February 2008

February 29, 2008

何歳になったら隠居する?

経営者や医師、弁護士など、俗に言うエグゼクティブが集まる宴会に参加した。
後半になってアルコールが回ってきた頃、話題の焦点は「いつ現役を引退して、遊んで暮らせるようになるか」。都心にビルの1つでも建てて、家賃収入で趣味の暮らしをするというのが理想らしい。

私の周りを見渡せば、確かにいるいる。
学生時代から起業して、昼夜2つの会社を365日フル回転で動かし、40代半ばで隠居生活に入った男性。賃貸マンションを3戸建て、家賃の入金チェックをするだけで、後はレジャーに温泉、飲み歩きの毎日だ。

もうひとりは親の資産を受け継ぎ、銀座のど真ん中に商業ビルを持つ男性。週の半分ぐらいは社長室に出勤しているものの、あと半分はゴルフ三昧。夜は女の子たちとのデートに明け暮れている。

この2人に共通するのは、物忘れの激しさ。相手の話を遮り、毎度同じ自慢話を繰り返す。寄って来るのは陰で舌を出しながら、煽ててお金を引き出そうとする太鼓持ち共だ。

雑誌で日野原重明氏のインタビュー記事を読んだ。現在97歳、「百歳社会開発医」として生涯現役を宣言し、2005年には臨床医として初の文化勲章を授章している。

彼が寝るのはいつも深夜2時。1日18時間をフルに使い、手帳には海外出張など3年先までの日程がびっしり書き込んであるという。
「だから私は死ぬわけにはいきません」と、歳をとっても目標を持ち、勇気を持って実行する『輝いて生きる』ことをモットーとしている。

プロフェッショナルとして職業に命を賭け、生涯勉強し、プライドをもって行動する人生。
『隠居生活』なんていう言葉は、彼の口からは出てきようもない。

明日から3月。
桜の固い蕾たちは、あと1ヵ月後の開花に向けて光を浴びている。
木の葉を落とし厳しい冬に凍えても、何度でも繰り返す再生。樹木たちは老木となっても一生現役なのに、どうして人間だけ人生の春が一度きりなのか。

肉体は年老いた分、心は経験を積んで日々進化している。
遊んで暮らす隠居生活ではなく、キャリアを社会に還元する隠居生活であるなら、頭の惚けも遠ざかるだろう。

自分の使命は何なのか模索してきたけれど、輝く目標を定めるにはまだ遅くない。


February 26, 2008

プロフィール画像を替えた理由

プロフィールの画像を現在から過去へ替えた。
下の画像の左側から右側へ、子供の頃に父と収まったツーショットだ。発売1日前に無理やり手に入れたフェアレディZをバックに、ボディカラーと同じ色の服で写っている。

profフェアレディ


レンズを向けたのは、父の浮気に耐え切れず新しい人生に走って行った母。
私は両腕に抱きかかえた仔犬に目を落とし、普段は不仲な両親がニコニコとドライブする休日を持て余している。

この日、日本に1台しか走っていないオープンカーは振り向く人たちに誇らしい。
風に揺れる水色のスカートも白いソックスも、新品の匂いが嬉しい。
でも記憶に全く残っていないのは何故だろう。

スピリチュアル感覚に長けたマイミクさんの日記を読んで分かった。
私はずっと「愛情返し」を求めていたのだ。

一人娘を何処に出しても恥ずかしくないレディにするため、自分たちは困窮しても贅沢を教えたし、英才教育、マナー教育、経営者教育、味覚教育、嫁入り修行まで、いつもいつもお勉強だった。

でも足りないものがひとつ。
わがまま娘には「ねえねえ、聞いて」と、今すぐ話しかける相手がいない。
暮らしの向上のためか借金返済のためか、働き続ける両親はいつも忙しくて家を空け、帰っても疲れきっていた。
時々は母がキッチンに居てくれたら、父も週に2〜3度ぐらいは帰って来てくれたら・・。
2人の話し声が深夜に聞こえるスペシャルナイトには、邪魔するのが申し訳なくて寝たふりをしていた。

