October 2007

October 31, 2007

うざいぞ!バラエティ番組

今日の仕事は一段落。肩の力を抜いて、ゆるゆるとソファーに座った。
取り合えずテレビでも見ようかの習慣でリモコンを握るものの、何を見たらいい?

選局の基準は、バラエティ番組以外を探すこと。
しかし時間帯によってはニュースもドラマも放映されておらず、お笑い系やバラドルがお決まりの「ボケ」を発揮する番組ばかりが映ってしまう。
見れば見るほど踏襲され続けてきた「やらせ」に呆れて、ついに電源をブチッ!
ため息に肘をつけば、窓の向こうには空や緑のネイチャー劇場。これを超えるものは未だ見当たらない。

電波で呆れる代表格は、例えばクイズ系グルメ番組。
美味しそうな店を芸能人が食べ歩き、スタジオの皆さんにも味わえるチャンスが!と、似たり寄ったりのクイズが始まる。
「当ればゲストのみなさん、外れたらスタジオのお客様にお召し上がり頂きまーす!」
司会者の宣言にワーッ!パチパチパチ!と歓声と拍手が沸き起こるが、みのもんたの番組以外では、必ずと言っていいほど芸能人の誰かが当たるシステムになっている。
だってワーッ!の歓声は音声さんが提供する効果音だし、もともと芸能人たちが生録時間に一斉集合するのは無理というのものだ。

獲得した獲物を美味しそうに食べる芸能人をどれほど見飽きているか・・、埃を被っているんじゃないの?と、スタジオに並んだご馳走が怪しくなる。

そんな「やらせ」に関して。その世界に身を置いていた私の立場として、言いたくはないけれど思い出したくない過去の思い出がよみがえる。
レーティングの低い番組で視聴者からの葉書を捏造するなんて日常茶飯事だし、ベスト10なんて気分次第。毎度収録には立ち会わないスポンサーにはバレようがない。
「正解〜!!」のピンポンピンポン!ワーッの拍手。得意げに種明かしをする司会者。勝った負けたのゲスト連。いつもどこでも同じ顔と仕組みだ!!!

飯島愛が現役から引退したのは、こんな動向を案じてかどうかは知らない。
しかしどの局でも共通のお馴染みコメンテイターが1人消えたことに関しては、胸がスッとしている。

いつもどこも、どうして同じでいたいの?
画一化された意見と扇動。裏の情報操作があるのかと疑いたくなるバラエティ番組。
「NOVA」もそうだったよねと、スポンサー企業のテロップを凝視してしまう昨今である。

October 30, 2007

気功で作るドラゴンボール

10月末だというのに、半袖で歩きたくなる陽気。湘南の夏が戻ってきたような週明けだ。
空から緑から海から・・・あふれ出る自然の気を取り込むべく、週初めから気功のレッスンを受けている。

何でいきなり気功かって? 身体以上に心のトレーニングのためだ。

霧が晴れた先にご馳走があると解っているのに、手前で見つけたインスタント食品に甘んじてしまう自分。適当なところで惑わされてしまう弱さを克服したいから。

「正気」を取り込んで「邪気」を払う術を知れば、プラス波動が高いステージに導いてくれると聞いて、今の私に必要と直感したから。

気功の動作は長年やってきたエアロビクスのストレッチに似ているけれど、それを言霊で理解することで、リンクが繋がると思ったからだ。

で、レッスンその1。
目が覚めてベッドから抜け出したら、まずは太陽とご挨拶。
足を肩幅に開き膝を軽く曲げて、身体をリラックスさせる。関節の力を抜こう。
日が射してきたら腕を開き、両手のひらの中心に意識を集中させて光を集めるのだ。

ジワーンと熱が溜まってきたところで、腕をアップ。百会(ひゃくえ:頭のてっぺん)から顔の前、胸の前、お腹の前とゆっくりと手を下ろし、自然の気が身体に充満してくるのを感じ取る。
同時に足の裏からは、淀んだ気が吐き出されていく。

レッスンその2。
四足で歩く動物のように、背中にも光を受け止めよう。
首の後ろや肩に意識を向けて光を集めていくと、だんだんと凝りが抜けてエネルギーが満ちていくのがわかる。背骨を降りてパワーが広がるはず。

