書き下ろし短篇『七夕飾りの黄色い輪』

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「うちの子、来年からは小学生なのよ。1LDKの借家から引っ越して、子ども部屋のあるマンションを買いたいと思ってるの。ほんとは専業主婦でいたいんだけど、早く頭金を貯めたいからね。主人と一緒にプランを練りながら働いています。もうすぐ課長に昇進するらしいから、お給料には期待してるの」

仕事を終え、保育園に息子のお迎えに行く夕方の路線バス。学生時代の女友だちにLINEを送って、ふうっと溜息をついた。送ったメッセージの半分は嘘だからだ。マンションを買いたい気持ちは本当だけど、夫が課長に昇進するはずはない。部下の失敗をかばって上司と喧嘩し、2週間前に会社を自主退職したばかりなのだ。

 

楽しみにしていたボーナスも貰えず、予期せぬ一大事だというのに、家でダラダラしている夫を見るとムカつくばかり。なんとか次の働き口を見つけてくれなきゃ、小さな会社の事務をやっている私の給料だけじゃ生活できない。

「ハローワークに行ってきて! 働き口が見つかるまでは帰ってこないで!」と、今朝は玄関の外に背中を押し出したけど、仕事は見つかったかな。人の良さだけがとりえの夫はいつも、おっとり、のんびりの人。でもね、優しさだけじゃ人間は生きていけないのよ。恋愛時代には大好きだった性格が、今はいちばん嫌いな部分になった。

息子の手をひいて家に戻ると、夫は戻っていてカレーの匂いがしている。独身時代に覚えたという唯一の得意料理だ。エプロンなんかして、お皿に取り分けているカレーの具をみたら、なんと牛肉が入っている。家計がピンチだっていうのに、もしかして仕事が決まった?

カレー

声をかける前に、夫が答えを言った。
「いい仕事がなくてね。ごめん。でも今日は暑かったし、君はイライラして忙しいし、みんなで元気をつけなきゃと思って奮発したんだよ」
それからは沈黙の食卓。「パパ、おいしいね~」と喜ぶ息子の笑い声だけが、狭い1LDKに響いている。

理数系の大学を出て、頭はいいくせに要領の悪い人。いつも貧乏くじを引く人。それが夫だ。同期が先に出世するのをニコニコと喜んでいる様子を見るにつけ、離婚も視野に入れなきゃと考えていた矢先のハプニングだった。明日の晩から実家に帰って、両親に今後のことを相談するときがきたと、横目でカレンダーを見た。

「明日は花火大会だよ!」。息子が7月7日を囲った赤い花丸を指さした。ああそうだ、今年も近くの川岸で、市が主催の花火大会があるんだった。この子が楽しみにしてるんだから、実家に戻るのは翌日にしよう。
「明日は私、花火のときに食べるお弁当の準備があるから、保育園のお迎えに行ってちょうだいね」
夫の返事も聞かないまま一方的に命令して、また沈黙の夜が続いていく。

 

合図花火

ポンポン、ポポンポン。あくる日は朝から、花火の開催を知らせる音花火が聞こえてくる。息子の送り迎えを夫に頼んで、もしかしてこの家で過ごすのは最後かもしれない金曜日になった。事務の仕事は定時に終わり、駅の近くのスーパーでお弁当用の食材を選ぶ。

スマホのランプが光っているのに気付き、見てみると夫から。急用ができて保育園にお迎えに行けなくなったというのだ。折り返し電話をしても繋がらず、私の怒りは頂点に達した。出世しないダメ人間だけじゃなく、約束すら守れないクズ!
スーパーの籠に適当に食材を放り込み、慌てて息子のお迎えに行き、家に戻って料理をしてタッパーに詰めて、あっという間に花火大会の開催時刻が近づいてきた。

 

「パパは?」と何度も聞いてくる息子を無視して、ぐいぐいと手を引っ張って川岸まで急ぐ。出遅れてしまい、私たちが敷物を敷いて座れそうな場所は、人の頭が並んだ後ろのほうしかない。これじゃ花火が上がっても、お弁当どころじゃないよね。

その時にピピピーッとホイッスルの音がした。警備員がこちらに向かって走ってきて、「あっちあっち」と前方を指さす。観覧席の一番前にカラーコーンで囲まれた一角があり、私たちにそこへ行けと言っているのだ。帽子を目深にかぶった顔を見たら、え、え、あなた!?

