文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: こころ・スピリチュアル・自己啓発

春が近くなると我が家の玄関先には水仙の花が咲き、清楚な香りをプレゼントしてくれる。昨夜の雨に打たれてうつむいているけれど、毎年同じ場所で変わらずに咲く野生の花は、逞しさの美そのものだ。

suisen

それに比べて人間ときたら、些細なことで一喜一憂。心を揺らす原因のほとんどが人間関係によるものだ。誰かのために良かれと思ってしたことが独り相撲であったり、「ありがとう」の一言をもらえずに落ち込んだり、結局は自分のお節介が招いた結果だと反省する。お節介というよりは「驕り」と言ったほうが合っているかも。イライラしたあげく傷つけてしまうのは、相手じゃなくてお為ごかしの自分なのだ。

「自分が他人にしてもらいたいことは、他人にしてやるなかれ。他の人の趣味が自分と同じでないかもしれない」は、イギリスの劇作家 バーナード・ショーのことば。

「相手に良かれと思ってやることと、相手がして欲しいと思っていることが一致することは稀なんだ。皆あまり気付いてないけどね」は、吉野朔実の漫画『いたいけな瞳』に出てくることば。

いちばんいいのは何かをしてほしいとお願いされるまで、口を閉じていることだろう。その人の難題を解決する方法を知っていたとしても、長屋のおばちゃんみたいに隣りの夫婦喧嘩に身を乗り出してはいけないのである。つい口に出た一言が自分も相手も傷つける可能性が高い。

人から必要とされたいなら、ただそこに居ればいい。
野生の水仙みたいに、毎年同じ場所で咲いていればいい。
誰かを救うことに、自分が主導権を取る必要はない。


人間は犬ではなく、猫のように生きればいいのかなと思うこの頃。先月はインフルエンザで苦しんだけれど、治った今でも与六は隣りで「勝手に」寝てくれる。
ところがスヤスヤ寝息を立てているところに、可愛いねと頭を撫でると、「うるさいっ!」と噛みつかれ睨まれる。

yoroku2

歳ばかり取っているのに猫よりも役に立たない飼い主は、もしかしたら猫に飼われているのかも。今日から名前は与六ではなく、親分と呼ぼうかと考えている。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

倍速の駆け足で過ぎる12月も残り半分、おちおちしているとお正月が来てしまう。夜型になった生活の軌道修正をしながら、放置していた義務を一つずつ片付けている。

パソコンデスクの上にも後にも、処理しなきゃいけない仕事が山積み。与六が走り回って山を崩し、これ何だったっけ?のカオスがまた増えていく。

コーヒーを入れに階下へ行くと、怒られたばかりの与六が日溜まりに転がっている。頭を撫でると歯を見せて笑う能天気さに、どんよりしていた私の心にも日が射してきた。

DSC_3368

本来なら今ごろ私はこの家には居なくて、左手の薬指にリングをはめて、もう一人のためにコーヒーを入れていたはずだった。ところが入籍の直前に相手が重い病を患っていることが分かり、そこから私の中での時間は止まったままだ。

事情を知らない人から「おめでとう」を言われると困るので、なるべく知り合いには会わないように過ごしてきた。
その間に得たものは、新しく始めた仕事を通して生まれた仲間たち。活動エリアが変わるだけでこんなに人間関係が変わるとは、異次元に引っ越したような気分である。

人間関係の引っ越しで、SNSの使い道も変わった。今やFacebookはスペシャルなことがあったときしかアップしない。友人のタイムラインへのイイネ!もしない。イベントの通知も受けない。誘われなくても構わない。

人の顔色を気にせず、自分が動きたいように動くのは猫の暮らしみたいで、なんだか与六が師匠に思えるほどだ。

そして今日はまた新しい人間関係への第一歩。午後から会合に出席するため、あわててバス亭まで走っていたら、親子連れの地域猫が後ろからついてくる。小さな声でニャと鳴いて、バスに乗る私を見送ってくれた。マズイ! 世間離れしすぎて人間じゃなくなってきたかも(--;)

