家族で囲む食卓

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いつもなら独りで過ごすお正月。今年はリビングルームに家族の灯が戻ってきた。
といっても父は介護施設にいるし、母は数十年前に家を去ってしまったので、本物の一家団欒ではない。

 

笑い声を運んで来てくれたのは、日々仕事に追われる友人とそのお母様。
私の父と同学年というお母様は、足が不自由でここ十数年は旅行したことがないそうだが、幸い我が家はバリアフリー。しかも森林と海が間近な逗子は、心身を健康にさせる「気」の宝庫である。
暮れにアメ横で買い込んだ食材を役立てるためにも、ぜひにと誘って泊まりに来て頂いた。

 

1人っ子であり親も離婚・自分も離婚の私には、親戚がほとんど居ない。
誰とでも仲良くなる自信はあっても、ご年配のご婦人と向かい合うのは久しぶりで、お互いに緊張気味。
お茶ひとつ入れるにも薄めがいいのか渋めがいいのか、もしかして私に気を使って自分の好みを我慢してるんじゃないのか、余計な配慮が先回りする。

 

大皿に残った最後一枚のお刺身。
冷えた身体を温める一番風呂。
ベッドから起き出して物音を立てる時刻。
一つ屋根の下の第一段階は、ぎくしゃくとした譲り合いだ。

 

食器の在り処を知って、勝手にお茶を飲んでくれた第二段階。
外泊先では絶対に無理だった「お通じ」があったと喜んでくれた第三段階。

 

「ゆり子さん、梅干ある?」
遠慮なく私の名前を呼んでくれたことが第四段階。記憶の彼方にある懐かしい時間が戻って来た。
あの日の朝の台所では、祖母が納豆をかき回していたっけ。
広げた新聞紙から出た手に、母がお湯飲みを渡していたっけ。
家族の食卓に味噌汁の湯気が立ちのぼる。いつも女たちの笑い声がしていた。

 

うちに滞在して足の痛みが無くなったと喜ぶお母様。
送る言葉は「さようなら」ではなくて「いってらっしゃい」にしよう。
私の母ではないけれど、もう二度と出来ないと思っていた親孝行が出来た嬉しさ。
東京に向けて遠ざかっていく車に手を振りながら、神様のプレゼントに感謝した。

コメント

  1. たけぞう より:

    人のために何かをして、心から喜んでもらえたら本当に嬉しいですね。気持ちの上ではこちらの方がむしろ感謝したくなります。

    yuriさんにはまたそれが年配の女性通しで、母を思い出し、あるいは姑を思い出し(?)懐かしかったのですね。男性とはまたちがう感じなんだろうな。

  2. mie より:

    ステキなお話です。
    私もあまり家族に縁がなかったので、お嫁に行ったら絶対お義母さんと本当の娘みたいに仲良くなりたいと思っています。今の彼のお母さんはなかなか手ごわいらしいですが・・・
    彼が長男で将来は面倒をみたいと言っているので、私もお手伝いできればいいな、と思います。

  3. yuris22 より:

    たけぞう様

    人の幸せより自分の幸せを考えたら?と言われます。
    でも私の小さな努力で「本当に良かった、楽しかった」と喜ばれることが、
    イコール自分の幸せだと思うのだから仕方ありませんね(^_^;)

    私もどんどん年老いていきます。
    未来のお手本となる女性には敬意を表して、生きてきたコツを教えてもらいたい。
    素晴らしい収穫を得た年始めでした。

  4. yuris22 より:

    mie様

    数日間の間に縮まった言葉の距離。
    「お母様」→「お母さん」
    「○○ですよね」→「○○だよね」

    キッチンで洗いものをしている音にも負けず、次々と話しかけてくれる
    親愛度が嬉しかった。

    誰の親であろうと「お母さん」と呼べることが最高の贅沢でしたよ。
    mieさんもきっと上手く行くことを私が保証します(^_^)

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