December 2007

December 30, 2007

幸福になるための初詣とは

「私の人生、運に見放されているんです。」
若くて美形で性格も良い女性から、初詣の神社選びについて相談を受けた。

恋愛は相手に騙されてばかり。仕事でもなかなか芽が出ない。ここ5年ぐらい運勢はドン底状態だと嘆く。
今年は厄除大師に初詣に行ったものの、ますます厄が降り注ぐ結果になったので、次のお正月こそ!と祈願先を探しているという。

こんなことを言えば神社仏閣の関係者に怒られるかもしれないが、「厄除け祈願」という言葉は好きではない。

そもそも私たち人間を作った神様は、当然ながら私たちの親である。
子供が可愛くない親がいるだろうか。子供の不幸を望んでいる親がいるだろうか。
なのに「どうか災いを遠ざけてください」とか「病気にならないようにしてください」とか、親の愛情を疑うような祈願に行くのは如何なものかと思うのだ。
この世に生きていることに感謝して、「どうぞお金持ちになりますように」「彼とゴールインできますように」等、ポジティブなお願いをしてこそ初詣だろう。

もちろん人生は光もあれば暗闇もある。暗闇を知らない人は光の価値に気づかない。
暗闇の中にいる時にコツコツと勉学や努力に励んだ人が、光の中に出た時に能力が一気に開花するのだ。

初詣とは幸せの種を撒くこと。水をやり肥料をやり育てた人にご利益が巡ってくるはず。

「それなら大丈夫です。私、頑張ってきましたから!」。彼女は目を輝かせて胸を張った。
聞くと今まで蓄えた技術を持って、新しい職場に移るという。そうか、飛躍のチャンスだね、きっと良いことがあるからね。

あと1日半で元旦。
私の初詣は、家の近くにある氏神様だ。ちょっとおめかしをして、いつもの鳥居をくぐろう。
来年も再来年も、ずばり私のテーマである「愛」を感謝し祈願しに。


December 29, 2007

命がけのイメージチェンジ

女にとって、手っ取り早い変身の場は美容院。
ここ1年かけていたパーマを取って、昔から慣れているストレートに戻した。
「いいんですか、Tさんに怒られちゃいますよ」と店長が心配する。
Tさんとは私にフワフワのパーマをかけるように勧めてくれた、某大御所スタイリストである。

事の発端は、恵比寿のバーで肩を並べて飲んでいたとき。
酔った彼女が私の髪をジロッと睨んだ。
「あなたねえ、『おすべらかし』は似合わないわよ。」
「なんですか、それ?」
「平安時代の髪型のことよ。紫式部とか清少納言とか。もっとフワーッと女らしくなさい。いいとこ紹介するから。」
つまりはストレートヘアは止めろと忠告され、美容院のブッキングまでしてくれたわけだ。

一見さんお断りで、モデルや芸能人たち御用達の店。予約は2週間先を見越さないと取れない。
パーマにしろカラーリングにしろ丁寧すぎて、全工程に4時間はかかるのさえ我慢すれば、意外とリーズナブルだしスタッフたちも気さくだ。

ここで初めてトライしたのがデジタルパーマ(形状記憶パーマ)。
髪をロッドで巻いてパーマ液を付けた後、電流が走るケーブルを一個一個のロッドに繋ぐのだ。まるでフランケンシュタイン博士の実験みたいな格好。
電源スイッチを押したとたん感電したらどうしよう、メデューサみたいな頭で地震が来たらどうしよう・・と、私にとっては生きた心地がしない新技術だった。

その後2〜3ヶ月置きに再トライはしたけれど、手に汗握る4時間には耐え切れず、ついにストレートに戻して欲しいと申し出たわけだ。
有名店の価値に反しようと、Tさんにまた「おすべらかし!」と怒られようと、いいんだいいんだ。

でも解せないことがひとつ。
女が美容院に行き、変身した日は周りの反応が気にかかる。
女性たちは気づいてくれても、腹が立つのは男性たちが何の反応も示してくれないこと。要は髪型なんてどうでもいいってことなのかな。
彼らはいったい女性のどこを見ているのだろうと、今更ながら気にかかる視線の先である。


December 27, 2007

同じペットボトルの水を飲めますか?

