人間関係をぶち壊す「ご注進」続編

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今日は春のように麗らかな天気。早めに仕事を切り上げて散歩に出ようとしているところに、友人から「○○さんのことで頭にきてるんだけど、聞いてくれる?」と電話が入った。怒りの矛先は、私が昔よく通っていた飲食店の店主。もう2年に渡り足を踏み入れなくなった理由は、当時のブログに載せてある。

この年末年始に嫌な目に遭ったと長い愚痴を聞かされた後、始まったのは「貴女の事をひどく悪く言ってたよ」と、2年前をぶり返すご注進。店主が私の名前を挙げ、「アイツには友だちは誰もいない」「逗子じゅうの店で出禁になっている」と毒づいていたという。へぇ、そうなの?と笑い飛ばして電話を切ろうとしたが、どれだけの悪態をついたかを何度も繰り返して聞かせてくれる。おかげで楽しみにしていた散歩タイムはお預けとなった。

 

性善説を唱えた孟子は「往く者は追わず、来る者は拒まず」の名言を残した。もともとは自分の弟子が罪を犯したとき、それを咎めた役人に対して言い返した言葉だそうだ。せめぎ合いながら生きていく人間社会で、慌てず騒がず、度量の大きい人物でいることは難しい。波紋を広げないために最も簡単な方法は、動じずに「放っておくこと」であろう。過去に執着すればするほど手かせ足かせとなり、未来に向かって進めなくなる。

 

根に持つタイプが熱心に掘る穴は落とし穴であり、自分が落っこちる自己正当化という墓穴。客の悪口を言う店主がいる店は、他の客も敬遠するのが自然の摂理である。だから放っておけばOKで、ご注進も馬耳東風だ。「真の友人は正面から君を刺す」(オスカー・ワイルド)の名言のように、後ろから刺すような友人は要らない。

 

さてさて、下の動画は私の大親友である与六。年末に飲み仲間たちと温泉旅行に出かけたときは留守番の腹いせにクリスタルの花瓶を割ってくれたが、昨日は窓辺の虫を追いかけてソーラー式ランタンを壊した。今回は壊すところを正々堂々と見せてくれたわけで、卑怯者ではない猫であることを認めるとしよう。

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