レッスンその3。
胸の前で向かい合わせた手のひらをポワンポワンと寄せていると、間になにか塊があるような気がしてくる。
それは玉の形をしていて、ある程度のサイズが決まれば弾力を持って手を跳ね返す。
大切に大切に持ち上げて、レッスン1と同じ方法で頭のてっぺんから気を降り注ぎ、身体に充満させていく。

「この玉はドラゴンボールと同じなんだよ」。
先生の言葉を聞いてなるほどと思った。
宇宙の気を集めて更に強化したのがエネルギー弾なのだ。
鳥山明の孫悟空には劣るけど、私なりのドラゴンボールを作るのはこれからの鍛錬にかかっている。

天気予報をチェックすれば、明朝の降水確率は0%で快晴。トレーニングの3日目だ。

October 28, 2007

空から届くメッセージ

逗子に住むようになってから、空の写真を撮ることが好きになった。

交互に上り下りを繰り返す太陽と月。
見上げるたび振り向くたび、形状を変える雲の広がり。
時間で塗り変わる紅、水色、濃紺のシルクスクリーン。

小坪の雲1小坪の雲2小坪の雲3

小坪の雲4小坪の雲5小坪の雲6

小坪の雲7小坪の雲8小坪の曇り空


風水師のMaster Kohがこの家を見に来たとき、カーテンや障子を指差して「open,open!」と何度も言った。
窓から見える天然のエンターテイメントを、どうして遮る必要があるのかと。
同じように心の窓も常に開けておかないとダメだよと。

小坪の日の出小坪の夕暮れ小坪の月


台風一過。今日の空を撮ってみた。
毛を刈り時のヒツジたちみたいな雲が、山の端ぎりぎりを流れていく。

台風一過の小坪

一匹一匹に名前をつけよう。
anger,sorrow,jealousey,doubt,fear,envy,confusion,regret...。
嫌な感情たちの塊が、風のホウキで飛ばされていく。
駆け抜けた台風が、ついでに心の大掃除もしてくれたらしい。

逗子市12:00の気温は23.3℃。風向きはもうすぐ南に変わる。
もう一度カメラを向けた空からは、すべての雲が消えていた。

October 27, 2007

自動車離れとセックスレス

東京モーターショー開催のニュースを見ていたら、若年の自動車離れの話題が取り上げられていた。交通機関の利便性が低い地方では車は必需品なので、都心の若者と限定した方が良いのだろう。

自家用車を持つとなると、幾ら安い中古車を手に入れたとしても税金や保険、車検・修理代、燃料代、駐車場代、通行料・・等、維持費は思いのほか嵩む。
アルコールを口にしての運転はご法度。
駐車違反の取締りは厳しく、かと言ってパーキングは何処も満車状態。
慢性の渋滞をイライラするよりは、電車の方がストレスがないし時間に正確。

これだけのマイナス要因が揃っても車を購入したいのは、よほどの車好きか彼女を乗せるためか、車なしでは生活出来ない環境にある人ぐらいだろう。

若者たちの目立つ変化はマイカーレスだけでなく、セックスレスも増加しているらしい。
日本家族計画協会が2006年に発表した「第3回男女の生活と意識に関する調査」を見ると以下の記述ある。
『これまでにセックスをしたことがある者(1,213人)に、この1ヶ月間のセックス回数を聞いたところ、「1回」14.7%、「2回」12.0%、「3回」8.7%、「4回」7.2%となっている。一方、「この1ヶ月間は、セックス(性交渉)をしなかった」は39.7%という結果だった。』(16〜49歳の国民男女個人3,000人を対象)

ホテルに入ってもカラオケやゲームに興じ、相手に触れることなく過ごすカップル。
脳で楽しむバーチャルセックスの方がもっと興奮する近未来(?)人間。
人間関係や仕事のストレスから、EDやホルモンバランスの崩れなど機能障害に陥ってしまった男女。

いったい彼らは進化しているのか退化しているのか。
ハンドルを握り、達者な性生活を営んでるのはおじいちゃん・おばあちゃんばかりの高齢化ニッポンになってしまうのだろうか。

少なくともアパートに住んでベンツに乗り、ナンパに繰り出す男たちは近頃見なくなった気がする。


October 25, 2007

時の流れと慣用句

カフェの隣席から、眉をひそめた女性たちの会話が聞こえてきた。
「彼女は気の置けない人なのよ」
「そう、滅多なこと言えないわね」

あれれ、間違ってない?
 
