学校が夏休みに入った朝、10歳ぐらいの女の子が大きな段ボールをゴミ置き場まで運んでいる。階段のいちばん下まで着いて、背伸びをしながら手を振った。
「バイバーイ! 行ってらっしゃーい!」
遠くから呼応する若いお父さんの声。
「行ってくるよ〜」
顔は見えなくても返事があるって素敵なことだ。


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住宅街のバス停に着いて、賑やかなセミの合唱を聴いていたら、斜め前のお宅から年配のご婦人の声がする。
「おはようございます。元気? あら元気じゃないの〜?」
誰に話しかけているのかな。
隣の家の人かな。
しばらくして、もう一人の女性の声がした。
「美味しいね、ありがとう」
きっと朝ごはんの一品をお裾分けしに行ったのだろう。顔は見えなくても、毎日気遣い合っている同士だと分かる。

でもこれは今どき珍しい光景なのかもしれない。

LineやFacebookで簡単にメッセージが送れるようになっても、相手に 迷惑をかけたことに対し、「ごめんね」の一言さえ送れない人がいる。
忙しいのか、面倒なのか、大したことじゃないと思っているのか。

小さな溝が、相手の心に渡れない深い川に広がる前に、挨拶はいつも交わしておくべきなんだろう。陳腐化した定型文で出すメールじゃなくて、ストレートな「こんにちは」だけで充分なのだ。
どうしているかなと思ったそのときに、交わすのが生きた言葉で届く挨拶だと思う。

そして都内に出かける今朝は、窓辺で鳥たちを見張っている与六に声をかけた。
「行ってくるね〜。ちゃんとお留守番しててね」
猫の金色の目がキラッと光って、ゆっくりとまばたき。「行ってらっしゃい」の合図なんだろう。

人間ではないけれど、我が家の唯一の家族。誰かと心が通いあった満足感は、幸先の良い一日を約束してくれる。