愛を試そうとする自分を恥じるのが、私のインナーチャイルド。子供時代から引きずっているトラウマだ。

ポジティブ100%を謳っているくせに、暗いことを書いちゃったかな。
人の顔色、ひいては恋人の顔色を見すぎてしまう私の癖は、愛情返しを求める癖だ。それを分かってと強要はしないけれど、1人で求めて1人で冷めてしまう繰り返しはもう避けたいと願っている。

たぶん私と似たような、ひとりぼっちさんは沢山いるだろう。
でもそれは「ひとりぼっち」でなくて「ひとりよがり」や「ひとり相撲」かもしれないね。

プロフィール写真を替えた理由。
誇らしげな父とシャイな娘にレンズを向けている母、ここに3人が存在しているから今の私がいるのだと、改めて自己紹介にしたいからだ。

この当時の両親の年齢を超えた今、彼らの心の弱さを理解して書ける物書きでありたいと思っている。
2人のぎこちない愛情へ、娘からの「愛情返し」は今からでも遅くない。ありがとう!・・って、照れずにもっと早く言えれば良かったな。

February 24, 2008

がんの緩和ケアに願うこと

三寒四温が続き、渇きを癒す雨が降り、待ちかねた桜が咲く。春の訪れにワクワクするこの季節が、私には悲しみのリフレインになり心身が不安定になる。

今日、NHKスペシャルの『最期の願いをかなえたい〜在宅でがんを看(み)取る〜』を見た。
死が刻々と近づいている末期がん患者たちとその家族。
年老いた夫を気遣って自殺したいと思う寝たきりの妻、若くして余命1ヵ月の息子にどう接すればいいのかと悩む両親・・、緩和ケア専門の診療所を立ち上げた医師に密着取材したドキュメンタリーである。

末期がん患者に付き添うことはとても辛い。
2年前亡くなった私の恋人は、死の1週間前まで自ら車を運転して医者の門を叩き続けた。
辛ければ部屋に篭ったきりか、体調が良ければ外に出てしまう家長に、家族は戸惑った。
死に目も立ち会えなかった恋人は、彼の身体が冷たくなってしまったことが未だに理解できない。

まさか自分が?の末期がん患者に「もう諦めなさい」と誰が言えるだろうか。
金銭をむしり取る怪しい療法にも「こんなのインチキだよ」と怒りながら、奇跡を信じてこっそりと訪ねていく。
1ヵ月に200万円出せば助けてやると言った有名医師に対して、死を選びますとベッドを降りながら、涙がポロポロとこぼれる。

そして・・・宝物のような1日1日が過ぎ、ある日いきなり連絡が取れなくなった。

担ぎ込まれた面会謝絶の病室で、強い痛み止めに目をギョロギョロさせている当人は、「彼女を呼んであげるから」と慰める家族に対して、「こんなもの要らない!」と携帯電話を壁に叩き付けたという。
それでも本当は会いたくて会いたくて会いたくて・・・、友人達の計らいで病室に忍び込んだときには、子供のように泣きじゃくっていた。身の丈180cmのマッチョマンには、あと1年は持つと信じていた身体が、恋人に面目なくて情けなかったからだ。

2年前の春、2人で最後に見上げた洗足池の桜。周りは飲めや歌えの大宴会。
「これが最後かなあ」
「違うよ、来年も再来年も一緒に見るのよ」
あと2ヶ月後に命が途絶えることを知っていれば、医者に言われることなんか無視して、大好きなお酒を飲みまくっていただろう。
薬を飲むために神経質になっていた時間を、吐きながらでもヨットのティラーを握り潮風と語らっただろう。

やがて近いうち、あなたか私かが(日本人の1/2)が、がんで死んでいく時代になる。
死んでいくことが確実ならば、何がいちばん大切なのか。
病院食さえ喉を通らない身体をベッドに縛り付けることではなく、痛みを失くし、心理面や経済面でも死を迎え入れる準備を整えることではないのだろうか。

