文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

カテゴリ: 草花・季節・旅・自然

私が住んでいるマンションの敷地で、濃い緑の陰を作ってくれる樹木。それがポプラだと思い込んでいたのが、実はプラタナスだった。

ポプラの季語を探していたら発覚したのだが、両者とも季語がないどころか、葉の形が違う。
ポプラの葉は丸くて、大きさは6〜7cm程度。

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プラタナスの葉は3つに割れて、ポプラの2〜3倍もある大きさだ。

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そんなこと、今さらどうでもいいじゃないかと笑われそうだけど、私にとってはA型だと思っていた彼氏が、本当はB型だったというほどにショックが大きい。都内から引っ越してきて以来、十年以上も四季を共にしていると、人間のように愛おしい存在になっていたからだ。樹木への恋心とでも言うべきか。

プラタナス、和名は篠懸(すずかけ)。

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歳時記に載っている季語は「篠懸の花」のみで、季節は晩春。細かい花だから目立たないけれど、4月には枝から新緑が伸びて、またたく間に初夏を迎える。

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真夏の炎天下。微風でもサヤサヤと音を立てる葉は、にぎやかにお喋りをしているようだ。むせかえるような生々しい香りは、汗ばんだ母親の胸に抱かれているみたいな錯覚を覚える。

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日が短くなると真っ先に枯葉になって、地面を舞いながら吹き溜まりに転がっていく。茶色くなった葉をガサゴソと踏んで歩くと、晩秋が近いことを教えてくれる。

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木枯らしが吹く冬の入り口。スケルトンになったプラタナスの枝が、青空に残った白い半月を指さしている。
凍えていないかい?また明日も頑張ろうな!
真夏のサヤサヤも、秋のガサゴソもないけれど、裸ん坊たちが寒空に励まし合う声が聞こえるような。背の高いプラタナスが男っぽくて、いちばん逞しい季節。

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8月は後半に入り、今年もあと4カ月ちょっとになった。
残暑のなか、着々と散る準備を始めているプラタナスを見上げては、また来年も会えるよね?と声をかける。逝ってしまうのではなく、春には必ず戻ってきてくれる彼らは安堵をくれる存在。

これからは正しい名前で呼ぶからね。お喋りなボーイフレンドたちと一緒に暮らしていけることに感謝しながら、時の流れを静かに確かに感じている。
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立秋の昨日は、テレビが大騒ぎだった。マラソン選手の速度で日本列島を縦断していった台風5号は、ようやく日本海に抜けたらしい。

出されていた警報はすべて解除され、朝方のベランダから見上げる空は、グレーからブルーに移りつつある。

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風雨に晒された植木鉢も引っくり返ることなく、お盆休みの静けさが戻ってきた。

ミーティングで都内に向かうため、逗子駅に来たらホームはガラガラ。雨の代わりにセミの鳴き声のシャワーが降り注いでいる。

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隣のベンチで上り電車を待つお婆さんが、「暑いわね〜」と扇子でパタパタする風を分けてもらいながら、遠い昔に亡くなった祖母を思い出した。

私が小学生低学年のころ、家の裏手にある川が氾濫。避難指示が出たらどうしようと、戦々恐々としていた。

仕事が忙しい両親はきっと帰ってこないし、おっとりと少々間抜けな祖母は頼りにならない。

今は私が家の主なのだという責任感が芽生え、まずは家財道具を守ることにした。
いちばん高価そうなのは、父が大事にしているコンボーネントステレオ。裏に回ってケーブルを外し、アンプを手前のちゃぶ台に乗せかえる。

祖母の手を借りて、ウンウンと持ち上げているときにハッと気づいたのは、今までアンプを置いてあった台よりも、ずっと低くなること。
あまりのバカさ加減に二人で笑い転げ、そのあとは「まあ、何とかなるでしょ」の冷静さが戻ってきた。

幸いにも床上浸水にはならず、台風は遠ざかって、川の水も引いていった。外に出ると、堤防の向こうには夕焼け空が広がり、カナカナとヒグラシが鳴き始めている。

全く大したことはなかったのに、無事だったと思うと涙がこみ上げて、一人じゃなく祖母がいてくれたことに感謝した。

あれから何十年かが過ぎ、家も何度か引っ越して、今は逗子で一人住まい。災害時に不謹慎かもしれないけれど、あのとき一緒にあたふたした家族がいたことが懐かしい。

猫の鳴き声だけでなく、人間の喜怒哀楽が聞こえてくる家もいいな思う秋の入口である。

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今年は春の訪れが早い。1月のはじめに、「パワーグリーンが幸せの前兆をくれること」で写真を載せたシンビジウムが、蕾を弾かせていっせいに咲き始めた。例年より1か月以上早いうえに、大輪の花である。

