文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: こころ・スピリチュアル・自己啓発

短気は損気と分かっていながら、どうにも腹の虫がおさまらないことがある。それは60代半ばの、現役をリタイアした男性から届いたメールだ。

都内での仕事帰りに寄ったちょい飲み屋で、隣にいたオヤジと話が弾み、名刺を渡してしまったのが失敗のもと。どんな男性がタイプかを聞かれ、「幾つになろうと、現状に言い訳するより、未来を夢見る男性が好き」と言ったことに対する反論が、わざわざメールで届いたのである。話を途中で切り上げて、帰ってしまった私も悪いのだけれど、この手の粘着質なタイプは独自な論理展開をする。

「現在の一般社会情勢の認識を経験者として申し上げます。夢は大事ですよ。ただ、夢を見てても、現実から脱出できるわけではないですからね。 現実に立脚して、夢の現実化に何が必要か?その手段と方策を考えなくてはなりません。その意味で、子供の夢と大人の夢は違います。大人になって、子供の絵を描けるのは天才だ!といわれますが、大人になると現実に目が行ってしまうので、絵がつまらなくなるということなんだと思います。」

なるほどね、分からないでもない。しかし、子どもみたいな夢を見る男性が好きだなんて一言も言ってないのに、なぜ一人で暴走しているのか不思議だ。大人になって絵がつまらなくなる言い訳にしか聞こえてこない。

しかもこのオヤジ、私の生活にまで難癖をつけてきた。住んでいるマンションの名前を知っているらしく、他人に貸せとか、早く売却して小さな部屋に引っ越したほうがいいとか、「お子さんとも相談されて」の尾ひれまで付いている。どうして私に子どもがいるって、勝手に決めつけるんだろう。

こうして腹を立てているとき、偶然にも「マンスプレイニング(Mansplaining)」という言葉を知った。man(男)とexplain(説明する)を掛け合わせた混成語で、男性が女性を見下したり、上から目線で何かを解説することをいう。知的ハラスメントと言ったほうが分かりやすいだろうか。

マンスプレイニングは私が思うに、サラリーマンを定年退職した年金暮らしの男性に多い。会社では部長だったかもしれないが、リタイアすればただのオヤジ。家庭では奥さんに疎ましがられる濡れ落ち葉だったりする。

80歳になろうと現役でバリバリ稼いでいる経営者には、この手のマンスプレイニング老人はいない。相手が若い女性であっても真摯に意見を聞き、上手に流し、上手に褒め上げることに慣れている。見た目も実年齢より若く、加齢臭など漂わせていない。

誰に何を揶揄されようが、今の住まいは自分で買ったもの。手放す気なんて毛頭ない。
家に戻って玄関のドアを開けると、マットの上で与六がお腹を出して待っている幸せ。リビングの灯りをつけて、テレビのスイッチを入れるときの安堵感。この環境を維持するために、よーし頑張ろうと徹夜するのも、自分が好きでやっていることだ。

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メールに返事は出していないけれど、イライラした分だけ人生の大切な時間をロスした。一日の大半を向かい合っているディスプレイの上には、私の夢を書いた紙を額縁に入れて飾ろう。腰が曲がったおばあちゃんになろうと、明日はもっと良くなることを夢見る自分でありたい。
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駅前のロータリー。路線バスから降りて、JRの改札まで歩く途中、いつもビラ配りをする若い女性が待ち受けている。

彼女の口から聞こえてくるのは、鼻にかかった甘ったるい声の「ンまア〜〜〜す♪」。
本人は「お願いします」と言ってるつもりだろうが、通る人たちは「また、こいつか」とばかりに顔を伏せて行き過ぎ、誰も手を伸ばそうとしない。

ティッシュならまだしも、何の宣伝だか言わなくちゃ、受け取る人はいないだろう。ルックスと時間帯からすれば、美容院のビラ蒔きを命ぜられたスタッフだと思うけれど、受け取って特典があるのか、店の名前すら分からない。万が一その店に入ったとして、あの「ンまア〜〜〜す♪」が耳元で響くのは、拷問に近い気がする。

かくしてバスを降りたあと、声をかける暇がないように、改札口までダッシュするのが習慣になってしまった。見るに忍びなかったのである。

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そんなことが一年続いて、ぱったりと彼女の姿を見なくなった。他の仕事に変わったのか、店がなくなったのか、それはそれで心配になる。快くビラをもらって功績にしてあげればよかったと、自分の器の小ささに後悔しているのである。

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もし彼女が「お願いします」じゃなくて、「ありがとうございます」と言ってビラを差し出したらどうだったろう。声を掛けられた側は「えっ?」と戸惑っても、受け取ってもらえる確率は高かったはずだ。

一世を風靡した「引き寄せの法則」は、あながち嘘ではなかったと思う。人の心は波動でできていて、自分の思いを受け取って欲しいと真剣に強く願えば、相手もそれを感知する。頼まずとも向こうから寄ってきてくれることだってある。恋なんて、そうんなふうにして生まれることが多い。

「ありがとう」は、生きとし生けるものの中で最も美しいことば。
報酬をもらう前に感謝をする「ありがとう」は言霊だ。
伝える側も受け取る側も顔に笑みが生まれて、お互いが素敵な気分になる。

