文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: こころ・スピリチュアル・自己啓発

学校が夏休みに入った朝、10歳ぐらいの女の子が大きな段ボールをゴミ置き場まで運んでいる。階段のいちばん下まで着いて、背伸びをしながら手を振った。
「バイバーイ! 行ってらっしゃーい!」
遠くから呼応する若いお父さんの声。
「行ってくるよ〜」
顔は見えなくても返事があるって素敵なことだ。


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住宅街のバス停に着いて、賑やかなセミの合唱を聴いていたら、斜め前のお宅から年配のご婦人の声がする。
「おはようございます。元気? あら元気じゃないの〜?」
誰に話しかけているのかな。
隣の家の人かな。
しばらくして、もう一人の女性の声がした。
「美味しいね、ありがとう」
きっと朝ごはんの一品をお裾分けしに行ったのだろう。顔は見えなくても、毎日気遣い合っている同士だと分かる。

でもこれは今どき珍しい光景なのかもしれない。

LineやFacebookで簡単にメッセージが送れるようになっても、相手に 迷惑をかけたことに対し、「ごめんね」の一言さえ送れない人がいる。
忙しいのか、面倒なのか、大したことじゃないと思っているのか。

小さな溝が、相手の心に渡れない深い川に広がる前に、挨拶はいつも交わしておくべきなんだろう。陳腐化した定型文で出すメールじゃなくて、ストレートな「こんにちは」だけで充分なのだ。
どうしているかなと思ったそのときに、交わすのが生きた言葉で届く挨拶だと思う。

そして都内に出かける今朝は、窓辺で鳥たちを見張っている与六に声をかけた。
「行ってくるね〜。ちゃんとお留守番しててね」
猫の金色の目がキラッと光って、ゆっくりとまばたき。「行ってらっしゃい」の合図なんだろう。

人間ではないけれど、我が家の唯一の家族。誰かと心が通いあった満足感は、幸先の良い一日を約束してくれる。
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およそ20年ぶりに、四方八方からの仕事に忙殺されている。先月の終わりからは、空が暗いうちに寝たことがなく、起きている時間 = 働いている時間だ。

仕事の打ち合わせ以外で誰かと会う暇は持てないので、心配した友人たちからは「無理しないでね」との励ましメッセージが届く。大丈夫! 身体も心も健康そのもので、頭の先から爪先までエネルギーがみなぎっている状態なのだ。

こんなにハイな気分になれるのは、好きなことをやっているからに他ならない。どうして寝なきゃいけないんだろうと、1日が24時間しかないことが恨めしくなる。嫌な仕事が続いたときは激痩せしたのに、今回は体重も変わらないのが不思議。

学生時代、編み物や洋裁が楽しくてたまらなかった私は、完成するまで寝ないことがよくあった。セーターを編み始めて、もう少し、もう少し・・・と言っているうちに夜が明ける。仕方なく学校へ行くけれど、授業が終わればすっ飛んで帰って、夕食もそこそこにセーターの続きに没頭したものである。

パソコンの自作に励んでいた40代も同じ。失敗しては一からやり直し、3日間かかって組み立てたマシンは、抱いて眠りたいほどだった。

その頃と今とが似た状態。趣味が仕事になってお金が入ってくるようになると、欲と向上心が湧いてくる。もっと知識を増やしたい、もっとスキルをアップしたいと、昨日の自分がライバルになって競争しているのだ。

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梅雨に入って今年も、書斎の下にはオレンジのノウゼンカズラが咲き、紫のアガパンサスがポンポンと開き始めたけれど、花より団子、団子より仕事。長いあいだ忘れていたモチベーションが戻ってきて、脳内麻薬みたいな万能感をくれるのである。

ずいぶん人生を遠回りして、やっと背中を押してくれるものが分かった。それは「生産性」。
仕事でも趣味でも遊びでも、生産性のあることが好き。人間関係を仕切りなおしたのはそこに理由がある。
いつも同じ顔ぶれで飲んで騒ぐだけの集まりに参加するのがつまらなくなり、ワクワクすることを仕事に求めるようになった。ただし引きこもりとは違い、アンテナはいつも社会の新しい動向を見張って、次のハードルをもっと高めたいと思っている。

生産性とは個性を磨くこと。自分をうんと好きになれるように、やり残したことを後悔しないように、今年の後半は夢のセーターを、実現まで編み続けるつもりである。
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短気は損気と分かっていながら、どうにも腹の虫がおさまらないことがある。それは60代半ばの、現役をリタイアした男性から届いたメールだ。

都内での仕事帰りに寄ったちょい飲み屋で、隣にいたオヤジと話が弾み、名刺を渡してしまったのが失敗のもと。どんな男性がタイプかを聞かれ、「幾つになろうと、現状に言い訳するより、未来を夢見る男性が好き」と言ったことに対する反論が、わざわざメールで届いたのである。話を途中で切り上げて、帰ってしまった私も悪いのだけれど、この手の粘着質なタイプは独自な論理展開をする。

「現在の一般社会情勢の認識を経験者として申し上げます。夢は大事ですよ。ただ、夢を見てても、現実から脱出できるわけではないですからね。 現実に立脚して、夢の現実化に何が必要か?その手段と方策を考えなくてはなりません。その意味で、子供の夢と大人の夢は違います。大人になって、子供の絵を描けるのは天才だ!といわれますが、大人になると現実に目が行ってしまうので、絵がつまらなくなるということなんだと思います。」

なるほどね、分からないでもない。しかし、子どもみたいな夢を見る男性が好きだなんて一言も言ってないのに、なぜ一人で暴走しているのか不思議だ。大人になって絵がつまらなくなる言い訳にしか聞こえてこない。

