文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

自分をさておき、人を美醜で判断してはいけない。しかしどう贔屓目に見てもルックスが宜しくない方が性格までも醜悪と判断されたとき、「一円玉ブス!」(これ以上崩せない)もしくは「猿人ブス!」(原人に進化する前のケモノ)と心の中で怒鳴ってしまう至らないワタシ。街角で電車で居酒屋で、その種に出会ってしまったときは目が離せなくなり、お嬢様学校に勤務する修身教師になってイラついてしまうのである。ああ、最も性格が悪いのは私だ。

友人に招かれて出かけたビーチパーティー。午後1時過ぎに到着するとBBQの第一戦は終わり、主催者たちは補給の買い物に出かけた様子である。この日のために取り寄せておいた赤ワイン2本をクーラーボックスに入れて周囲を観察していたところ、最も危ないと思えるベロベロに酔った見知らぬ女子が近寄ってきた。「酒くれ!」とクーラーボックスを開け、私がつい先ほど入れたばかりのワインボトルを開けようとするのである。

「ごめんなさい、これは主催者にお見せしてからね」と声をかけると、「2本あるのにいいじゃん!」と怒鳴られ、「しゃーないから自分が持ってきたのを飲むよ」と、スクリューキャップの白ワインを抱えて退散。あぐらをかいてマイボトルを飲みほした後、飲みかけの缶ビールを持ったまま爆睡している。ごめんなさいっ、その姿、教科書に載っていた北京原人を想像してしまった。

でもどこか懐かしいのはなぜ。70年代の学生フォークみたいなファッション。一重瞼にヘアスタイルは「おすべらかし」(平安時代のストレートヘア)。くるんとした丸い鼻から鼻提灯が出ているのは笑えるが、よく見るとメイクもせずに透き通った綺麗な肌をしている。黙ってれば無垢なカワイイ寝顔じゃないですか。日本人の原点じゃないですか。

もうちょっと痩せて明石家さんま的パーツを矯正して、ファッション上手になって、「オレ」じゃなく「ワタシ」と綺麗な言葉を話したら、頭のいい貴女がこれまで一生懸命勉強して身に着けたスキルも、小保方マジックみたいに100倍の注目度を得られるんだよ。STAP細胞の真偽はともかく、才色兼備で初心なタイプこそ文明人のアイドルになれるのである。

全員が注視するなか熱中症寸前で目覚め、それまで周りが水分補給をしたり足に水をかけたりとケアしてたことを一切知らない彼女は、「ビールだ!」とクーラーボックスに突進した。再開したBBQの焼き物を頬張って元気復活。自分の理想に合わない男たちを卑下しつつ、これから婚活を頑張ってスーパーエリートをゲットするぞと、お父さんの年齢に近い男性に豪語し始めたのは面白すぎた。

そうだね、頑張れがんばれ!その強気は恋愛ドラマのように男を制すかもしれない。また何かの縁で再会したときにはオレサマ的な「悪デレ」言葉を止めて、素のままのカワイイ貴女を見せてくれたら、隣にはきっと理想の彼氏がシャンパングラスを差し出して待っているだろう。キーンと冷えた泡のボトル栓を抜いてくれたとき、「ごちになりっす」じゃなく「いただきます」と言うんだよ。この夏のハッピーエンドを楽しみにしながら、逗子の恋愛ステージ本番が始まった。

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今日の都心は34度を超える猛暑だったという。しかし海と山が近い逗子で暮らしている私はまだ冷房も扇風機も使わず、窓を開けて風を入れるだけで過ごしている。体感温度は28℃ぐらい。湿度が高いので汗をかく不快さはあっても、機械によって強制的に冷やされる肌の違和感よりは数倍も楽である。顔をジャブジャブと洗った後は、自然の油が出てくるので化粧水すら要らない。

