エアコンがなかった時代に想いを馳せて

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逗子駅始発の湘南新宿ライン。いつもの端っこの席に座ると、鞄からストールを取り出して肩に羽織る。JRの車両は冷房が効きすぎて、長く乗っていると鳥肌が立ってしまうからだ。

次の鎌倉駅から乗ってきたオバサマたちが、口々に「寒いわねえ」。私もさすがにこの歳になると、冷え性に悩む女性たちの仲間入りをしたようだ。

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小学生の頃、我が家にエアコンはなかった。汗をかいて学校から帰ると、まずは扇風機のスイッチを「強」に入れる。風に向かって声を出して遊ぶのが習慣で、「あ~」という声が「あ゛~」と震えるのが面白かったのを思い出す。

玄関先から友だちの「あ~そ~び~ましょ」という声がして、また夏の日盛りに飛び出していくのだけれど、海風が止まる夕なぎの時間になっても、熱中症になる子はいなかった。

地球温暖化の影響だろうか、それとも科学が進化した快適さに慣れたせいだろうか、私たちは暑さ・寒さにやたらと敏感になったように思う。

生命を危機に陥れる病原菌は別として、人間にはもともと自然治癒力が備わっている。風邪をひけば熱を出すことでウイルスと戦うし、食あたりすれば下痢と嘔吐で危険物を外に出す。なのにクシャミが出た程度で薬局に走り、この症状は癌じゃないかと病院の待合室は長時間待ちになる。

「なんくるないさ」と笑い飛ばして、来るべき時に寿命を迎えた昔の人たちはとても強かった。身体以上に心はもっと強靭で、苦労を飄々と迎え撃ったのである。誰もが貧しかった終戦直後の日本を語る人はだんだん少なくなり、その後の打たれ弱い高齢者たちが文明の快適性さにお金を注ぎ込む時代になった。

動物は生まれながらにホメオパシーが備わっている。ベランダに出るとプランターの葉っぱを食べて、お腹に溜まった毛玉を吐き出す与六。毎日ひなたに寝転んで、毛をモフモフにさせながらビタミンDを生成している姿を見習って、私も神様から授かった本来の健康体でいたいと思う。

今年はエアコンなしで行こうと、物置きから扇風機を引っ張り出して、果たして我慢できるかチャレンジの夏である。

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