本人が亡くなった後だって緩和ケアは必要だと考える。それは「愛」に他ならない。
家族も友人も、映画『象の背中』のように陰の人間にだって、心のケアはとても大事だと思うのだ。死にゆく本人を取り巻く人たちがどれほど理不尽な思いと悲しみを抱え続けていくだろう。

春一番が吹いた。日にち薬は心に優しい。
彼が元気だった頃にカラオケで私に何度もリクエストした歌、中島美嘉の『桜色舞うころ』を、そろそろ歌えるようになるだろうか。


February 22, 2008

経営者が作るイカの塩辛

あなたの趣味は?と聞かれれば、映画や音楽、読書と答えるのが一般的だろう。しかし私はそれらが仕事になってしまったため、ゆとりを持てる現在の趣味は「料理」である。

特に魚料理に関しては包丁さばきに少々自信がある。小学生の頃、父の趣味が高じてマイ釣舟があったので、週末のたびに家族全員で「漁」に出かけたのがきっかけだ。
近所に配りきれない分を干物にするため、薄暗くなった庭の一角にしゃがみ込み、慣れない包丁で鯵を開いた経験が今も役立っている。
気味の悪いナマコまで調理させられたのは今も忘れない。「将来の経営者たるもの、あらゆることが出来て当然」が父の教えだったのだけれど・・。

で、何が言いたいかだよね(笑)。
仕事を終えても散歩日和だった今日は、逗子市小坪の魚屋を覘きに行った。
目についたのは2ハイ350円のスルメイカ。明日は土曜日で時間はたっぷりあるので、クッキング日和。自家製の塩辛を作ろうと思いつく。

スルメイカ

[イカの塩辛レシピ] 身とワタの比率は1:2

イカをさっと洗って、ワタが壊れないように足ごと身から引っ張り出す。洗いすぎると鮮度が落ちて臭くなるので注意。取り出したワタから墨袋を外す(墨袋は今回は使わない)。

イカのワタを抜く

ザルにあげたワタに自然塩をたっぷりと振り、ラップをして冷蔵庫に入れる。これは臭みを抜いて水を出す作業なので、塩はこれでもかと豪快に振りまくろう。

身の皮を剥がして塩をたっぷりと振り、キッチンペーパーの上に置く。同じくラップをして冷蔵庫へ。

ワタに塩を振る身の皮を剥いて塩を振る


さてさて、忍耐が足りない人なら2時間、我慢強い人なら半日。先ほどのワタと身を冷蔵庫から出して、酒で洗って塩を落とす。
身は食べやすい大きさに切り容器に入れ、その上にワタを絞る。箸で混ぜ合わせてから好みの塩加減に調節し、再び冷蔵庫で眠らせる。

塩辛用のイカを切るイカのワタを絞るイカの塩辛完成


あとは時々味見をしながら塩加減を見ていくのだけど、たびたび味見しすぎると未完成のうちに無くなってしまうかも(^_^;)

身とワタの比率は1:2なので、残った1ハイ分は刺身にしてみた。エンペラはコリコリして美味しいので皮むきが面倒でも捨てるなかれ。

スルメイカの刺身スルメイカの刺身2


ゲソはサッと塩茹でして冷凍しておく。お酒のつまみが欲しいとき、解凍して生姜醤油で頂くと喜ばれる。
本当はアオリイカが美味しいと、近所の飯処・魚佐次のおかみさんに教えてもらったのだが、新鮮ならどんなイカでも大丈夫。中華風の野菜炒めに加えても良い味が出る。

茹でたゲソ

スルメイカと一緒に、3匹340円のクロメバル(見た目としてたぶん・・)も買ってきた。
生姜をきかせて、甘辛く煮付けにしてみる。
途中の八百屋で独活も見つけたので、春の演出として生ワカメと一緒に酢の物を作った。

クロメバル魚の煮付独活と生ワカメの酢の物


これだけ全部併せても、千円に満たない値段で仕入れたもの。東京の高級スーパーなら3倍はするだろうし、割烹で食べれば万札に届くかもしれない。

安くて新鮮な食材に恵まれた環境に感謝しつつ、あさってあたりには食べごろを迎えるイカの塩辛を、果たして誰と食べようかと想像を巡らせる。
ゆずの香りをほんのりと乗せ、熱々ご飯と共に口に運んで・・って、それまで残っていればの話ですけどね(^_^;)