仕事で都内に行くときは必ず長袖を着用。なぜなら横須賀線は腕を摩りたくなるほど冷房が効き過ぎているからだ。電車から降りるとクシャミと鼻水が止まらないのは寒暖差アレルギーの症状だろうか、ポケットティッシュの減り具合は冬と変わらない。生き返ったと思えるのは太陽ジリジリの自然環境下にあるときで、片手にハンカチ、片手にペットボトルを持って汗だくで歩いている方が、電車の強制的な冷房で震えているよりホッとする。

体感温度は感性から影響を受けているとの自己的考察。
例えば、昼間にモアーッとした駅のベンチで電車を待っているとき。隣のご婦人が使う扇子からお裾分けの風を受けた心地よさは何だろう。田舎のおばあちゃんを訪ねた子どもの頃、水色の蚊帳を張った寝床で、私が寝付くまで団扇で仰いでくれた涼しさと共通している。人の手を介した優しい風だ。

例えば、夏の遊園地で肝試しに入ったお化け屋敷。暗い・かび臭いといった不満はあっても、暑くて耐えられなかったと怒るだろうか。もちろん冷房は入っているだろうけど、恐怖に打ち勝つ方向に集中していれば汗腺も引き締まる。外に出て「大したことなかったじゃない〜!」と勝ち誇った瞬間にドッと汗が噴き出てくるのだ。

てなわけで「心頭を滅却すれば火もまた涼し」となるか、これから本番を迎える今年の夏。
梅雨明け宣言と共に花火大会が始まり、昨日は鎌倉、今日は葉山。どちらのビーチにも近い我が家では窓ガラスが震えるほどのドカーン!という打上げ音がとどろき渡り、ビビった与六はベッドの下に逃げ込んでいる。「大丈夫よ」と引っ張り出して抱っこすれば、ガタガタと震えて悲しい声で鳴き、スルッとと私の腕を抜けるとまたベッドの下へ。これは体感温度的にかなり寒い思いをしているに違いないと、約40分で終わる花火大会の間、耳をピクピクしている与六を励まし続けた。ジェット機の爆音は平気なのに、花火は腰が抜けるほどの恐怖らしい。

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さてさてフライデーナイトの明晩は、仕事関係で六本木に行かなくてはならない。コンクリートジャングルが焼け付く都心の熱気は恐ろしいが、それよりも家に心残りが・・・。ドッカーン!の音に震え上がる与六が恐怖で凍死しないよう、どうか明日は3夜連続の花火大会がありませんように。

私の心臓には毛の生える土壌がない。勇気を振り絞って自分を売り込もうとしても相手が無反応だったとき、「あっ、今のは何でもないんです。ところで・・」と、話を摩り替えるビビり具合は、絶対に営業には向いていないことを自覚する。しかしその控えめさが功を得ることを何度も体験してきた。逗子の漁港町に住む田舎者が、日本の先進業界でトップに君臨する方々から興味を持って戴くという有り得ない恩恵に預かってきたのである。

例えばその1。投資プロジェクトを売り込みたい元彼から「俺のマネージャーをやってくれ」と頼まれ、著名企業のトップたちに接見して回っていたころ。会議後の宴席で酔っ払い活気付いて逗子をアピールした結果、「行ってみたいな。案内してくれるか?」と地魚グルメツアーの企画を仰せつかる。電車の切符の買い方すら分からないお偉方をたった3坪の立ち飲み屋にご案内したら大喜びされ、その後もツアーを重ねているうちに元彼は失職し、企業トップとは「ちゃん」で呼び合う慣れ具合になってしまった。それでも営業する度胸はないのでずっと飲み友達のままだが、困った時には必ず助けてくれるとの言葉を戴いている。社長も漁師もフリーターも公平に集う場所からスタートしたのだから、目線は同じ高さだ。

例えばその2。私は世界に120万人の会員を持つボランティア団体の会員に属している。マイクロソフトのビル・ゲイツは組織が掲げるポリオ撲滅運動に賛同し、毎年3億5千万ドルもの寄付を続けているほど大きな団体だ。その末端の1クラブに入会するとき先輩から言われたことは「3年を過ぎるまで営業活動をしてはいけない」「自我を捨て奉仕しなさい」だった。奉仕って何?と、意味など分かりようもない自分。例会場のホテルはクリスマスシーズンにはカップルが長蛇の列を作る有名スポットにあり、時には三ツ星レストランでの食事会になったりする。私なんて、私なんて・・「花子とアン」の女学校状態である。