小家族の我が家では、料理を銘々皿に取り分けて出すのが習慣だった。
それが当然と思っていたことが崩れ去ったのは、結婚相手の実家での食事である。
どかんと大皿に盛った料理を、大人も子供も唾のついた自家箸でつつくことへのショック。
私はどこのお姫様でもないというのに、家風の違いを盾にとって離婚を申し出た。呆れられて然りの身勝手さである。

そして今は・・大皿へみんなで箸を出すことに抵抗はないけれど、エイヤッ!の意気込みは未だに少しだけ必要だ。
それが恋人とならどうなのか? 自分の愛情度に気づく重要なバロメーターにもなっている。好きなら可能、嫌いなら不可能という単純な二者択一だ。

同棲ではあったけれど、腕枕をされると絶対に眠れない相手がいた。
彼は私のペットボトルを取って、ゴクゴクと水を飲む。そうすると私は二度とそのボトルには口を付けられなくなるのだ。
朝になると不機嫌な彼。「こんな女はいないよ!」と罵られることに、背中で溜息をついた。

言葉にできない理由は透けて見えるほど簡単。愛していなかったからで、すぐに別れが来た。本心は悟られたくなく、でも相手を傷つけたくなく、無理を推し進めた生活。破綻するのが判りきっていた刹那。

そんな失敗を経験して、誰かを好きになろうとする時はまず考える。
同じペットボトルの水を分かち合って飲めるかどうか。もっと言えば口移しで飲めるかどうか。
どこの他人とだって平気さと言う人もいるだろう。
お墓を共にする亭主とだってゴメンだと言う人もいるだろう。
これが災害下だったらどうするのだ!不謹慎だ!と怒る人もいるだろう。

ヤバイな、今日はかなり生々しい話になってしまった。
でも人間たるもの、食べて排泄して眠る毎日は生々しい。
しかも身体でペットボトルで共感度を確かめ合う男女は、もっと生々しくて腐りやすい。

白状する。何度も恋をしてきたけれど、恥ずかしくて恥ずかしくてこの歳でも言えない言葉は「愛してるわ」。
「あい」を口に出した途端にもキャーッ!!の世界だ。

そんなこんなでも将来、愛を築いていく相手への予告。
自動販売機でペットボトルの水を買う時、「1本でいいね?」と聞かれたら、返事の代わりに彼の腕に手を回そう。
それは私の究極のボディランゲージだと知り、肩を抱きしめて貰えたら幸せである。

December 26, 2007

元気と病気の間にいる人たち

『近代医療の飛躍的発達で、かつては死に至った病気が治癒できるようになった。しかし、治ったとはいっても<元気>というわけではない。<元気>と<病気>の間にいる人たちも飛躍的に増えたのだ。その典型が脳出血や脳梗塞といった脳血管障害である。』
(三好春樹著『老人介護 常識の誤り』より引用・抜粋)

私の父は脳出血で半身不随の身となってから、介護付高齢者施設でお世話になっている。
不安や幻覚につきまとわれ、数分おきにナースコールを押しまくるだけでなく、いつ悪化するとも知れぬ肺疾患を抱えているので、自宅で看れるような状況ではないからだ。

いつものように愚痴を聞く面会コーナー。とろみつきコーヒーをスプーンで飲む父。
「ちょっと宜しいですか?」とフロアマネージャーから声がかかり、今年7月に目標を立てたケアプランがどのように進んでいるかの説明を受けた。

最初は一緒に耳を傾けていた父の様子が変わってくる。
「なに言ってるのかわかんないよ」「はやく横にしてよ」と落ち着かない。

フロアマネージャーがテーブルの上で父の手を握った。涙ぐんでいる。
「ごめんなさい。僕の配慮が足りませんでした。聞きたくないですよね、こういう話。」
父はますます落ち着かず、さっき行ったばかりのトイレにまた行きたいと言い出して、他のスタッフに声をかける。

そうなのだ。脳の機能は正常人と比べて2割程度しかなくても、心の機能は衰えていない。喜怒哀楽の「哀」の部分が、元気な頃の何十倍にも膨れ上がっているのだ。
「お前には済まないな」「俺がこんなになっちゃったのが悪いんだな」・・。
周りに迷惑をかけ通しなことに、頭が爆発しそうなほどの重責感を持ち続けているのだ。

車椅子からベッドに移して、テレビのスイッチを入れた。
大相撲の放映はないのだと言っても、自分でリモコンを持ってチャンネルを探す。
「何とかなるから大丈夫よ。心配しないで、自分のことだけ考えていてね。」
「お前も用事があるだろうから、暗くなる前に帰れよ。」
画面に「1」の数字が止まって、今日のニュースが流れる。

外は賑やかなクリスマスの夕暮れ。
階下へ降りるエレベーターを待つあいだ、スタッフたちが笑顔で見送ってくれた。
疲れきっている彼らの心身も<元気>と<病気>の間にいるかもしれないのに・・。

