文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

うちの与六は生後2カ月のときにブリーダーさんから購入した、猫種としては比較的新しいマンチカンという種類の雄猫である。何十万円もする短足マンチカンではなくて足長タイプだけれど、骨太な体つき、真ん丸な頭、くるみ型の目、腰を振りながら直線上を歩くモンローウォークなどは血統書通りで、足のレングスも短めかなと贔屓目に思っている。

与六はペットとして飼われるために代々繁殖して生まれてきた子。この6年間ベランダ以外は表に出したことがないのに、野生だったルーツを感じるときがある。
  • 飼い主の急激な動作には危険を察して飛びのき、決して油断しない。

  • トイレで用を足した後は、モノと匂いを隠すために執拗に砂をかける。

  • 見張っている窓から小鳥を見つけると、捕りに行けない悔しさで「カカカ」と鳴く。

  • 窓から野良猫に出くわしたときは、鈴のような声で「ニャ」と呼びかけるか、「ウンギャーゴロゴロ!」と敵意を剥き出して脅す。

  • 暑くてもじっくりと被毛に太陽光を浴びて、ビタミンDを生成する。

  • 飼い主から貰う食べ物は嗅いで嗅いで嗅いで・・・、フレッシュでなければ絶対に食べない。

書き出せばもっとあるけれど、昨夜気付いた与六の野生。インテリアの色に合わせて自らが保護色になっているのだ。いや、被毛の色にマッチした場所を選んで寝ていると言った方がいいかも。

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革のソファーを保護するために掛けたのは、同じ茶系のハワイアン柄タオル。それは与六の被毛カラーと見事に溶け込んで、擬態としか思えない自然のミラクルを感じる。うっかり上に座ってフンギャ!と叫ばれるところだった。

親馬鹿のあまり与六の話を長々と綴ってしまったが、今回言いたかったことは他にある。水族館イルカ問題だ。日本動物園水族館協会(JAZA)が国際社会からの批判を受けて、追い込み漁によるイルカ調達を禁止したことで、加盟水族館では「繁殖がうまくいかず、飼育頭数が減るのでは」と不安をつのらせているという。

このニュースを聞いて考えたこと。イルカはワシントン条約の規制対象には入っていないけれど、なぜ野生のイルカの恐怖心をあおる方法で捕獲して水族館が購入し、芸を仕込まなくてはならないかだ。もう野生に戻れない個体を飼育するのなら分かる。いつか絶滅危惧種となったときのために繁殖方法を研究する必要もあるだろう。しかしペット化させてショーを開き、お客さんを喜ばせるのは、単なる人間のエゴじゃないかと思うのだ。

なら動物園は?と「そもそも論」になるので掘り下げないが、野生と飼育との境界線は難しい。アライグマだって、野生→ペット→害獣→特定外来生物の道を辿ったのは誰のせいだろう。

文明を切り拓くためにいったん自然に手をつけたからには、その将来に最後まで責任を取るのが人間の務め。さもなければ地球の創造主から見て、ワーストワンの害獣は人間になってしまうと思うのである。

5月に台風が来たなんて何年ぶりだろう。どうせ大したことないと高をくくっていたその晩は、警報を知らせる逗子の災害無線から始まって、風雨が窓をドーンと叩く音が強まっていく。滅多に鳴かない与六がニャーニャーと足にまとい付くのは、自然の猛威に恐れを感じているのだろう。

でも私はそれどころじゃない。請け負っているシステムのバグが取れず、土曜日から脇目も振らずにパソコンに張り付いて悪戦苦闘しているのだ。やむを得ない用事で外には出るけれど、頭の中はプログラミングのコードが絡まり合った状態。眼を皿のようにしてエラーを探すデバッグで、期待と溜息を繰り返しているうちに、いつの間にか台風は通り過ぎてしまった。やがて白々と明けていく空に、また徹夜してしまったと教えられる。

文筆業とプログラマーの道を選んで、良かったのは自宅を仕事場にできることに対し、最悪なのは視力がどんどん落ちていくこと。乱視が加わり階段の上り下りが恐くなったのに加え、暗い中の運転も危なくなってきた。夜間の運転は対向車のライトに目がくらみ、トンネルに入ると前進しているのか後退しているのか分からなくなる。そこに閉所恐怖症が加わって心臓はドキドキ、気が遠くなっていくのだから、いつ事故ってもおかしくないくらいだ。