そして今は入会してから8年目。WEB制作というデジタル系職業に基づき奉仕したことで会長賞を戴き、その上を行く東京都の下半分95クラブ・会員数5,000人をまとめる地区でIT関連の権限を任せて戴いている。来年にはこの上ない役職を戴くにあたりビビって辞退したところ、「貴女じゃなきゃ駄目なんです」とのお言葉を戴き、どう返答したら良いものか頭上にはハテナマークの雲が浮かんでいる状況だ。

例えばその3。付き合いのある企業がWEBサイトを作ろうとして、半世紀に渡り信頼のある取引先に依頼したところ、3,000万円もの費用を要求されたのである。検証のために何度も呼ばれた会議で不正当さを追求した結果、支払う金額はたった100万円になった。大手企業と名刺交換のとき鼻で笑われた末が、象とアリとの対決でこちらの勝利。私はちっぽけな会社経営者であり、本質はデジタルの1か0かを打ち込む技術者であり、おしゃれに振る舞えない逗子の田舎者。打ち合わせにはスーツで行かず、コットンのシャツとサンダルで参加する。クローゼットにはエルメスもグッチもマックスマーラも吊下がっているけれど、それを着ていくのが田舎者であり、私が目指すものではないと思っていた。ビシッと高いスーツで決めた大企業に対し、「ボロを着てても心は錦」をトライした好結果である。

3連休の最後、明日は友人たちから葉山のビーチでのBBQに呼ばれている。みんな何を着てくるのかなと思いつつ、どれだけ格好いい田舎者になれるかが勝負。仕事ダイエットで痩せて良かったとウエストが楽になったパンツを履いて、ラメのペディキュアをして、明日の晴天を楽しみにしている。集まる仲間たちの自然体なライフスタイルは、ビル・ゲイツに勝るとも劣らないと、逗子の田舎者を代表して宣言するとしよう。

パジャマに着替えた深夜、何気にNHK BSを見ていたら、楽器を抱えた白髪頭のおじさんたちがステージに登場した。昭和の時代、グループサウンズブームの頂点にいたザ・タイガース。昨年の12月に東京ドームで行われた再結成コンサートの録画放送である。

1967年にデビューして44年ぶりのオリジナルメンバー。加橋かつみさんは都内の某喫茶店でよく拝見したので雰囲気に違和感はないが、白いあごひげを伸ばした沢田研二さんをはじめとする皆の変貌ぶりに驚いた。青春が蘇るというよりはタイムラグがありすぎて、本当にこの人たちがタイガースなのかと、帰還後の浦島太郎を見た気分なのだ。

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しかし実力は衰えていない。2曲目の「サティスファクション」で注目したのが岸部一徳さん。オールマイティな演技を見せる名俳優のイメージしかなく、まさかベーシストとして現役であるとは思わなかった。ドラマーの瞳みのるさんも最年長にして最も若々しくハイテンションで、自分の持ち場ではステージを隅々まで走って客席を盛り上げる。一緒に拳を振り上げる客席のファンたちもどれだけ元気なことか、これこそ日本の中核を成す団塊の世代パワーである。

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タイガースはストーンズのように長期の活動を続けてきたグループに思えたが、1967年に「僕のマリー」でデビューしてから1971年の武道館コンサートで解散するまで、たったの4年間。経験を積んで大人になった今でこそ1年はあっという間に過ぎてしまうが、当時の彼らにとっては毎日を燃焼して生きた長い長い4年間だったと思える。