February 21, 2008

日本一美味しい唐辛子のピザ

グルメのカテゴリーに関して、お気に入りの店を紹介するのを近ごろ躊躇いがちである。
お客が増えて、紹介した本人が予約しようにも満席・・なんて状況が起きるからだ。

でも美味しかった感動は黙っていれらない性分のため、とっておきのPizza屋を一軒。
逗子市小坪の住宅地にある「自遊人処」。オーナーのKさんがご自宅を改装して始めた石釜焼のピザ屋さんだ。
花屋さんの裏手、遊歩道沿いにあるので見つけにくい場所だけど、石釜のある入り口脇でたいていオーナーが出迎えてくれる。

自遊人処石釜


我が家からサンダル履きで行ける距離のため、飲んだくれの友人たちが集まった時にはここで一次会。彼らの希望には耳を傾けず、オーダーする料理はいつも同じだ。

「炭火焼きの手羽先」は、1人1皿。遅く行くと品切れなので、前もって電話で予約しておく。外側はカリカリと香ばしく、中身はジューシー、あっという間に1皿4本を平らげてしまう。

手羽先焼

そしてニンニクがたっぷり入った「唐辛子のピザ」。これも1人1枚、チーズはダブルで、唐辛子の量は各自の好みでオーダーする。料理にはうるさい某クリエーターを連れて行ったところ、「これは日本でいちばん美味しい!」と大絶賛。家庭サービスなど全くしない彼が「今度は家族を連れて来ます」と、一番多く手を伸ばしていた。


唐辛子のピザ

お腹に余裕があれば、「焦げ焦げチーズ&ポテト」「マルゲリータ」「シラスとアンチョビのピザ」も追加するけれど、持ち帰りにしてでもまた「唐辛子のピザ」を頼みたくなってしまう。これを病み付きというのだろう。

Kさんにどこで修行をしたかを聞けば、イタリアを食べ歩いた末に自分で試行錯誤したとのこと。真摯な姿勢で、日々発展していく味がリピーターを呼ぶ。
小川沿いにあるため、夏にはヤブ蚊と戦いながらピザを焼く姿は気の毒だけど、レストランというよりも誰かの家に遊びに来た感覚がとても落ち着く。

今度友人が集まった時にはワイン持込で押しかけようかと、図々しく計画中。
柔らかい風が入る遊歩道沿いに、春の花が咲き出す季節はもうすぐだ。

February 18, 2008

東京マラソン ボランティア後記

晴れたことに何より感謝した東京マラソン2008。
2回目の今年はスポーツドリンク(ダブルアミノバリュー)担当として参加するため、オレンジのウェアが支給された。

集合場所で名簿をチェック、アミノ班のボランティア27名に手順を説明。
入船橋交差点、35km給水所に着くとすぐ、ドリンクを積んだトラックがやってきた。
マニュアルによれば、交通規制が布かれる9時50分から事前作業を開始するのに、予定より早すぎる。重いカートを下ろす横を、ビュンビュンと一般車が飛ばしていく。

「まもなく車椅子ランナーが来ます!早くセッティングを終了して下さーい!」の声。
えっ、どうなってるの!? 紙コップを並べるテーブルがまだ来てないよ!
一番端の給水ポイントに下ろされてしまったテーブル10個を、慌てて10名でぞろぞろと引き取りに行く。

前5列、後ろ5列に並べたテーブルに紙コップを並べ、ドリンクを注ぐ作業を開始。その数、終了までに4,400個。ランナーたちが持ちやすいように、コップ半分の量に加減する。
喉がカラカラに渇いてつい飲んじゃおうかと思うけれど、これはランナーたちの飲み物。我慢我慢で作業を続ける。