そしてついに決断。愛車のMINIを手放すことにした。ネットと物流が発達した今は車で買い物に出なくても、amazonならその日のうちに注文したものが届く。仕事で都内に行けば、帰りはアルコールを飲んでくるのだから車の出番がない。年に3回ほどしか乗らなくなったMINIはバッテリーが上がるし、パーツは劣化するしで、駐車場で淋しく出番を待っている姿を見るのが切なくなったのである。

査定に来た業者さんが工場に持って帰り、「このまま引き取っていいですか?」の連絡が来たので、あとは委任状を送るのみ。マンションの管理事務所には駐車場の解約願を提出した。こんなに早く別れの日が来ると思わずにいたので、最後にもう一度乗ってあげれば良かったなと、まるで故人を偲ぶ心境だ。パソコンのフォルダから昔の画像を探して、笑った顔みたいなフロントグリルに、駄目なオーナーでごめんねと手を合わせた。

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ゴムタイヤの足にサヨナラしたのだから、今度は自分の足でしっかり歩かなくては。梅雨に入る前にウォーキングを再開してフットワークの軽い私になることが、きっと愛車への御恩返しになるはずだ。

数日間続いていた晴天がちょっとお休み。フェイスブックに上がる友人たちの画像もトーンダウン気味で、午後からの太陽を待っているらしい。

カレンダーを見て今日は「こどもの日」だと気付き、鯉のぼりを探しにベランダに出てみた。🎵いらかの波と雲の波🎵は歌詞通りだけれど、🎵高く泳ぐや鯉のぼり🎵は全く見当たらない。そういえば旗日に日の丸を掲げる家を見かけなくなり、眼下の景色は時代の変遷そのものだ。

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「兄と読む一つ絵本や端午の日」 高田風人子

日本大歳時記の「端午」に出てくる俳句の中でいちばん好きな句。一人っ子の私は絵本も玩具も独り占めできたが、男の子を祝う節句には縁がなかった。風にたなびくカラフルな鯉の数は子だくさんの象徴。騒々しく喧嘩しては親に叱られる兄弟のいる家庭が羨ましくて、これまで書いた歌詞の一人称は「わたし」ではなく「ぼく」にすることが多かった。紀貫之が「男もすなる日記といふものを女もしてみむとするなり」と綴った「土佐日記」の逆パターンである。

男の子のセンチメンタルな心情を勝手に解釈して書いた歌。NHK東京児童合唱団のコンサート用に作詞した「ぼくの子どもが生まれたときに」は、大家族への憧れを明治時代からの時系列で詰め込んだ。菜の花畑や蛍の飛ぶ川が近くにあり、ひいおじいちゃんが一緒に暮らしている家庭は今の日本にどれくらいあるのだろうか。お父さんとお風呂屋さんに行って、近所のおじさんが背中を洗ってくれる日常は映画の中だけだろうか。

心が通じる誰かと一緒に、無くした風景を探しに田舎へ行きたいな。窓を開けて「草いきれ」の香りを浴びる列車も今はどこに行けば乗れるやら。子どものころに乗った寝台列車の朝が無性に懐かしくなった。

秋から続いたマンションの大規模修繕が終わりに近づき、鉄格子の檻みたいだった足場が片づけられた。開放的で真っ白になったベランダが嬉しいのは私だけでなく、縄張りを広げられる与六も狩猟本能復活。日の出前から鳴き始めた鳥たちを目で追って、「カカカカッ」と猫特有の威嚇をしている。

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ツツジが咲いて新緑が眩しく、もうすぐゴールデンウィーク。去年より冷え込む日が多かったせいか、やっと今ごろ季節がリニューアルしたような感覚だ。悶え苦しんだ締め切りもあと幾らかの手直しで完成を見るので、連休中は積み上がった資料の整理や大掃除に勤しむ予定である。

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詰め込み過ぎた本棚がすっきりしたら真っ先に入れたいのは、出版社から届いた音楽の教科書。小学校3年生と4年生、2学年に私の作詞した曲を載せて貰えたのは最高のプレゼントで、ページを開くと記憶の彼方から新学期の匂いがしてくる。