栄光の時代を噛みしめるがごとく「イエスタデイ」を歌った岸部シローさんは車椅子で登場。自己破産のあとに脳内出血で倒れ、奥さんも亡くし、闘病生活を続けながら今は老人ホーム暮らしというが、後遺症のせいで動きづらい唇からこぼれてくる歌声は音程が正確で、歌詞もしっかりと覚えている。取り囲んで励ましながら楽器を弾きコーラスをするメンバーたちには、久しぶりにライトを浴びた弟に対して感無量な一曲だったであろう。

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びっしり埋まった客席を見ていると、自分も小娘だった時代が蘇る。追っかけをしていたのはアメリカのロックバンド「シカゴ」で、来日公演のチケットを買うために初めて一人で東京へ行った。2月に武道館で行われたコンサートには、表参道のミルクで買ってもらったブラウスをコートもなしに着て行き、憧れのロバート・ラムに見てもらえるかと通路に出て踊ったものだ。穴を掘って埋めたいほど恥ずかしい思い出だけど、歳をとって認知症になったとしても覚えているに違いない。

「流行歌」という言葉は時代遅れ。好きなアーティスト、好きな歌はいつまでも現役で心の中に生きている。

今日は朝から緊急事態。会社に遅刻の電話を入れて、僕は慎重に車を走らせている。後部座席には青ざめた表情の君と、膝の上には苦しそうな息遣いのアキタ。動物病院まであと少しだから頑張ってくれよ。そう、アキタってのは君の大事なペットの秋田犬だ。

君がアキタを飼い始めたのは三年前。たまたま入ったペットショップで、亡くなったご主人と誕生日が一緒の子犬を見つけて衝動買いしたんだ。七夕生まれのご主人とは同じ営業部の職場結婚で、僕にとっては頼もしい兄貴のような先輩だった。ところが二年前に出先で突然倒れ、心筋梗塞で急逝。心の準備もないまま一人ぼっちになった君を、僕たち同じ部の仲間が励まして見守ってきたけれど、悲しみはそう簡単に癒えるもんじゃない。定期的に家を訪ねる仲間は一人減り二人減りして、今では僕一人になってしまった。

キッチンの戸棚が壊れたとか、家具を移動したいとか、男手が必要になると呼ばれるのが僕。いつの間にやら勝手知ったる他人の家となり、冷蔵庫から自由に缶ビールを取り出して飲むほどになっていた。誰にも打ち明けていない本心を言えば、君のことを好きになったのは先輩よりも先だったのに、恋の営業センスは奥手。大っぴらに交際宣言した二人から「早く彼女を作って四人で遊ぼうよ」なんて言われながら、生返事を返すだけだった。でも先輩が亡くなったからチャンス到来なんてこれっぽっちも思っていない。本当に君が好きだから、君が好きになった人も大切にしたいから、縁の下の力持ちで一生いて構わないと思っていたんだ。それがアキタの登場であえなく退場となったんだけどね。

秋田犬は忠犬ハチ公で有名になったくらい飼い主に忠実な犬だ。室内で飼われているアキタは番犬として揺るぎない忠誠心を発揮した。僕が部屋に入るとウーッとうなり声をあげ、君に少しでも近づこうものならワワワワン!と飛びかかってくる。仔犬の頃ならかわすこともできたけど、成犬になってからは太刀打ちできず、訪ねるときにはリードを付けて貰うこととなった。「こらっ、アキタ!」を繰り返す君に申し訳なくて足が遠のくようになり、更にもう一つの理由があってこの半年ばかりは訪ねていない。それはカレンダーを見ながら君がぽつりと呟いた一言。
「七夕の夜は奇跡が起きるかなあと思っているの。一晩だけアキタがあの人の姿になるかもしれないって」
ああ、犬以下の自分。君の心に僕の居場所はないんだと落ち込んだ。

そして今朝の電話、久しぶりに聞いた君の声は半泣きで震えている。アキタが嘔吐して痙攣を起こし、呼吸困難になったと言うのだ。すぐに車で駆けつけ、毛布でくるんで動物病院まで運ぶ。君の大切な宝物を二度も失くすなんて、そんなことは絶対にあってはいけない。診察室に入った君たちを待ちながら、窓から見える曇り空に向かって先輩に助けを求めた。

