿に残った最後一枚のお刺身。
冷えた身体を温める一番風呂。
ベッドから起き出して物音を立てる時刻。
一つ屋根の下の第一段階は、ぎくしゃくとした譲り合いだ。

食器の在り処を知って、勝手にお茶を飲んでくれた第二段階。
外泊先では絶対に無理だった「お通じ」があったと喜んでくれた第三段階。

「ゆり子さん、梅干ある?」
遠慮なく私の名前を呼んでくれたことが第四段階。記憶の彼方にある懐かしい時間が戻って来た。
あの日の朝の台所では、祖母が納豆をかき回していたっけ。
広げた新聞紙から出た手に、母がお湯飲みを渡していたっけ。
家族の食卓に味噌汁の湯気が立ちのぼる。いつも女たちの笑い声がしていた。

うちに滞在して足の痛みが無くなったと喜ぶお母様。
送る言葉は「さようなら」ではなくて「いってらっしゃい」にしよう。
私の母ではないけれど、もう二度と出来ないと思っていた親孝行が出来た嬉しさ。
東京に向けて遠ざかっていく車に手を振りながら、神様のプレゼントに感謝した。

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January 02, 2008

歳を取るほど泣けなくなる?

週に一度、季節の花束を抱えて近所のアンティークショップに遊びに行く。
おばちゃんと自称する素敵なマダムにコーヒーを入れてもらい、数時間のお喋りを楽しむためだ。

60年代の魔女みたいな服装が似合う彼女は、褒め言葉の魔法を使う。
「あなた最近泣いたことある?」
首を縦に振ればニヤリと笑って、
「それは若い証拠よ。歳をとると滅多なことでは泣けなくなるんだから。」

良かった、私は泣き虫だ。
人前では極力我慢してるけれど、悲しくても悔しくても感動してもポロポロと涙が出る。
金魚みたいに瞼を腫らした翌日は、周りに見破られないかと、コンビニに行くのさえ躊躇するほどだ。

おばちゃんは言う。「泣きたくても泣けない人がいるんだよ。」

彼女の友人は度重なるご主人の裏切りが原因で、ある日涙がピタッと止まってしまった。
長年の親友がこの世を去った時も、能面のような顔でお葬式に出ていたという。

感情の蓋に鍵がかかってしまった人。
父がお世話になっている介護施設でも、そんなおばあさんに出会った。
滅多に家族が訪ねてこない彼女は、何を思うのか私の周りをウロウロする。
「こんにちは、一緒にお茶飲みませんか?」とテーブルに誘うと、『だるまさんが転んだ』みたいにその場に立ち尽くす。
無表情のまま、穴が開くほどずっと私の顔を凝視しているのだ。

声をかける自分が、体裁を繕う偽善者になるのが怖くて目を伏せた。
触ってはいけない涙を見た気がして、胸がしょっぱかった。

アンティークショップは外が薄暗くなって、雑談もお開き。
コートを着る私に、おばちゃんがもうひとつ魔法をくれた。
「だけどね、好きな男の前では何度も泣いちゃダメよ。一度だけにしときなさい。」

う〜ん、どういう意味なの?
答えはまた来週、春間近なスイトピーの花束を抱えて聞きにくるとしよう。

yuris22 at 12:49|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!