ありがとうは何度言っても、言い足りる言葉ではない。


December 24, 2007

満月に願いを in Christmas

空気が澄んでいるせいか、今の時期は早くから月が見える。
首都高速湾岸線を走って逗子に戻った昨日も、夕暮れのグレイッシュブルーの空に淡い月が左側を併走してくれた。

 それはラッキーな発見。

観覧車がライトアップするお台場の駐車場には空き待ちの車が溢れかえり、横浜ベイブリッジでは風速ゼロメートルの表示。奇跡を待つカップルが乗っている車のために、記録計を狂わしているのかと思うほどの穏やかな偶然だった。

 それはラッキーな発見。愛おしい笑顔たち。

誕生日には沢山の「Happy Birthday!」メールを頂き、忘年会では気の置けない仲間たちと大笑いし、昼間はひしめきあうアメ横で値切りながらお正月の食材を買い、蓬莱屋のジューシーなとんかつを食べ、「有馬賞」の直前買いにまで参加して、盛り沢山な連休を過ごす。

 それはラッキーな発見。愛おしい笑顔たち。幸せなひとときの連続。

そしてクリスマスイブの今夜は、積もった心地よい疲れが心身ともに充満している。
お天気情報のコメントを聞けば、クリスマスイブの満月は1969年以来で38年ぶりらしい。
思わず外に出て写真を撮った。
だって次のチャンスは19年後なのだから、願いをかけようにも年齢から言って、色気のあるネタがないかもしれないでしょ?

というのはウソウソ、願いは底知れずある。
ただし仏の御石の鉢も、蓬莱の玉の枝も、火鼠の裘も、龍の首の珠も、燕の子安貝も、頂いたら家宝になりそうだけど今のところは要りません。
私は憎めないこの星で人生を全うしたいのだから。

でもどうか、クリスマスのフルムーンにお願いします。
大好きな人たちが来年も私の周りにいてくれますように。
みんなが愛するパートナーと帰り道に着けますように。
彼らの繋ぐ手がもっともっと増えますように。

クリスマスの満月


  When you wish on christmas moon
  Make no difference who you are
  Anything your heart desires
  Will come to you

December 22, 2007

クリスマスソング三昧だった頃

以前の話になるが、秋からクリスマスにかけては「苦しみマス」の時期が続いていた。
ディナーショーの構成に追われて詞を書き台本を書き、リハーサル、ゲネプロ、それ!本番。

アンコールが終り、カップルや家族連れがほろ酔い加減で帰って行った後、出演者とスタッフで小さな打ち上げをする。
「お疲れさま〜!」「また来年!」「よいお年を!」

ホテルの駐車場で車のエンジンをかければ、カーラジオからはクリスマスソング。
幕張から首都高を飛ばし、湘南の家に着くころにはイブは終わっていた。

恋をする暇さえないクリスマス。
そのくせ切ない歌を書くことだけは、妙な自信があったかな。

下の歌は、クリスマスの資料を漁っていたら発見。
とある大物女性シンガーに書き下ろした、せりふ付きのオリジナルソングです。
70年代映画のワンシーンのように、平凡なアメリカの一家庭をイメージしたのだけれど、作曲は確か前田憲男さんだった記憶があります。

ポインセチア

    Christmas Widow(クリスマス・ウィドウ)

「我が家のサンタクロースが天国へ行っちゃってから、クリスマスはずっと3人で過ごしてきたわ。
だんだん頼もしくなる子供たち2人と、相変わらずのんびり屋で涙もろい私。
ツリーを飾って、七面鳥を焼いて、苺がいっぱい乗っかったケーキを食べて・・。
どこにでもある普通のクリスマス。--------でも今年は、いつもと違うの。」


 子供たちを乗せて 走り出すスキーバス
 後ろの窓から 手を振るMy Dear Boy
 心配するなよと 生意気な口ぶり
 今はもういない あなたに似てきた

 初めてのゲレンデ むかえるChristmas Eve
 ホームシックと 怪我には気をつけて

     見送ったあとに ひとり残る
     私 Christmas Widow

     街にはJingle Bells 小さなケーキと
     陽気なレコード 買って帰りましょう


 鏡に向かって ポーズを決めるのは
 もうひとり我が家の おませなTeen Age Girl
 2時間も前から 待ちかねたチャイムは
 エスコート役の 彼氏のおむかえ