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三寒四温という四字熟語そのまんまの気候。
昨日は南岸低気圧が通り過ぎた大荒れの空模様で、暴風波浪警報のアラームがスマホに届いたのが嘘のようだ。ポストに手紙を入れに行ったら、身体ごと吹き飛ばされそうになり、自然の驚異に平伏していたところである。

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強風にしなって、激しく揺れていたパームツリーたちは、夜があければ何事もなかったかのように、のほほんと太陽を浴びている。白波が立っていた相模湾は穏やかな水色に戻り、とんびの鳴き声がピーヒョロロと空に響く。

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右向け右とばかりに、みんなが春に向かっていくなか、私は例年通りの書斎ごもり。都内での行事には欠席の返事を出して、昼夜パソコンの前が定位置になっている。

ストレスが溜まって、以前なら「飲みに行きたいな〜」と恨めしい気分でいたのが、今はちょっと変わったかも。昨年の5月に立ち上げたファッションブログのために、原稿書きの合間を縫って、服のコーディネート写真を自撮りするのがストレスの発散となった。おかげで一日一食となってしまったが、好きなことが食欲に勝るのだから仕方がない。毎日1,000を超え、多い日で2,000のアクセスを頂いているのも励みになる。

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金魚のフンみたいに私の後を引っ付いてくる与六が、キャットタワーから興味深げに様子を眺めて、「ニャ?」と声をかけてくる。
仕事しなくていいのかニャ? お腹は空いていないかニャ? 眠くないかニャ?

はいはい、心配してくれてありがとう。心も身体も元気です。
年齢的にはずいぶん出遅れたけれど、子どものころから大好きだったファッションがもう一つの仕事になりつつある今は、人生も三寒四温。幸せな春に向かっていることだけは間違いない。
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窓が南東に面したわが家のリビングは、夜明けから光がいっぱい。夜は私の隣でイビキをかいていた与六は、日だまりの中でごろんごろんと二度寝をむさぼっている。

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バスの時間が近づき、薄手のコートを着て飛び出すと、思いもよらぬ外気の冷たさに背中が丸まる。何十年と生きてきたのに、いまだに三寒四温の感覚がつかめず、訪れる春はノートの1ページ目のごとく真新しい。

賑やかにお喋りしているみたいに、水仙の花たちが風に揺れ、光と影がチラチラ動くのを、急いで写真に撮った。

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晩春の季語に「春近し」ということばがある。冬の終わり、春の近い訪れを待つ心であり、植物も動物も人間も目覚めの時を待っている。


「日あたりて 春まぢかなる 春の土堤(どて)」 山口 誓子

あと3日もすれば、歳時記は冬の巻から春の巻に替わる。私も本格的に逗子に引っ越してきてから10年。歳を取った以外に十年一昔の軌跡はないけれど、人間関係という宝物は格段に増えた。

不思議なこと。離れて行った人は追わずにいたのに、何の縁か彼らがひょんなきっかけで戻ってくる。アドレス帳から削除しなくて良かったと思いながら、人との繋がりに「春の再構築」を感じているこの頃である。

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1月5日から小寒に入り、暦通りの寒い日が続いている。私は風邪がぶり返して、熱は下がったものの、咳と鼻水が止まらない。先ほどかかってきた電話にも、返事をしようとしたら声が出なくて、息だけで「喋れませんが、聞こえています」とささやくのが精いっぱいだった。

明日は葉山マリーナで安全祈願祭があるけれど、これじゃヨットは絶対に無理。しかも味覚と嗅覚が使い物にならないので、食べ物の味が分からず、船内での宴会にも参加できそうにない。

身体がだるいお昼過ぎに、なにか栄養のあるものを口に入れなくてはと起き出し、ベランダの植物に水をあげた。目を覚ましてくれたのは、鉢植えのシンビジウム。去年は1本しか出なかった花芽が、今年は3本も出ているのだ。

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昨年4月のブログ「明日起きるかもしれない大災害」に書いたように、このシンビジウムは不思議なことに、大地震がある年には花芽が減る。2011年・東日本大震災の前には花芽が全く出ず、2016年・熊本地震の前には1本だけ。天変地異と因果関係があるのかは不明だけれど、今年は3本、それもこんな早い時期から花芽が出たのは何か良いことを察知しているのだろうか。

鉢の植え替えもせず、栄養も与えず、雪の降る日だってベランダに出したままなのに、健気に育ってくれるシンビジウムは、私のパワーグリーン。蕾は順調に膨らんで、春になったら大輪の花が咲くのは確実だ。

しばしベランダから景色を眺め、新春の陽光を届けてくれる空を見上げる。植物も人間も、何か大いなるものに守られ抱かれて生きているんだろう。病は気から。早く風邪を治して、逗子の宗泰寺に「気心腹口命」のご印施を戴きに行かなくてはならない。ちょっと鈍ってきた精神力を復活させるために、再び断酒を始めようかと思っている。

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