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今の小学生はどんな歌を習うのか見てみると、目次の最初に載っているのは文科省が定めた共通教材で、小学校3年が「春の小川」「茶つみ」「うさぎ」「ふじ山」。小学校4年が「まきばの朝」「とんび」「もみじ」「さくらさくら」。古くから歌い継がれ、これからも歌い継いでいきたい歌として「こころのうた」という標題が付いている。ちなみに「春の小川」の解説文は「この歌は、100年ぐらい前につくられました。春の日ざしをあびてながれる小川の様子がうたわれています。わたしたちも身近な自然を大切にして、いつまでものこしていきたいですね。」と、自然環境保護のメッセージだ。

都会の子どもたちは近くに小川なんてないだろうし、岸のすみれやれんげの花も見たことがないだろう。でも子どものときに歌で想像力を膨らませて疑似体験しておけば、大人になって偶然その風景に出合ったとき、初めて見たとは思えないデジャヴみたいな感覚で喜びが溢れてくるものだ。懐かしさには五感が伴い、記憶した年齢が幼ければ幼いほど刻まれ方は深い。色は鮮やかで、匂いも音も触感も頭ではなく心にくっきり残っている。

私の書いた子どもの歌も100年後に歌われていたら嬉しいなあと願いながら、未来のその時には🎵電車の窓から見える赤いやねは・・🎵の電車すら無くなっているかもしれない。壊さなくとも修理すればいつまでも使っていけるものが発明されたらいいのにと、のび太くんの心境。命に限りある人間たちが、それを使い継いでいけたらどんなに良いだろう。

これで何回目か、24時間肌身離さず付けていたパワーストン・ブレスレットが自然にブチッと切れた。床に転がった石を拾って小袋に入れ、購入した鎌倉の聖石ショップへ修理に行かなくてはと思いつつ、仕事が忙しくて暇がない。最初に作った頃と比べ、このところ度々糸が切れるのは何かの暗示だろうか。

左手首にはめていたのは2本。愛を運んでくれるローズクォーツをメインにしたもの、金運・仕事運をアップさせるルチルクォーツとタイガーアイを繋いだもの、今回切れたのは前者の方だ。どちらも私の守護神である大日如来が刻まれた水晶を中心にして、インスピレーションで選んだ石で作った宝物なのに、糸が切れる頻度がどんどん上がってきたのである。ショップで糸を交換している途中に切れたことも珍しくない。

それでも放っておくのはどうか、明日は直しに行こうと思いながら、1週間が過ぎ2週間が過ぎ、やがて手首に残ったもう1本のブレスに違和感を抱くようになってきた。肌に石の当たっている部分が痒くなり、ミミズ腫れになっている。外せば不幸が下るかも・・と一か八かで抜き取ると、不思議なことに肩こりがスーッと軽くなり、身体中に爽快感が広がった。まるで囚人が鎖から解かれた瞬間である。

近頃の私はと言えば、ブレスレットをはめていた頃よりずっと愛に恵まれている。金運の成り行きはまだ分からないが、仕事はとても忙しい。心臓側の手首で脈打つ場所を縛りつけていた石を外したことが解放感を呼んだのか、本来の自分が戻ってきたような気がするのだ。

そして分かったこと。大日如来が刻まれた水晶を身に付けなくとも、太陽は空から万遍なく光を降り注いでくれる。石を通して愛情運や金運を間接的に願わなくとも、人間には一人ひとり生まれながらに備わった優れたパワーがある。得意なことを見つけて自分の生き方に自信のある人は、果たして神頼みのパワーストーンやお守りを購入するだろうか。生きる道標が定まらない曖昧な心を狙って、スピリチュアル系の商売は成り立っているのだと思う。

ということで、切れていない方のブレスレットも詰め込んだ小袋は迷いながらずっとバッグの中。たぶんショップに修理に行くことはないまま引き出し行きとなるだろう。「効かない石」に縛られていた数年間は取り戻せなくても、滑らかな手首と心は20代に戻ったストレスフリーになった。

3日遅れで父の誕生日を祝いに行ってきた。たまプラーザ駅は晴れた日曜日とあって、ベビーカーを押した若い家族連れが目立つ。昨年に妻を亡くした父を見舞うシングルの一人娘にとっては、ちょっと辛い環境だ。