しかもこのオヤジ、私の生活にまで難癖をつけてきた。住んでいるマンションの名前を知っているらしく、他人に貸せとか、早く売却して小さな部屋に引っ越したほうがいいとか、「お子さんとも相談されて」の尾ひれまで付いている。どうして私に子どもがいるって、勝手に決めつけるんだろう。

こうして腹を立てているとき、偶然にも「マンスプレイニング(Mansplaining)」という言葉を知った。man(男)とexplain(説明する)を掛け合わせた混成語で、男性が女性を見下したり、上から目線で何かを解説することをいう。知的ハラスメントと言ったほうが分かりやすいだろうか。

マンスプレイニングは私が思うに、サラリーマンを定年退職した年金暮らしの男性に多い。会社では部長だったかもしれないが、リタイアすればただのオヤジ。家庭では奥さんに疎ましがられる濡れ落ち葉だったりする。

80歳になろうと現役でバリバリ稼いでいる経営者には、この手のマンスプレイニング老人はいない。相手が若い女性であっても真摯に意見を聞き、上手に流し、上手に褒め上げることに慣れている。見た目も実年齢より若く、加齢臭など漂わせていない。

誰に何を揶揄されようが、今の住まいは自分で買ったもの。手放す気なんて毛頭ない。
家に戻って玄関のドアを開けると、マットの上で与六がお腹を出して待っている幸せ。リビングの灯りをつけて、テレビのスイッチを入れるときの安堵感。この環境を維持するために、よーし頑張ろうと徹夜するのも、自分が好きでやっていることだ。

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メールに返事は出していないけれど、イライラした分だけ人生の大切な時間をロスした。一日の大半を向かい合っているディスプレイの上には、私の夢を書いた紙を額縁に入れて飾ろう。腰が曲がったおばあちゃんになろうと、明日はもっと良くなることを夢見る自分でありたい。
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駅前のロータリー。路線バスから降りて、JRの改札まで歩く途中、いつもビラ配りをする若い女性が待ち受けている。

彼女の口から聞こえてくるのは、鼻にかかった甘ったるい声の「ンまア〜〜〜す♪」。
本人は「お願いします」と言ってるつもりだろうが、通る人たちは「また、こいつか」とばかりに顔を伏せて行き過ぎ、誰も手を伸ばそうとしない。

ティッシュならまだしも、何の宣伝だか言わなくちゃ、受け取る人はいないだろう。ルックスと時間帯からすれば、美容院のビラ蒔きを命ぜられたスタッフだと思うけれど、受け取って特典があるのか、店の名前すら分からない。万が一その店に入ったとして、あの「ンまア〜〜〜す♪」が耳元で響くのは、拷問に近い気がする。

かくしてバスを降りたあと、声をかける暇がないように、改札口までダッシュするのが習慣になってしまった。見るに忍びなかったのである。

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そんなことが一年続いて、ぱったりと彼女の姿を見なくなった。他の仕事に変わったのか、店がなくなったのか、それはそれで心配になる。快くビラをもらって功績にしてあげればよかったと、自分の器の小ささに後悔しているのである。

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もし彼女が「お願いします」じゃなくて、「ありがとうございます」と言ってビラを差し出したらどうだったろう。声を掛けられた側は「えっ?」と戸惑っても、受け取ってもらえる確率は高かったはずだ。

一世を風靡した「引き寄せの法則」は、あながち嘘ではなかったと思う。人の心は波動でできていて、自分の思いを受け取って欲しいと真剣に強く願えば、相手もそれを感知する。頼まずとも向こうから寄ってきてくれることだってある。恋なんて、そうんなふうにして生まれることが多い。

「ありがとう」は、生きとし生けるものの中で最も美しいことば。
報酬をもらう前に感謝をする「ありがとう」は言霊だ。
伝える側も受け取る側も顔に笑みが生まれて、お互いが素敵な気分になる。

いつか何処かで彼女に再会することがあったら、あのときはありがとうと言うつもりだ。いや、ひょっとしたら明日、駅前のロータリーに舞い戻っているかもしれないな。会えてありがとう。元気でいてくれてありがとう。今日は何度も口にしながら、未来を引き寄せている。
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立春まであと1週間。空気は冷たくても、日射しはキラキラと春を含んでいる。


いつも横須賀線の車窓から拝んでいる大船観音に日曜日、後れ馳せながらの初詣に行ってきた。髪がボサボサになるほど強風が吹いていたのに、大船観音寺の門をくぐると、ピタッと風が止んだ。

参拝客は少なく、石段の上に真っ白な観音様が微笑んでいる。

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お願い事はたくさん用意していったけれど、いざ手を合わせると出てくる言葉は、「みんなが幸せでありますように」、「みんながいつも笑顔でいられますように」。
みんなの中にきっと私も混ぜていただけるだろうと、頭を下げた。

境内には咲き始めた梅の花。桜のような派手さはなくとも、初々しさに心がほころぶ。すでに1月も残りわずかながら、きっと良いスタートが私にも巡ってくる予感がした。

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参拝のあとは社務所に寄って、ご朱印をいただいた。大船観音が表紙のご朱印帳。1ページ目から漂う墨の香りが清々しい。

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思えば子どもの頃から、こんなに身近にいらした観音様に初詣に訪れたのは、今までを振り返って初めてのこと。
車窓からの数々のお願い事は、叶えて下さらなかったことが多々あるけれど、かえってそれで良かったのだと今になって判る。

今日も都内での打ち合わせに向かう横須賀線の車中。ありがとうございますと感謝を忘れなければきっと、日々是好日なのである。

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