いつの間にやら、警備会社の臨時社員として就職していた夫は、花火大会の今夜が初仕事。本当はビルの夜間警備につく予定だったのを、無理やりお願いして花火の警備に回してもらったらしい。ずっと私の機嫌が悪いので、何か喜ばせるとびきりのサプライズを考えていたのだ。息子と私の特等席。

花火

「僕のせいでボーナスがもらえなかったし、君が楽しみにしていたバーゲンにも行けなくなっちゃったしね」。花火が終わったその晩、お弁当に詰めた料理の残りを食べながら、夫が何度も「ごめん」をくりかえす。そんな私たちを気にもせず、息子は保育園から持ち帰った七夕飾りに、さらなる飾りを取り付けるのに夢中だ。

「ほら、パパママ。こんな大きな輪っかをつけたよ」
折り紙の短冊に混じって、笹にぶら下がっている大きな黄色い輪は、警備員の腕章。夫が着ていた制服から外して、笹の枝のいちばん高いところにくくりつけたようだ。君たちを見守っているよと言わんばかりに、天井近くでエアコンの風にクルクルと回っている。

 

それから一カ月後。夫は警備員をやめて、新しい会社に就職した。もっと前に退職していた先輩が立ち上げた会社で、産業新聞にも掲載されるほど業績が急上昇している企業だ。幹部として誘われていた夫は、元の会社をやめるタイミングを図っていたのだという。

家族全員の笑い声が戻ってきた我が家。七夕はとうに終わったけれど、息子の七夕飾りは部屋に飾ったまま置いてある。あの黄色い腕章がお守りみたいに思えて、見るたびに夫に惚れ直してしまうからだ。

マンション購入の頭金を貯めるまでには、あなたに負けないよう、私も一生懸命働くからね。これからもよろしくお願いします。
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」と頭を下げる夫の優しさは、出会った頃から変わらない。パートナーがこの人で良かったと思えることが、今年いちばんのプレゼントとなった。

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tanabata

昨日、会議で東京に向かう途中、駅の構内に七夕飾りを見つけました。もう7月7日なんですね。
ハードな仕事が続いて睡魔に襲われているけれど、今年で途切れることのないように、毎年アップしているラブストーリーを書き上げました。11回目となった今年は、小さな子どもがいる家族3人の物語です。お気に召したら、拍手ボタンを押してくださいね。

コメント

  1. RIO より:

    ご多忙な中、新しい短編をアップされたことに敬意を表します。

    (勝手な想像ですけど)この話、警備員の夫が花火大会の特等席をプレゼントして、直も新たな就職先(=生き方)を模索して悪戦苦闘している……と言う終わり方だったらどうなのでしょう?その姿を日々見守っている妻と子の眼に七夕の黄色い飾りが黄金のような輝きを増していく……みたいな。

    実際、自分の周囲にこのような悪戦苦闘している男たち、挙げ句の果てに妻子が実家に帰ってしまったとか、自宅マンションから追い出されアパート暮らしを余儀なくされている等々いるもので……。金の切れ目が縁の切れ目かよって声も聞かされたりしたので、ふとこんな感想を思いました。

  2. yuris22 より:

    RIO様

    コメントをありがとうございました。
    最初はRIOさんの線も考えたんですが、短編かつハッピーエンドのストーリーなので、誰もが喜ぶパターンにしました。
    せちがらいのは現実だけで充分かな・・なんて思ってます。

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