やがて数日経って七夕の夜。君の手料理を前に、僕とライバルは仲良くテーブルに並んでいる。メニューは特製ハンバーグ。僕には赤ワインたっぷりのソース、病院で食中毒と診断されたアキタには玉ねぎ抜きで「召し上がれ」。恩義を感じたのか僕を威嚇しなくなったアキタが、さて今晩先輩の姿に変身するか否か、一緒に見届ける役目を仰せ付かった。でもそれって朝まで一緒にいていいってこと?どこで?

ドキドキしてる僕の表情に「もう酔っちゃったの?」と笑う君は、未だ手の届かない織姫だけど、いつかは家族になれる日がきっとくると思うことにしよう。未来絵図を思い描いている小心者の膝に、大あくびしたアキタがドカッと頭を載せた。

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毎年7月7日に書いている小さなラブストーリー。今回で8回目です。
主人公にライバルを登場させて、未来発展形の物語にしてみました。今日の逗子は曇り空ですが、皆さんの空は織姫と彦星のデートが見られそうですか。キラキラした恋が沢山生まれますように。

小坪の自宅から東京ヘは車で1時間、バスと電車なら1時間半。恵比寿に住んでいた頃には飲み会の後も難なく家に帰れたのに、今は乗り継ぎが上手くいかないと2時間以上を要する。移動時間が勿体ないけれど、また東京暮らしに戻りたいと思わないのは、今の住まいに心の居場所が定着したからだろう。

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ドラマ「最後から2番目の恋」でキョンキョンが演ずる主人公は仕事時間が不規則なテレビ局のプロデューサーでありながら、住まいは鎌倉の古民家。江ノ電で極楽寺駅から鎌倉に出てJRに乗り換え、仕事場まで行くには吊皮につかまって相当な時間を要するはずだ。なのに女友達と東京で飲んで、鎌倉に帰って泥酔するまで飲んで、朝食時刻にはメイクもファッションも決めてバリバリ元気だ。もちろんフィクションなのだから現実離れしているのだろうが、あながちあのライフスタイルは湘南暮らしなら嘘ではないと思っている。

前回のブログに書いた気仙沼・釜石への旅のあと、仕事漬けの日々が続いた。毎年2月〜3月にルーティンワークとなった猛烈な仕事量を上回る膨大さで、通常なら2か月かかる仕事を3週間で上げなくてはならない。ところが調子の悪くなったパソコンの入替作業のせいで1週間も取られてしまった。月末の締切に間に合わすには睡眠時間を削るしか方法がなくなり、寝食を忘れてキーボードを打ち続けると外はいつの間にか暗くなり、またいつの間にか明るくなる。若い頃でさえこれまで徹夜を続けたことはなく、2週間で4キロも痩せたのは初めての経験だ。

もしこれが都内のマンションに籠城しての仕事だったら、身体も心もボロボロに壊していただろう。しかし至って健康なのはひとえに逗子のチベットと呼ばれる小坪の環境のおかげなのだ。

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どの窓からも目を癒してくれる緑の樹木と柔らかい花の色。夜は後ろで寝ている与六の小さなイビキしか聞こえない静寂。やがて小鳥たちの鳴き声が賑やかにボリュームを上げ、夜明け間近な光のニュアンスが「外に出ようよ」と誘ってくる。ベランダに出て絵画みたいな空を眺めてストレッチしていると、階下には新聞配達のバイクが止まって日常の営みがスタートしたことを知る。24時間を支配したような満足感。私を取り巻く環境たちがまるで脳内麻薬みたいに、締切に向かって頑張る活力を注入してくれるのである。

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住まいが近いのに逗子の友人たちにはしばらく会っていないけれど、情報はFacebookでリアルタイムに入手。寂しくなって繰り出せば、大家族みたいな人数がいつもの場所で出迎えてくれると分かっているので、もうちょっとだけ我慢して頑張れる。これが湘南に暮らす醍醐味なのだと知っていれば、都内に住む人の数倍の通勤時間がかかっても苦にならない。