『気の置けない』の意味は「気がねしなくていい、遠慮しなくいい」が正解なのに、「安心できない」の意味で使っている人が多い。
文化庁が9月に発表した平成18年度「国語に関する世論調査」では、『気が置けない』を逆の意味に捉えている人が全体の5割を超えていた。

『流れに棹さす』に至っては、「傾向に逆らって,勢いを失わせる行為をすること」を選んだ人が6割以上。本来の意味は「勢いのついたところへ更に助力が増すこと、物事が調子よく進むこと」である。

渋谷の街角調査で「流れに○○さす」のはめ込みクイズを行ったところ、返ってきた答えは・・「流れに油をさす」「流れに水をさす」「流れに爪をさす」「流れに日がさす」等々、造語だらけだった。
文化庁国語科の担当官によれば、今の若い人たちは理解語彙(授業で知っただけ)と使用語彙(自分の言葉で使える)が、3:1の割合で頭を占めていると言う。

しかし言葉の乱れを責める前に、彼らの発想力には感心した。
古い文学作品に出てくる慣用句は意味を知らないと先に進めないが、自ら作品を書く側になれば、埃をかぶった慣用句は時代にそぐわない。
むしろ意外な言葉の組み合わせからニュアンスを感じ取ってもらう方が、文章が生き生きしてくると思うのだ。
(事実、そうしていかなければ作詞家なんて陳腐に埋もれて喰っていけない。)

『気の置けない』や『流れに棹さす』だって、きっと「昔の若い人」が作った造語。
これからは携帯メールで打ちやすい若者言葉や略語が、使用語彙としての慣用句になっていくかもしれない。

ちなみに10年ぶりに改定される『広辞苑第6版』(2008年1月発行予定)には、若者たちが使う新造語(『いけ面』『うざい』『自己中』『ラブラブ』など)を含めて1万語の単語が追加されるという。

ふむふむ、『どんだけ〜』が入るのは次々回の改定になるのかな?

October 24, 2007

がん患者のCMに想う

『がんから逃げないことです。逃げたら何でも怖くなる。』
鳥越俊太郎氏を映したCMが流れるたびに、息を止めて画面に見入ってしまう。
本人とは面識がないのに、その姿を目に焼き付けておかなくてはと躍起になる。

鳥越氏がステージ4のがん患者として、マスメディアに登場することには非難も多い。
手術出来たからいいじゃないか、有名人だから最高の治療を受けられるんだろう等、やっかみの声が増えるほど、タオルを投げられない苦闘のリングに自分を追い込んでいるように感じる。

末期がん患者の、人には見せない本心を知りたい。
本当は諦めているのか、それとも死の直前まで奇跡を信じているのか。
いつ泣いているのか、どうして笑えるのか、誰をいちばん愛しているのか。

昨年の6月に旅立ってしまった最愛の人に、癌と戦っている最中には決して聞けなかった質問。今もし天国と通信が出来るのなら、種明かしをして欲しいことが沢山あるのだ。

「ごめんね、今日は気分が悪くて戻してしまった」
「ごめんね、モルヒネが効かなくてベッドから起きられない」
「ごめんね、メール打つのが遅れてばかりで」
病室から届く携帯メールには必ず「ごめんね」があったのはどうして?
今日はごめんねなのか、未来を見越してのごめんねなのか、考えれば今でも切ない。

鳥越氏の「生きる」ストーリーの中で、ふと目に留まった文章。
『ぼくはむしろ「あれをしておけばよかったのに」と後悔しないようにしたいのです。「あのおいしいラーメン食っておけばよかったのに」とか。何にしてもそうです。』

そうか、あれをしておけばよかったのに・・が、「ごめんね」の裏にあったのかな。
季節は幾つも移ろい、新しい出会いに支えられ、いつの間にか涙は遠くなった。

今さら彼の心残りを叶えてあげられないけれど、悲しみを経た後に出来ることは何だろう。

私は医者でもなく預言者でもない。ちっぽけでも誰かが必要としてくれるなら・・。
人には言えない本心を聞いてあげる耳になりたい、慈しんであげる眼になりたいと、新しい願いの芽が育ち始めている。