ポケットで震動したスマホを見ると、これから会う仲間から。連絡手段として使っているLINEのトークには新しい名前が並び、古いやり取りは下に落ちていく。新陳代謝ってこういうことなんだろう。

猫とまったりする日溜まりも幸せだけど、停滞から抜け出て走り出さなくちゃ。古いコートは脱いで、ピカピカの新品を着て、前に進んでいきたいと思う。



    このエントリーをはてなブックマークに追加

学校が夏休みに入った朝、10歳ぐらいの女の子が大きな段ボールをゴミ置き場まで運んでいる。階段のいちばん下まで着いて、背伸びをしながら手を振った。
「バイバーイ! 行ってらっしゃーい!」
遠くから呼応する若いお父さんの声。
「行ってくるよ〜」
顔は見えなくても返事があるって素敵なことだ。


image

住宅街のバス停に着いて、賑やかなセミの合唱を聴いていたら、斜め前のお宅から年配のご婦人の声がする。
「おはようございます。元気? あら元気じゃないの〜?」
誰に話しかけているのかな。
隣の家の人かな。
しばらくして、もう一人の女性の声がした。
「美味しいね、ありがとう」
きっと朝ごはんの一品をお裾分けしに行ったのだろう。顔は見えなくても、毎日気遣い合っている同士だと分かる。

でもこれは今どき珍しい光景なのかもしれない。

LineやFacebookで簡単にメッセージが送れるようになっても、相手に 迷惑をかけたことに対し、「ごめんね」の一言さえ送れない人がいる。
忙しいのか、面倒なのか、大したことじゃないと思っているのか。

小さな溝が、相手の心に渡れない深い川に広がる前に、挨拶はいつも交わしておくべきなんだろう。陳腐化した定型文で出すメールじゃなくて、ストレートな「こんにちは」だけで充分なのだ。
どうしているかなと思ったそのときに、交わすのが生きた言葉で届く挨拶だと思う。

そして都内に出かける今朝は、窓辺で鳥たちを見張っている与六に声をかけた。
「行ってくるね〜。ちゃんとお留守番しててね」
猫の金色の目がキラッと光って、ゆっくりとまばたき。「行ってらっしゃい」の合図なんだろう。

人間ではないけれど、我が家の唯一の家族。誰かと心が通いあった満足感は、幸先の良い一日を約束してくれる。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

およそ20年ぶりに、四方八方からの仕事に忙殺されている。先月の終わりからは、空が暗いうちに寝たことがなく、起きている時間 = 働いている時間だ。

仕事の打ち合わせ以外で誰かと会う暇は持てないので、心配した友人たちからは「無理しないでね」との励ましメッセージが届く。大丈夫! 身体も心も健康そのもので、頭の先から爪先までエネルギーがみなぎっている状態なのだ。

こんなにハイな気分になれるのは、好きなことをやっているからに他ならない。どうして寝なきゃいけないんだろうと、1日が24時間しかないことが恨めしくなる。嫌な仕事が続いたときは激痩せしたのに、今回は体重も変わらないのが不思議。

学生時代、編み物や洋裁が楽しくてたまらなかった私は、完成するまで寝ないことがよくあった。セーターを編み始めて、もう少し、もう少し・・・と言っているうちに夜が明ける。仕方なく学校へ行くけれど、授業が終わればすっ飛んで帰って、夕食もそこそこにセーターの続きに没頭したものである。

パソコンの自作に励んでいた40代も同じ。失敗しては一からやり直し、3日間かかって組み立てたマシンは、抱いて眠りたいほどだった。

その頃と今とが似た状態。趣味が仕事になってお金が入ってくるようになると、欲と向上心が湧いてくる。もっと知識を増やしたい、もっとスキルをアップしたいと、昨日の自分がライバルになって競争しているのだ。

flower

flower

梅雨に入って今年も、書斎の下にはオレンジのノウゼンカズラが咲き、紫のアガパンサスがポンポンと開き始めたけれど、花より団子、団子より仕事。長いあいだ忘れていたモチベーションが戻ってきて、脳内麻薬みたいな万能感をくれるのである。