ドンドンドンと打ち鳴らされる太鼓のあと、トップの車椅子ランナーの姿が見えた。拍手の中をあっという間に走り抜け、持ち場にはまた静寂が戻ってくる。

マラソン開始車椅子ランナー


マイドリンクを持つ車椅子ランナー、招待ランナーが走っていく間は、ボランティアたちものんびり応援ムードだ。しかし・・。日差しは暖かいし、今回は楽に終わるかもしれないなと思ったのが大きな誤算。一般ランナーたちが見えてくると、現場はとたんに忙しくなった。

ランナーがテーブルに並べた紙コップを取ろうとして失敗、ひっくり返すロスタイムをなくすため、手のひらにコップを載せて取りやすくする。
「頑張ってください!」「ありがとう!」
受け取ってくれたことが嬉しくて、自然に笑顔が広がっていく。

招待ランナーたち水分補給


しかし余裕の笑顔は前半戦のみだった。疲れて歩く人たちが増えてくると、前の給水ポイントはもう売りきれの情報が伝わってくる。手渡すどころではなく、コップにドリンクを注ぐ横から手が延びるパニック。水を葉ね散らしながらの作業に追われて手袋はビショビショ、午前中は暖かかったはずがビルの陰になり、身体にガタガタと震えがくる。

「東銀座ではもう終了したらしいよ」と、ワンセグを見るスタッフの声。
やがて最後尾の人たちを収容するバスがやってきて、またもや警官たちとボランティアだけの空間が戻ってきた。

ゴミ回収車が来たところで、お疲れさま〜と簡単な声かけをして解散。呆然とするくらい、何ともあっけない幕引きだ。


疲れて歩くランナーたち終了間近


それでもベストは尽くした満足感は大きいけれど、今回ひとつだけ腹がたったこと。
セッティングしている最中、通行人から「その紙コップ、貰えますか?」と声がかかった。
本当は禁止されているのを内緒で手渡したところ、あまりにも心無い捨て台詞。
「良かった、どこにもゴミ箱がないもんね。これなら道に投げても平気でしょ。」

道に捨てたコップは、誰が片付けると思ってるの!?
好きで参加したボランティア。感謝してくれとは言わないけれど、あんたたちの掃除夫じゃない。怒鳴りつけたい気持ちを抑えて背中を向けるのが精一杯だった。

それでも来年も・・、きっとまた参加するのだろうな。
今度は食物班に回して欲しいと、小さな我侭が通ることを期待している。

February 17, 2008

東京マラソン ボランティア

東京の予想最高記憶は8℃。早朝に家を出た段階では、まだかなり寒い。

今日は東京マラソンにボランティアで参加します。35km地点(築地)でスポーツドリンク班。

昨年は冷たい雨で震えあがったけど、今年は雲一つない快晴です。
ランナーの皆さん、体調に気をつけながら完走を目指してくださいね。

フレーフレー! (^_^)v

レポートは帰ってからアップします。元気が余ってたらだけど・・。

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February 16, 2008

一生に一度の夕暮れ

夕方5時のチャイムと共に、ある予感がしてカメラを手にした。
急いで車に飛び乗り向ったのは、逗子マリーナの端にある小坪鮫島公園。

今ならまだ間に合う。ダウンを羽織って相模湾を望むビューポイントへ走る。
予感は的中して、世にも美しい夕映えがクライマックスを迎えようとしていた。
カメラマンたちが息を呑んでレンズを向けている。

カメラを構える人たち1カメラを構える人たち2


折りしも干潮時。海の中から現れた黒い石たちは、材木座海岸に続く中洲。
和賀江島と呼ばれる我が国最古の築港遺跡で、鎌倉時代に相模川や伊豆方面から運ばれた石で造られたという。

まるで湖水のように、向こう岸まで渡れそうな海。
稲村ガ崎、江の島、完璧なまでの富士山のシルエット。
伊豆の山々の向こうには雲を染めながら、今日を照らしてくれた太陽が沈もうとしている。