October 23, 2007

明治・昭和の上野グルメ

上野の森美術館は「シャガール展」、国立西洋美術館は「ムンク展」、東京文化会館はプラハ国立歌劇場「椿姫」。芸術の秋満載の上野に、私は合いも変わらず食欲の秋を満喫しに行ってきた。

創業明治8年の料亭「韻松亭」。打ち水の玄関から個室のお座敷に入ると、寛永寺の鐘楼から時を知らせる鐘の音が聞こえてくる。

暮れていく庭を見ながらの先附は、豆腐料理にこだわる老舗ならではの「おぼろ豆腐」や「ひじきの白和え」、皿の隅には栗やむかごが吹き寄せになっている。

先附

ちょうど長野の伊那から松茸が届いたとのことで、さっそく焼き松茸をオーダー。
七輪であぶっている間に、おから汁と鳥の手羽先揚げをいただく。このおから汁がほんのりと甘くて濃厚で「しあわせっ!」と目を細めたくなる逸品。後で鍋に出てくる分厚い湯葉と共にお勧めだ。

手羽先揚げとおから汁

さらに食欲は待った知らず。
程よく焼き上がった松茸に、荒塩をさっと付けてかぶりつく。
日本料理はなんとシンプルにして贅沢なのだろうと、季節の芸術品にうっとりするのみ。

焼松茸

続いて大山地鶏のすき焼き(野菜はクレソンと玉ねぎ、プラス松茸)、鳥つくね鍋を堪能して、ラストの五目炊込みご飯に至るころには腹十二分目となった。お土産にして貰い、明朝の楽しみを残す。

大仙地鶏のすき焼き大仙地鶏のすき焼き2つくね鍋


「もう何にも入りませーん」だけどせっかくの上野、帰るにはまだ早い。
昭和20年代をコンセプトにしたレトロ居酒屋「上野仲町 半兵ヱ」を訪ねた。
どこから集めたのだろう、吉永小百合の日活映画や「三丁目の夕陽」に出てきそうな商品ポスターが壁一杯に貼られている。

半兵ヱ半兵ヱ店内半兵ヱ店内2


メニューを見てまた唖然。薄利多売をうたうだけあって、サワーは210円、焼き鳥50円、スープは0円だなんて、値段も昭和に逆行してるのかな。

ミルクカクテルのメニューから「イチゴミルク」をオーダー。ついでに人気絶大という「冷凍みかんサワー」も頼んでみる。お腹はいっぱいだけど、記憶が欲しがる「ハムカツ」も頼めば、揚げたてそのまんまのスタイルで登場。これが180円!

イチゴミルク冷凍みかんサワーハムカツ


「怪物!タコ入道ウインナー」や「昭和のトマトは砂糖で食べた」、「カエル」にも興味津々だったけど、次回のお楽しみに取って置こう。

帰りには西郷さんの頭でっかちな銅像にご挨拶。
空にはカバヤのレモンドロップみたいな半月。

歌謡曲を口ずさんで歩きたい上野は、レトロが絵になる「昭和の玄関口」だった。



October 22, 2007

独居老人と千円札

行きつけの喫茶店で、居酒屋のカウンターで、寂しい老人たちとよく出会う。
なぜ彼らが寂しいと思うかは、盛り上がっている会話に割り込みたい様子から察するのだ。

失くさないように首から下げた布袋。
中からシワくちゃな「郵便局」の封筒を取り出して、そうっと覗き込む。
使っていいかな、使ったら今月は厳しいな、でも楽しい今のためだったら・・。
そしてマスターに差し出す千円札。
「もう一杯くれますか? あと、シシャモ。」

きっと月一度おろしてくる年金なのだろう。独り暮らしなのが見て取れる。
音楽の話題にはついて行けないけれど、昔話なら任せとけの顔。
ずっと昔に修学旅行で飛騨高山から、江の島と東京を見に来た思い出を語る。

「石炭列車だったんだよ。」

ドーッと店に花が咲く。「石炭列車だって!?」
「いや、東京までは電化されてたけど、時間がかかって江の島泊まりだったんだ。」
「ふうーん。」
「議員さんが旗持って、江の島を案内してくれてね・・」
堰を切ったように当時を語り始める老人の口調に、徐々に周りは背を向けていく。