 初めてのパーティー ときめくChristmas Eve
 白いドレスが 弾んで駆けていく

     見送ったあとに ひとり残る
     私 Christmas Widow

     今夜はSilent Night 写真のあなたと
     グラスを合わせて 寂しさ祝いましょう


 今年からもう一度 ふたりでChristmas Eve
 思い出に住む 笑顔と過ごすの

     ソファーにもたれて ひとり眠る
     私 Christmas Widow

     今夜はSanta Claus きっとあなたが
     プレゼントを持って 空から降りてくる

     今夜はSilent Night そうよあなたが
     あたたかい夢を 贈ってくれるでしょう



December 21, 2007

今更ながらシングルベル

クリスマスソングを聞くたびに、幾つになっても胸が切ない。

私の仕事場は有線を引いているのだが、デフォルトで設定してあるC11(ラブバラード・洋楽)からは今月、クリスマスソングの流れる比率が殆どを占めている。
それも賑やかなジングルベルではなくスローな愛の歌ばかりなのだから、独り者としては居たたまれなくなって当然だろう。

コーラス部に属していた中学生時代、養護施設に歌の慰問に行った帰り道に、なけなしのお小遣いでシクラメンの鉢を買って帰った。
花屋の店先で魅了されたピンクのかがり火は、母の心をほんの少しでも暖めてくれるのでは?と思いついたからだ。
たぶん今夜も愛人のもとから帰ってこない父を、諦めて溜息をつくクリスマスイブ。

その当時の私はお菓子作りを趣味としていて、未熟な技術を振り絞ったクリスマスケーキを焼いてみたものの、食べる頃にはスポンジがカチカチに固まっていた。
「失敗だったね?」とお伺いをたてれば、「ドイツのケーキみたいでいいじゃないの」と笑う母。
サンタクロースが来ないのはとっくに知っていた年頃でも、母のためにせめても父親だけは帰って欲しいとお祈りをした。

そして奇跡は起きて、深夜に車が止まる音。こんな時間にありえないドアノブが回る音。
私は布団で夢うつつだったけれど、久しぶりな父の声が階下から聞こえてくることに安心して毛布を深く被った。
たぶんこれがサンタクロースの家族へのプレゼント。一人っ子の小さな部屋だって、なんて暖かい空気に満ちているのだろうと幸せな夢を見た。

さてそれからウン十年の時を経た私。いまだにクリスマスどころか大晦日もシングル除夜の鐘かよーーー(;_;)。
今年も似たような時系列を歩みそうだけれど、いいんだいいんだ(強がってないぞー)。

介護施設で天井を見ている父のもとに、幾つになってもワガママな娘が会いに行こう。
声が似ていると言われる母の面影をプレゼントに持って。
サンタクロースは嘘じゃなかったんだと、子供帰りした心が喜んでくれたら本望である。

December 20, 2007

実るほど頭をたれる稲穂かな

新橋発、夜11時を回ってのグリーン車。
座れるかなあと車内に入ると、酔っ払った横柄な男性が「どけ」と言わんばかりに席を先取りする。高級そうなスーツから見てどこかの上場企業のお偉いさんなのだろう。
でもね、会社では管理職でも、電車の中ではただのオヤジ。何をそこまで威張っているのだろうか。

フィットネスクラブのサウナ。
『大声での会話はお控えください』の注意書きを無視して、韓国系の女性が自慢話を叫ぶ。ご主人は某焼肉屋チェーンの社長らしく、税金対策で購入した高級車の値段、デパートの外商から買った指輪の値段・・と、口で大金をばら撒いている。
でもね、家では社長婦人でも、タオル1枚のサウナではただのオバサン。周りのひきつった笑顔に気づかないのだろうか。

『実るほど頭をたれる稲穂かな』
亡くなった祖父がよく口にしていた言葉だ。

稲の穂は実るほど頭が低く下がるものだが、人間も徳が高く、内に充実したものがあるほど謙虚だという意味。太陽や水、土・・の恩恵に授かって育った稲のように、人間もどれだけ周りの恩恵に授かっているだろうかとの戒めのことわざである。

事業を興しては失敗ばかりの祖父だったが、窮地を救ってくれた人たちは一同に『実るほど・・』の人物であったという。
みすぼらしい自分よりも彼らはもっと頭を低く、「商いは持ちつ持たれつですからね」と援助してくれたことに死ぬまで感謝していた。

で、サウナの話の続き。
自慢話から逃げ出して水風呂に浸かっていると、初老の女性が入ってきた。
「今日のサウナは賑やかですわね」とおっとしりた口調で話す。師走の街の話、お天気の話をポツリポツリとしているうちに、彼女の上品な物腰に心がリラックス。
そうだな、もっと大らかにならなくちゃと反省し、再びサウナに戻った。