いつか何処かで彼女に再会することがあったら、あのときはありがとうと言うつもりだ。いや、ひょっとしたら明日、駅前のロータリーに舞い戻っているかもしれないな。会えてありがとう。元気でいてくれてありがとう。今日は何度も口にしながら、未来を引き寄せている。
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立春まであと1週間。空気は冷たくても、日射しはキラキラと春を含んでいる。


いつも横須賀線の車窓から拝んでいる大船観音に日曜日、後れ馳せながらの初詣に行ってきた。髪がボサボサになるほど強風が吹いていたのに、大船観音寺の門をくぐると、ピタッと風が止んだ。

参拝客は少なく、石段の上に真っ白な観音様が微笑んでいる。

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お願い事はたくさん用意していったけれど、いざ手を合わせると出てくる言葉は、「みんなが幸せでありますように」、「みんながいつも笑顔でいられますように」。
みんなの中にきっと私も混ぜていただけるだろうと、頭を下げた。

境内には咲き始めた梅の花。桜のような派手さはなくとも、初々しさに心がほころぶ。すでに1月も残りわずかながら、きっと良いスタートが私にも巡ってくる予感がした。

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参拝のあとは社務所に寄って、ご朱印をいただいた。大船観音が表紙のご朱印帳。1ページ目から漂う墨の香りが清々しい。

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思えば子どもの頃から、こんなに身近にいらした観音様に初詣に訪れたのは、今までを振り返って初めてのこと。
車窓からの数々のお願い事は、叶えて下さらなかったことが多々あるけれど、かえってそれで良かったのだと今になって判る。

今日も都内での打ち合わせに向かう横須賀線の車中。ありがとうございますと感謝を忘れなければきっと、日々是好日なのである。

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友人のFacebookに「日の出が早くなりはじめる日が、自分にとって本当の元旦だと思っている」という投稿があった。調べてみると、冬至を基準にして10日〜20日前後に、その日がやってくるらしい。2017年の日の出(神奈川県)は、1月13日が6:50:21AMでいちばん遅く、1月14日が6:50:08 AMで早くなりはじめる。

暦の上では「寒」の真っただ中であっても、空は着々と夏至に向かっているのを知ると、なんだか気持ちが明るくなってきた。というのも身体の不調が畳みかけるように起こっているからだ。

前回のブログに書いたように、お正月早々に風邪がぶり返して寝込んで、まだ声は擦れてハスキーなまま。心配して添い寝してくれる与六は腕枕をせがみ、体重7キロのメタボ猫が重しになったせいで、手が腱鞘炎になってしまった。しかも金曜日にはベッドの脚につまづいて転び、足の指を強打。ロキソニンを飲んで痛みを堪えている。

友人たちは「えーっ、また!?」、「厄の集中攻撃では?」と心配してくれるけれど、私本人はむしろこの時期で良かったと安堵している。なぜなら私にとっての本当の元旦は、立春の日(今年は2月4日)だと思っているからだ。

これこそバイオリズムなのか、いつも冬至の頃は運勢が八方ふさがりで、だんだんと巻き返しを図っていくのが今の時期。頭のてっぺんから爪先まで、デトックスをしている状態である。1年前の今ごろは心の不調に苦しみ、今回は身体の不調だが、不摂生の結果ではないので大して気に留めていない。

今夜の大宴会には不参加。ずん胴鍋で、久しぶりにデトックススープを作り置きした。もう一つのブログに載せるレシピの写真を撮って、熱々をお腹に入れる。

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咳と鼻水を出し切って、胃腸にこびりついたヘドロを出し切って、ついでに不運も出し切って、立春までのデトックス。心身の大掃除をするこの時期は、天岩戸に籠っている真っ暗な状態だけど、もうそこまで来ている春が楽しみで仕方がない。
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1月5日から小寒に入り、暦通りの寒い日が続いている。私は風邪がぶり返して、熱は下がったものの、咳と鼻水が止まらない。先ほどかかってきた電話にも、返事をしようとしたら声が出なくて、息だけで「喋れませんが、聞こえています」とささやくのが精いっぱいだった。

明日は葉山マリーナで安全祈願祭があるけれど、これじゃヨットは絶対に無理。しかも味覚と嗅覚が使い物にならないので、食べ物の味が分からず、船内での宴会にも参加できそうにない。

身体がだるいお昼過ぎに、なにか栄養のあるものを口に入れなくてはと起き出し、ベランダの植物に水をあげた。目を覚ましてくれたのは、鉢植えのシンビジウム。去年は1本しか出なかった花芽が、今年は3本も出ているのだ。

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昨年4月のブログ「明日起きるかもしれない大災害」に書いたように、このシンビジウムは不思議なことに、大地震がある年には花芽が減る。2011年・東日本大震災の前には花芽が全く出ず、2016年・熊本地震の前には1本だけ。天変地異と因果関係があるのかは不明だけれど、今年は3本、それもこんな早い時期から花芽が出たのは何か良いことを察知しているのだろうか。

鉢の植え替えもせず、栄養も与えず、雪の降る日だってベランダに出したままなのに、健気に育ってくれるシンビジウムは、私のパワーグリーン。蕾は順調に膨らんで、春になったら大輪の花が咲くのは確実だ。

しばしベランダから景色を眺め、新春の陽光を届けてくれる空を見上げる。植物も人間も、何か大いなるものに守られ抱かれて生きているんだろう。病は気から。早く風邪を治して、逗子の宗泰寺に「気心腹口命」のご印施を戴きに行かなくてはならない。ちょっと鈍ってきた精神力を復活させるために、再び断酒を始めようかと思っている。

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