2月の逗子マリーナから12月の逗子マリーナから22月の逗子マリーナから3


一年に一度、一生に一度出逢えるかの景色は、まるで天地創造。
「ありがとうございます」と涙が止まらない神の御業である。

February 15, 2008

北斗七星を見つけた夜

久しぶりに昨夜、北斗七星を見た。
もちろん夜空でそれを探したことは何百回もあったけれど、オリオン座ばかりが目に付いていた。四角形の中に星三つは初心者向きだ。

なぜ昨夜見つけたかというと、ゴミ置き場に行った帰りに何気なく見上げた空、それも建物に挟まれた空に、どんぴしゃ北斗七星しか見えなかったからだ。

ひしゃくの先端を5倍に伸ばした所には、Polar Star(北極星)。地球の自転軸と同じ方向(天の北極)に位置している。
じゃあ、南極星は?と逆側を探しても、北半球から天の南極は見えないし、そもそも南極星という恒星は現時点で存在していない。

極に関しては、吉田篤弘の小説『つむじ風食堂の夜』に、常連たちが交わす面白い議論が出てくる。

「北と南にはそれぞれ極がありますけど、どうして東と西にはないんですかね」
「ないんだっけ?」
「そうなんですよ。北と南はどこにいても同じなのに、東と西は今いる場所で変わってくるんです」
「いや、そこが面白いんじゃないの?何でもかんでもきっぱりしてたらつまらんでしょう?北と南とふたつもありゃあ充分ですよ。残りのふたつはどうぞご自由にと神様が手を抜いてくれたんです」
(吉田篤弘『つむじ風食堂の夜』 月舟町余話から引用)

西から東を見れば、向こうからもこちらを見ている。西→東→西→東、つまりはどっちにいても同じことだと神様は言っている。
くよくよと他人の顔色ばかり気にして生きるなんてナンセンス。相手だって充分にこちらを気にしているのだからお互い様だ。

南極星がなくて不安でも、見失わない北極星がある限り、なるようになるよ(^_^)
今夜の空がまた楽しみになってきた。

February 13, 2008

お市の方とアセンション

同じ苗字の由縁かどうか、織田信長の妹・お市の方が近ごろ夢の中に現れる。
スピリチュアルなメッセージは個人に宛てたものか、万人に宛てたものか、もしかしたらアセンションに関係しているのかと気にかかって仕方がない。

雪のように白い肌、吸い込まれそうな瞳、官能的な肉体、男勝りの度胸と知性・・。お市の方は戦国時代を生きた女性たちの中で、パーフェクトに近い存在として世に名高い。
文学の世界でしか情報は得られないけれど、デジャブのような懐かしい存在に思えるのが不思議だ。

政略結婚とはいえ理想の伴侶だった浅井長政を失って、清洲城に帰還。
本能寺の変で兄を失って、三人の娘を連れて嫁いだのは年齢も容姿も耐え難い柴田勝家。織田家の復興を願っての怜悧な決心だったが、したたかで下衆な猿・羽柴秀吉に対する憎悪が根底にあったのだろう。

北庄の城に秀吉軍がなだれ込むと、勝家と共に命を絶ち、天守に仕掛けた爆薬で木っ端微塵に吹っ飛ぶ。
戦国時代の作法に従うなら、織田家の跡目を得た秀吉側に引き取られて当然なのに、自ら壮絶な最期を選んだ。身体は無くなっても、魂は時空を超えて残ることを知っていたのかもしれない。いつかは和の世界に生まれてくることを願いながら。

2012年・冬至にピークを迎えるアセンションでは、日本がその中心になると噂されている。
なぜなら争いを好まず和を重んじる日本人の精神が、アセンション成功への重要な役割を担っているからだという。

アセンションに失敗するのは「自分だけは助かりたい」という下心。
それは裏返せば不安意識の現れであり、ネガティブな感情に他ならない。

沢山の魂たちが待ち望んでいる特別な日に向けて、キリストも空海も既にこの世に再臨しているという。
景気の低迷は続き、生き残りをかけた平成の戦国時代。
汚職や陰謀、弱者いじめ等々、下心にまみれた人間たちが浄化されることを、夢に現れたお市の方は望んでいるのかもしれない。