人間は素っ裸であっても、品格は自ずと見えてくるものだ。
頭を垂れる稲穂に詰まったものは、徳と経験を積んだ「思いやり」なのかもしれない。

December 19, 2007

トンビに襲われた午後

朝夕はそれなりに冷え込むものの、この12月の昼間は春のように暖かい。
近所を散歩すれば水仙の花が香り、材木座にある光明寺の境内では桜のつぼみも膨らんでいる。山門で眠りこけている猫は、陽だまりにとろけそうな顔つきだ。

水仙光明寺の猫材木座海岸


キラキラ眩しい海をもっと見ていたくて、稲村ガ崎食堂へランチに出かけた。
夜はJERKという名前のバーとして営業しているが、昼間はヘルシーなランチを提供する定食屋さん。
2階に上がると緩いカーブを描いた水平線が、窓の外で一枚の絵になっている。

定番メニュー「いなしょく定食」が、今日は鯛ご飯なのを黒板で発見。
カキフライや鯖の糠漬け定食にも心を惹かれるが、初心を通す。

4種類のお刺身の脇には、すりおろしワサビ。
味噌汁のダシも煮干で取る「きちんと」感がある食膳だ。小どんぶりに盛られた鯛ご飯は食べきれるか不安だったが、ぺろりと完食。お腹一杯の幸せと共に、ゆったりまったり感に満たされていく。

稲村ガ崎食堂1稲村ガ崎食堂2いなしょく定食


しかしその後に恐怖が待っていた。
お土産に頂いたクッキーを食べながら歩いていたら、背後から突然の殺気。バサバサッ!と大きな茶色い羽根が頬をかすめる。
トンビがたった3センチサイズのクッキーを狙って襲ってきたのだ。
親指に爪の痕がついて血が出てきたものの、とりあえずは大事に至らずに助かった。

湘南ではトンビの餌付けをしている人もいるらしいが、とんでもない自己満足だ。
鋭い爪と嘴を持つ猛禽類には変わりなく、被害が増大しているからだ。
最近も海岸でお弁当を食べていた親子連れが襲われて、子供をかばったお父さんがトンビの爪で小指を千切られるアクシデントがあったという。

まったり昼寝している野良猫も、のどかに鳴きながら空中を舞うトンビも、安易に飼いならそうなんて思うべからず。
手なずけた自然は元には戻らない。

トンビ逗子マリーナから



December 16, 2007

夕暮れのライスカレー

軒先が連なる、夕暮れの住宅地を歩くのが好きだ。
どこからか鼻をくすぐるカレーの匂いは、きっとジャガイモやニンジンが入った具沢山カレーに違いない。
「おかわりっ!」の声を予想して、電気釜にはご飯が多めに炊かれている。

友達と遊んで帰った放課後。大きな声でバイバイのあとに訪れる静寂。
鍵っ子だった私には夕げの匂いが、思いがけない最高の贈り物だった。
なぜなら今日はお母さんが家にいるという嬉しいサインだったから。

「ただいま〜」とランドセルを放り出してキッチンへ駆け込む。
「おかえり〜、今夜はカレーだからね」
早く煮えますようにと鍋の横から匂いを嗅いで、ちょっと照れくさくお母さんの横顔をのぞき見た。

自分で点ける電球より、誰かが点けて待っている灯かりの方が百倍も明るい。
三ツ星レストランのビーフカレーより、特売の豚コマが見え隠れするカレーの方が千倍も懐かしい。

それは色褪せない心の映像、今も鮮やかなAlwaysだ。


      こころ天気になあれ

今日の試合は 三振ばかり
バットをかついだ 帰り道
影もしょんぼり ついてくるよ
下校のチャイムの 放課後を

  まぶたがくもり空 泣きそうなときには
  元気がわいてくる 願いをかけるよ
  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ
  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ

ほほのすり傷 ケンカのあとは
勝っても帰れば 怒られる
だけどいちばん 心配なのは
あしたはできるか 仲直り

  まぶたがくもり空 泣きそうなときには
  元気がわいてくる 願いをかけるよ
  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ
  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ

     だれかの声がした ぼくのあだ名を呼んで
     友だちの声がした 遊ぼうあしたの朝も

     だれかの声がした はやく帰っておいで
     かあさんの声がした 窓にあかりがともる

  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ
  ぼくのこころ きっときっと あした天気になあれ


Copyright by Yuriko Oda