立秋を過ぎて急に涼しくなった。久しぶりにホットコーヒーを入れてゆったりとした午後を過ごしている。外を眺めれば盛夏の象徴みたいな夾竹桃も花が僅かになり、夏休みの終わりを迎える小学生の頃を思い出す。二学期に提出する宿題はないけれど、解決のつかない人生の宿題はどうしたものか。数々の分岐点での選択に、こんな生き方で良かったのかとちょっとナーバスな気分だ。

20140809

「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)

台風が近づいているせいかお盆休みなのに子どもの声が聞こえず、セミの鳴き声を除いては静かな土曜日。秋の歳時記をめくりながらお気に入りの句を探している。物書きの自虐さ、自分を切ない想いに追い込むのが大好きな性分にとって、秋の歳時記は物侘しい言葉の宝庫である。

「今朝秋や見入る鏡に親の顔」(村上鬼城)

今朝秋、今朝の秋とは立秋の日の朝をいう。さらに一歩踏み込んでの今朝秋は、真夏の夜の夢から醒めて我に返った朝みたいなイメージを持つ。人が歳を重ねるのは誕生日ではなく、若さがひとつ終わったと感じる初秋の一日ではないだろうか。季節は更け、人間は老ける。自然界に生きている当たり前の現象がやっぱり物侘しい。


「頼まれしことに励みて新涼に」(星野立子)

「涼し」が夏の季語なのに対し「新涼」は秋の季語で、初めて涼しとも言う。何もやる気が起きない猛暑が遠ざかると、頼まれごとに手を出す余裕が生まれてくる。昨日の打ち合わせで「困った」「どうしましょう」を連発していた相手を救うべきかどうか。儲けにはならないけれど、まだ自分が人の役に立つことを確かめるべく、一肌脱いでみましょうか。でもその前に・・。

「立秋の夜気好もしく出かけけり」(高浜年尾)

17時を告げるチャイムは「さあ、飲みに行こう!」の音。久々に感じる空腹にソワソワしつつ、今夜は焼酎のお湯割りにしようと決めた。人恋しさが際立ち、ほっとするぬくもりが欲しくなるのも立秋。ピーヒョロロロロと鳴く哀愁のこもったトビの声が夕空に響いている。