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若緑の葉が芽吹いた桜並木を歩き、老人ホームまで15分。行くたびに上り坂が前よりきつく感じて、父の会社があった目黒の権之助坂がオーバーラップした。大鳥神社交差点から目黒駅まで歩くのに、年老いた父は途中で一休みして「俺も爺さんになったなあ」と言っていたのを思い出す。今は歩くどころか半身不随の車いす生活に痴呆も加わった。それでも私の顔を見れば「ゆり子、プリン持ってきたか」と食べものをねだる様子は、子ども返りして可愛いものである。

おやつ時間前のダイニングルームではカラオケ大会の真っ最中。「青い山脈」「北の国から」「上を向いて歩こう」「北国の春」と昭和歌謡が流れ、スタッフのリードに合わせて居住者たちが元気にコーラスしている。🎵あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな🎵と私も一緒に声を出し、父の故郷である愛媛県にしばし想いを馳せた。今は叔母一家しか暮らしていないけれど、小学生の夏休みに遊びに行った記憶はゴッホの風景画のように瞼の裏に残っている。田んぼの小川で従妹たちと遊んでいたらヒルに吸い付かれたこと、直射日光と草いきれでむせ返るバス停で1時間に1本しかないバスを待ったこと、垣根に夕顔の花が咲く時間になるとホームシックになって泣いたこと。

「今日は何を歌ったの?」と父に尋ねたら、返ってきた答えは偶然にも「夕焼け小焼け」。前には演歌の2〜3曲は歌えたのに、今は童謡の1曲だけになったらしい。挨拶にきてくれた看護師さんが、車いすの横にしゃがみこんで父を見上げた。「織田さんはすごいんですよ。『夕焼け小焼け』を全部暗記してるんです。記憶力には驚かされます。」
試しに「幾つになったの?」と聞けば「87歳」。誕生日も今日の日付も正確に言うことが出来る。しかし一言も口にしなかったのは継母の名前で、亡くなったことを知ってか知らずか、現在はタイムスケジュールに沿った老人ホームでの生活を幸せに楽しんでいるらしい。

継母の溜め込んだゴミを片付けて綺麗に整頓して戴いた居室は、清潔好きな父には居心地の良い場所になっている。引き出しを開けるとスタッフたちと撮った写真の下に、叔父に宛てた手紙が見つかった。「俺はお前の親ではない。盗んだ株券を返せ」と訴えたシビアな内容。漢字はひとつも間違いがなく、大きな文字で便箋3枚に渡って綴られている。これを書かせたのは継母だと思うが、処分して良いのか悩んだスタッフがそのまま残してくれたのだろう。引き出しを閉めて放置することにした。

戻れない過去への郷愁、現在の不安、未来への希望。どこに身を置くかは本人次第で、せめて家族にできることは「生きていたい」と思う気持ちを支えることだ。次に面会に行くときはプリンと日経新聞をお土産にしよう。屋上の庭園に咲く花の名前に興味は無くとも、日経平均株価や企業情報には関心を示すに違いない。その時は娘に「夕焼け小焼け」の歌をプレゼントしてねと、いつまでも🎵おててつないで みなかえろう🎵の家族でいられるようにと願った。

2月から缶詰状態だった大きな締切りが一つ片付いた。なまった身体からは黄色の点滅信号。去年みたいな腰痛に襲われないよう、座った姿勢で凝り固まった節々を動かさなくてはならない。こんな時こそ持つべきものは女友達で、桜が満開となった4月1日、お花見ウォーキングを決行した。お正月に鎌倉・江の島七福神巡りをした飲んべえ3人組である。

逗子駅に集合した午前10時は降ったり止んだりの雨模様。バッグに忍ばせたワインのために、まずはプレドールでパンを買ってから傘を並べて歩き出す。線路を渡って住宅街に入り、ローズマリーが群生した風の丘公園を抜け、鎌倉逗子ハイランドの桜並木へ。スーパーのSEIYU周辺の桜は木も大きく、道路へ伸びた枝がアーチ状になっている。

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見晴台からの山桜、公園に咲いた白木蓮、垣根越しの桃・・、珍しい花を見つけたときには立ち止まって写真を撮り、鳥の声に耳をすませては名前当てをして、女子会ならではの花鳥風月ウォーキングだ。