「マスター、もう一杯!」
テンションが上がった彼の前に安焼酎のグラスが置かれる頃、残った客は私ひとりになっていた。
困った、お勘定は済ませてあるのに、帰るきっかけがない。

「その当時の江の島は今と違ったでしょうね。」
老人に語りかけながら、マスターが私に目配せをくれた。
後ろめたさを感じつつ、さも待ち合わせがある風情で店を出る。

そう言えば昔、祖父母との夕食も先に席を立ったっけ。
じれったい退屈さが今は妙に懐かしい。
何度も聞いた話を繰り返すテーブルは、もう記憶の隅にしか存在しないけれど。

October 21, 2007

足元にある幸せ

最近ほんわかと幸せだ。
東京から逗子に越して5ヶ月だが、このところ急速に生活パターンが固まってきた。

サンダル履きで散歩に出れば、古着屋のおばちゃんから「コーヒー入ってるよ」と声がかかり、秋の夜長は町内会仲間から「カラオケに行こうよ」とお誘いがくる。

週末は別荘に集まる業界人達から「マージャンやろう」とメンバー募集。もっとも七対子と国士無双しか知らない私は、前半戦の飲み会だけで勘弁してもらう。

そろそろベッドに入る時間には、遠くの友人と近況報告の電話。

朝はアラーム要らずで、窓から差し込む光が目を覚ましてくれる。
行きつけの珈琲屋で買ってきたマンデリンを入れ、背筋を伸ばして始めるデイリーワーク。


こんな日常を言葉にするなら「あたたかい冬支度」。
私を包み込んでくれるのはセーターや暖房器具の暖ではなくて、人情のぬくもりだ。

秋の逗子海岸落ち葉


逗子海岸に写真を撮りに行った帰り道、石段で赤く色づいた落ち葉を拾った。
あまりに綺麗なので誰かに見せたくて、古着屋のおばちゃんを訪ねる。
物々交換しましょと、枯葉の形をしたランチョンマットとコースター、ナフキンリングを貰った。

「わらしべ長者みたいね」と交わす微笑みもやはり、人情のぬくもりである。

落ち葉2ランチョンマット


October 20, 2007

婚姻届より事実婚

とうの昔にバツイチになってから延々と独身を通している。
さして不自由は感じないが、困るのは「もう結婚しないの?」と聞かれること。

「いえ、しないと決めたわけじゃないんだけど、かと言ってする必要もないし。いやその、相手がいないんじゃなくて、男が嫌いなわけじゃなくて、理想が高いわけじゃなくて・・」と、しろどもどろの返答をしてしまう。

落ち着いて思えば「しいて結婚にこだわる理由がない」が本音だろうか。

昨日の芸能ニュース欄で、夏木マリが交際相手との関係を「(未入籍婚が多い)フランス婚と呼んでください」とコメントしているのを見た。
先日パートナーを亡くした吉田美和(ドリカム)も事実婚。
いまだ審議が滞っている「夫婦別姓」とは違う意味での結婚形態である。法律的に言えば「内縁」がそれに近いだろう。

ウェディングベル、エンゲージリング、披露宴・・。
婚姻届に署名捺印して、同じ苗字の一歩を踏み出すことはもちろん嬉しい。
しかし互いに興味が失せて浮気の虫が騒ぎ出しても、自由を縛るべく紙切れ一枚に固執する関係は、「夫」と「妻」という役割にしがみついているだけに見える。

ましてや子供は作らない、親戚や相続問題には関与しないというカップルなら、最初から婚姻届を出す必要性はどこにあるんだろう?

恋愛関係には契約はない。どんなに好きでも恋愛は一生続かないという。
不安定な関係を続ける「事実婚」は、いつも別れの崖っぷちに立っているからこそ、強い信頼関係の上に相手の自由を尊重する「大人ルール」がベースにある。

私が望むのは「恋人という名の親友」。そこにあるのは依存ではなく、理解の持続だ。
その人に見合うBABYでいるため、私に見合うDARINGでいてもらうため、両目を開けて確認しあう。

晩秋の空を見上げるダイニングテーブル。独りには余るコーヒーポット。
夏木マリに刺激されたわけじゃないけれど、そろそろ人生の春が来てもいいかなと頬杖をつく土曜日である。