82歳のフランス人と旅した被災地(中篇)

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朝の気仙沼港は雲が低く垂れこめて、霧雨が本降りに変わろうとしている。私たちは9時にホテルを出発、気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」に向かった。ここには家庭に事情のある子どもたちが入所し、現在は3歳から18歳までの51名が暮らしている。

この施設は地震でタイルにヒビが入ったり地割れしたりの被害を受けたが、高い場所にあるので津波は到達しなかった。しかし電気・水道のライフラインが止まり、10日後の夜に電気が回復して初めて、大津波の映像に驚愕したのだという。何が起きたか分からないまま生きた心地がしなかったのは2昼夜に及んだ大火災で、すぐそこで街が燃えているように見えたそうだ。

ホールで身を寄せ合って生活したのは子どもたちと職員に加えて、避難してきた地元の人たちの合計140人。食料の備蓄は子どもたち3日分しかなく、3食を2食に減らして先が見えない不安と戦った。この施設は津波の避難所には指定されていないため救援物資が届かず、自衛隊が確認に来てくれたのは震災から1週間後、大口の支援があったのは2週間後だったそうだ。それでも人間がいっぱい集まっているとお互いが支えになり、気持ちが楽になる。心のケアを必要とした人は誰もいなくて、むしろ仮設住宅に独りで入ってからが寂しくなる人が多いのだという。

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今回私たちは午前中の訪問だったので子どもたちには会えなかったが、職員の皆さんが大歓迎してくれた。サイズいろいろの自転車とヘルメット、パソコン、そして前と後ろに可愛いロゴの入ったフランス製Tシャツの贈呈式は笑顔でいっぱいになった。サンジロンは自転車ロードレースの世界最高峰「ツール・ド・フランス」の第9ステージ出発点であり、背中側にロゴの使用が特別に認められたのである。

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記念撮影を終えると出発の時間。気仙沼から釜石に向かうため、まずは盛駅までバスを利用する。駅の窓口でBRTのチケットを購入して待っていると、岩手県観光PRキャラクター「わんこきょうだい」が描かれたハイブリッドの赤いバスがやってきた。

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ダンプカーが行き交う国道45号線を経由して、盛駅までの所要時間は75分。途中で「奇跡の一本松」という停留所の名前に車内がどよめいた。「どこにあるの?」と窓に張り付きながら、道路の両側は土の山だらけで殺風景なことに気付く。街ごと津波で流された跡地には、地面の嵩上げに盛り土をするため、土砂運搬用ベルトコンベアが設置されている。呆然としていると次の停留所は「陸前高田」。プレハブの市役所脇にバスが止まると、数名のお客が無口に乗り込んできた。

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「下船渡」「大船渡」と停留所を過ぎつつ、道路が狭いので一方通行か思っていたら、なんと線路敷地を改築したバス専用道なのである。駅のホームは残っていても線路はなく、代わりに舗装された道路をバスが走る。終点の「盛」に到着して運転手さんにチケットを渡しながら、ここを毎日往復している気分はどんなものだろうと切なくなった。

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旭が丘学園の理事長が気仙沼の水産業について話していたことを思い出す。「魚の加工工場をやっと再建して商品を作っても、お得意様だった店には既に他の業者の商品が入っているので間に合わない。そこに今度は地面の嵩上げが必要だと言われると、建物を取り壊さなくちゃならない。2階の高さまで土が盛られますからね。津波や火災だけじゃなく借金まで、みんな二重三重の被害でやっていけなくなるんです」。

被災地の現実は実際に足を運び、この目で見て、この耳で聞かなければ分からない。釜石で津波の被害に遭った老人ホームへの訪問については、後篇に綴ることにする。

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