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金沢道の十二所からは鎌倉に向かう長距離コース。歩道が狭くて歩きにくいので住宅街に入り、頼朝の墓がある丘に登った。大きな楓の下に敷物を広げ、足を伸ばしてワイン休憩。久しぶりのピクニック気分にお喋りはさらに盛り上がる。

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ほろ酔いとなり活力が湧いたところで、今度は鶴岡八幡宮へ。笑顔で走る人力車、源平池に映る緑とピンク、人が溢れんばかりの赤い橋、平日で雨降りなのに世界中からの観光客で大賑わいだ。私たちは小町通りの蕎麦屋で日本酒ともりそば。鎌倉駅前の豊島屋でパン、紀伊国屋で赤ワインを買って最終目的地の源氏山公園に向けて歩き出す。

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銭洗弁天で千円札を洗い、源氏山公園の葛原岡神社に着いたのは午後5時近く。殆ど人影は無くなっていたが、頑張って歩いただけ見応えのある桜に酔いしれる。実はこのあと逗子に戻ってJJ.MONKSでスミノフのレモネードを2杯、もしかして白ワインも飲んだような。帰宅後はベッドに倒れこんだのは言うまでもない。

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恐るべし女子会パワー。どれだけテクテク歩いたか、Googleマップに赤線を引いてみた。何故か筋肉痛にもならず、ウォーキング熱が復活しそうな春のスタートである。

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アートディレクターの大御所であるW氏が金曜の晩に亡くなったという知らせが届いた。御加減が良くないとは聞いていたけれど、こんなに早く向こう側に逝ってしまうとは思っていなかった。最後に姿をお見かけしたのは鎌倉駅のホーム。W氏が経営するバーに友人たちと飲みに行き、店内でも駅でもバッタリと出会った数年前の夏だったと思う。白いシャツの袖を捲ってチノパンを履いた姿は遠くから見てもすぐ分かり、軽く会釈して反対側の電車に乗った。

食へのこだわりが強かったW氏からはシンプルでレトロな調理道具を幾つか戴き、それを使ったレシピも教わった。ルッコラのサラダにかけるドレッシングの作り方、上に載せるポーチドエッグの茹で加減。その際に使うのがドイツの蚤の市で買ったというポーチドエッグ専用の小鍋である。

内心「電子レンジで作った方がずっと簡単なのに」と不満だった私は、この小鍋を戸棚の奥へ仕舞ったままにしていた。今朝になって引っ張り出し、気付いたのは小さな形見からのメッセージ。よく使い込まれて凸凹になった鍋は錆さえも愛らしく、卵一個を割って載せるパーツは持ち手や水抜き穴など究極のシンプルさで出来ている。W氏にとってはこの調理器具を使うこと自体がアートだったんだろう。

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スマホに訃報が届いたのは、葉山の友人宅でBBQパーティーをしていた昨日。野菜にはこの塩をかけると美味しいと、偶然にも直伝の調味料「ろくすけの塩」を皆に勧めた後だった。

今年の桜はまだ五分咲きなのに逝っちゃいましたか。シガーの煙をくゆらせ、鼻眼鏡でフンと笑うあの独特の表情が懐かしい。「良く生きて良く死ぬ」というインディアンの諺通りに生きられたのか、本音は聞けずじまいだった。

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今日は暖房が要らないほど暖かい一日だった。Facebookで友人たちの投稿を見ていると、一気に開花した桜の画像が沢山アップされている。冬に強い冷え込みがあったほうが、ソメイヨシノの花芽は早く休眠から目覚めるらしい。

私のなかで近頃むくむくと芽生えてきた心理現象。それはここ数年に渡り全く興味を抱かなかった、誰かに恋をしたいというモチベーションだ。夕食を取りながら見ていたラブコメディ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」の最終回で、30歳を越えながら絶対に自分から好きと言えないカップルの不器用さ・もどかしさに、恋が始まるドキドキ感を思い出した。主題歌のサビ、🎵あなたに恋をしてみました〜🎵のフレーズが耳にリフレインして、堅く閉じた蕾に春の陽光が差したような感覚である。

