昭和から平成に変わった日を思い出して

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平成最後という言葉を聞き飽きた頃に、もうすぐ令和へのシフトがやってきます。4月30日から5月1日への変わり目は、大みそかの比でないカウントダウンになるのでしょうね。  

 
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今から30年と数カ月前、昭和から平成に変わったときはとても静かな朝でした。昭和天皇が崩御されたのは1月7日の午前6時33分。私はそのニュースを聞いた後、家から大通りに出てタクシーを拾いました。土曜日の朝だったからか、それとも皆テレビに釘付けになっていたからか、やたら人も車も少なかったのを覚えています。

タクシーで向かった先は、恋人の住まい。徹夜仕事が終わり、どうしても私に逢いたいと電話をもらって、パジャマにコートを羽織って部屋を出ました。お天気は曇りだったせいか、周りの色はグレーの記憶しかありません。無味乾燥な冷たい空気を吸い込んで、長かった時代の終わりを実感するとともに、2人の恋も終わらせなければと思っていたのです。

彼とは続けていくことを祝福される関係ではなく、前年のクリスマスの夜、私はサヨナラをするための姑息な手段を取りました。新しい彼ができたからとダミーを見せつけ、待ち合わせ場所に彼を1人残して去ったのです。それきり連絡は取らずにいたのに、昭和天皇の崩御の朝に電話をもらい、我慢できずに駆けつけてしまった・・・。最後の逢瀬です。どんなに好きでもダメなものはダメと決めて、少し話をして家に戻った覚えがあります。

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若くて愚かで思い上がっていた私は、それからも様々な恋をしました。ただし長続きすることはなく、別れを切り出すのはいつも自分から唐突に。おそらく恋をしている高揚感が好きなだけであって、本来は他人との協調性がない性格なのでしょう。

今はもうお世辞にも若いと言われない年齢になり、私がお付き合いした方たちの数人は、あちらの世界に旅立ってしまいました。いつも寝る前には手を合わせて、仏様になってしまった彼らの名前を呼び、「ありがとう」の後にお願いごとをします。「まだそちらには行かないから、現世にいる私を応援してくださいね」と虫のいいお願いです。

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 そんな折にビックリすることが。仏様として名前を呼んでいたうちの1人が生きていて、ご高齢ながら活躍しているのをネットで知りました。何度も結婚し、何度も大病を患い、何度も事業を失敗して、また再起をかけて頑張っているのだとか。私の父と近い年齢なのにです。

彼の記事を読んで、ノスタルジーに浸ってる場合じゃないと一念発起。連休中は改元フィーバーには参加せず、新しいことを始める10日間にしようと思います。

それが仕事なのか恋なのか、六十の手習いなのか、幾つかのリフレッシュプランの中から選択して、令和の自分を生きてみるつもり。
 
改元とは本来の誕生日の他に、もうひとつ誕生日を持てることかもしれません。世界にただ一国のみ、元号のある国に生まれて良かったと思っています。

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