ずいぶん人生を遠回りして、やっと背中を押してくれるものが分かった。それは「生産性」。
仕事でも趣味でも遊びでも、生産性のあることが好き。人間関係を仕切りなおしたのはそこに理由がある。
いつも同じ顔ぶれで飲んで騒ぐだけの集まりに参加するのがつまらなくなり、ワクワクすることを仕事に求めるようになった。ただし引きこもりとは違い、アンテナはいつも社会の新しい動向を見張って、次のハードルをもっと高めたいと思っている。

生産性とは個性を磨くこと。自分をうんと好きになれるように、やり残したことを後悔しないように、今年の後半は夢のセーターを、実現まで編み続けるつもりである。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

短気は損気と分かっていながら、どうにも腹の虫がおさまらないことがある。それは60代半ばの、現役をリタイアした男性から届いたメールだ。

都内での仕事帰りに寄ったちょい飲み屋で、隣にいたオヤジと話が弾み、名刺を渡してしまったのが失敗のもと。どんな男性がタイプかを聞かれ、「幾つになろうと、現状に言い訳するより、未来を夢見る男性が好き」と言ったことに対する反論が、わざわざメールで届いたのである。話を途中で切り上げて、帰ってしまった私も悪いのだけれど、この手の粘着質なタイプは独自な論理展開をする。

「現在の一般社会情勢の認識を経験者として申し上げます。夢は大事ですよ。ただ、夢を見てても、現実から脱出できるわけではないですからね。 現実に立脚して、夢の現実化に何が必要か?その手段と方策を考えなくてはなりません。その意味で、子供の夢と大人の夢は違います。大人になって、子供の絵を描けるのは天才だ!といわれますが、大人になると現実に目が行ってしまうので、絵がつまらなくなるということなんだと思います。」

なるほどね、分からないでもない。しかし、子どもみたいな夢を見る男性が好きだなんて一言も言ってないのに、なぜ一人で暴走しているのか不思議だ。大人になって絵がつまらなくなる言い訳にしか聞こえてこない。

しかもこのオヤジ、私の生活にまで難癖をつけてきた。住んでいるマンションの名前を知っているらしく、他人に貸せとか、早く売却して小さな部屋に引っ越したほうがいいとか、「お子さんとも相談されて」の尾ひれまで付いている。どうして私に子どもがいるって、勝手に決めつけるんだろう。

こうして腹を立てているとき、偶然にも「マンスプレイニング(Mansplaining)」という言葉を知った。man(男)とexplain(説明する)を掛け合わせた混成語で、男性が女性を見下したり、上から目線で何かを解説することをいう。知的ハラスメントと言ったほうが分かりやすいだろうか。

マンスプレイニングは私が思うに、サラリーマンを定年退職した年金暮らしの男性に多い。会社では部長だったかもしれないが、リタイアすればただのオヤジ。家庭では奥さんに疎ましがられる濡れ落ち葉だったりする。

80歳になろうと現役でバリバリ稼いでいる経営者には、この手のマンスプレイニング老人はいない。相手が若い女性であっても真摯に意見を聞き、上手に流し、上手に褒め上げることに慣れている。見た目も実年齢より若く、加齢臭など漂わせていない。

誰に何を揶揄されようが、今の住まいは自分で買ったもの。手放す気なんて毛頭ない。
家に戻って玄関のドアを開けると、マットの上で与六がお腹を出して待っている幸せ。リビングの灯りをつけて、テレビのスイッチを入れるときの安堵感。この環境を維持するために、よーし頑張ろうと徹夜するのも、自分が好きでやっていることだ。

yoroku

room

メールに返事は出していないけれど、イライラした分だけ人生の大切な時間をロスした。一日の大半を向かい合っているディスプレイの上には、私の夢を書いた紙を額縁に入れて飾ろう。腰が曲がったおばあちゃんになろうと、明日はもっと良くなることを夢見る自分でありたい。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