去年に増して2〜3月は家ごもりの仕事に時間を費やし、生きているぬくもりは足元を温めてくれる猫しかいない状況が続いた。明け方ベッドに入ればすっ飛んできて、添い寝してくれる親密度は恋人そのもの。与六がいれば男なんか要らないと豪語していたのが、やっぱり抱き合うのは人間でなくちゃと思ったのは、友人から届くWedding Partyの招待状であったり、いつもloveloveの画像をFacebookに投稿するカップルであったり、大人が恋に弾ける姿を見せつけられたせいかもしれない。

睡眠サイクルが二転三転し、夜明け前に起きた月曜日。早起きの小鳥が鳴く声に誘われて散歩してみた。水色の空の下端には、これから太陽が昇る紅色。まだ点ったままの外灯が、夜から朝にバトンを渡そうとしている。

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「いつまでも可愛い女の子でいなきゃだめだよ。もっと華やぎなさい」。20年来の仲である男友達に説教されたことで、外に出る準備を始めたこの頃。クローゼットに吊るされた服たちがどれも臆病な色に見えて、ビビッドな春色のブラウスを買いに行こうと決めた。失敗をひるまず、先ずは恋の始まりから楽しまなくちゃ。季節が新しく生まれ変わる4月はもう目の前まで来ている。

陸前高田の地名を出して東日本大震災を予知したとされる、預言者のサイトを見て不愉快な気持ちになった。これから災害や戦争は激化していくと言い放ち、「天上から私たち人間を見ておられる神々が『人間の心よ清く美しくなれ』とさまざまな災害でそのお心を示されておられる気がいたします。」と書かれていたからだ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも人間のみならず瑞々しい動植物を創造した天主(神様)が、災害を起こしてお心を示すなんてあるのだろうか。彼女が「来る来る」と書くたびに画面をキャプチャーしてきたけれど、懸念の事態は起こらないまま記事は削除されている。

旧約聖書に記されたバベルの塔とノアの箱舟の物語であれば、清い心の持ち主が一切消えてしまった地球で、神がペアの生物だけを残して全世界を洪水で滅ぼしてしまったのは仕方ない。しかし東北を襲った大津波により犠牲となってしまった方々に対して、出版や講演会などで金儲けに走る預言者が、神のお心が示されたと言うのは神と犠牲者を冒涜しているように思う。集まったお金はどこに行っているのか、なんだか韓国のドロドロした歴史ドラマを見ているみたいだ。度々登場する「知らないオジサマたち」が懐を温めているのかな。

私が育った家庭は毎日神棚に榊を捧げ、仏壇にご供物を備え、しかもミッションスクールでカトリック教育を受けさせられた。なのに未だ宗教の本質を見極められない。この宇宙を創造した神や、人の苦しみを救う仏が本当に存在するのか分からない。しかし人間が生まれながらに備わった心には、奢り高ぶりの世俗的仮面を拭い去れば、下地には赤子のように真なるものがあると思っている。それは空から見守ってくれている祖先からのDNAであり、共に生きながらも先に逝ってしまった大切な人からの愛と守護だと思うのだ。

悲しいかな、人間は欲望のために沢山の罪を侵し、中には殺人という極悪さによって死刑になる人もいる。日本には裁判員制度が出来て、より公平な目で人を裁く世の中になったけれど、長い歴史を遡れば法律はコロコロと変わってきたものだ。思想を貫いたために死罪となった吉田松陰は果たして神のご意思によって裁かれたのか、現在放映されているNHKの大河ドラマのヒーローとなっているからには、当時の処罰に疑問を抱く人たちも多いだろう。

何の権威もないちっぽけな私が言うことではないけれど、人が神の衣を着て預言などしてはいけない。預言内容に災害や戦争、経済不況といったネガティブなことばかり書きたてて人を脅してはいけない。心身が弱っているからといって、そこにお金を落とす相談者はもっといけない。

神や仏の御業を口にするのであれば、罪があろうとなかろうと皆が平等だ。次の災害を預言するスピリチュアラーが守ってくれる、だから自分は絶対に生きていられると確信する人はいるのだろうか。本来は幸せを予見するはずであったスピリチュアルブームは、バブルの終焉期を迎えたように感じている。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。真心を持って全うに生きていれば、幸せは向こうからやってくるものじゃないのかな。

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