「最後から2番目の恋」効果で、週末の鎌倉には人混みが引っ越してくる。中井貴一を真似て由比ヶ浜のビーチで桜貝を拾っても、ロケしたレストランに行列待ちで入っても、本当の良さは腰を据えて住んでみなくちゃ分からない。「そんなところ、平日なら楽勝よ」とジモティーの優越感に浸りつつ、目と鼻の先にあるのに入る暇のないマンションのプールを横目で眺めつつ、私が手に入れたものは「余裕」なのだと実感。それは通勤時間とは真逆なプライオリティである。

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さて、季節の変わり目にアップしていた与六のコスプレ・カレンダー。一回り大型になったディスプレイに合すサイズを作るのが面倒なのと、まだ仕事の続きに追われていて制作する時間がありません。風に乗って聞こえてくる祭り太鼓の練習音に合わせて、和風コスプレをした写真だけは撮りました。3つのサイズをアップしますので宜しければ壁紙にご利用いただければ幸いです。サイズが大きいものはクリック後さらにクリックして最大表示してからダウンロードしてくださいね。

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気仙沼からBRTで到着した大船渡の盛駅。アスファルトのバス専用道を渡って、反対側のホームに電車が着くようになっている。

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次の三陸鉄道・南リアス線の発車時刻まで1時間、急いでランチを取ることになった。激しくなった雨の中を歩くと、三色国旗の立った可愛いイタリアン・レストランを発見。1,300円でバリエーション豊かなオードブルや春キャベツのパスタに舌鼓を打つ。「トラットリア ポルコ・ロッソ」というこの店は地元の農家や漁師から手に入れた食材をふんだんに使い、女性にはハート形のバケットを出すなどの気の利いたサービスをしてくれる。ここでもクリスチャン氏は完食。食事を残すことは罪だと思っているのか、高齢にして食用旺盛なのか、食後のコーヒーまで超特急で飲んで、スタッフの見送りを受けながら慌ただしく駅へと戻った。

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4月に釜石までの全線が開通したばかりの南リアス線。ワクワクしながらホームで待っていると、回送と表示された車両が入ってきて前方車両との連結が行われる。平日の昼間とあって乗客は少なく、一人ワンボックスずつ席を独占して車窓からの風景を眺めることにした。リアスという名が付いていても海が見えるところは僅かで、緑深い山とトンネルが幾つも続いていく。

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楽しみなのは恋し浜駅。小石浜地区で養殖されている「恋し浜ホタテ」にちなんだ駅名に変更され、ホームの待合室にはホタテ貝の絵馬がいっぱい吊下がっている。志村けんやAKB48のメンバー3人が記念乗車した際のホタテも奉納されているらしい。

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約1時間の乗車で釜石駅に到着。偶然その場に居合わせた新聞社の取材を受けていると、私たちに「こんにちは!」と挨拶しながらリュックを背負った小学生一行が電車に乗り込んでいく。三陸鉄道は赤字路線から脱却するために団体貸し切りやお座敷列車などのアイデアを駆使しているそうで、その際には車両の隅に置いてあったカラオケセットやスピーカーも朝ドラの「あまちゃん」みたいに使用されているのだろう。

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ラグビーボールのモニュメントが出迎えてくれた駅前から、川沿いの道を通って養護老人ホーム「五葉寮」へ。ハンドルを握る支援員の方が釜石市の被災状況を話してくれた。大震災で亡くなられた方は1,000名近く、中でも被害が大きかったのはこの地域で、20〜30mの津波に襲われて約600名が犠牲になったのだそうだ。

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海岸から4kmの距離にあって高台に建つ五葉寮では、地震発生後に避難してきた地域住民と共に居室待機。安全な場所にあると思い込み、これまで津波を想定した避難訓練は行っていなかったという。ところが町並みを飲み込むように津波が押し寄せ、施設にも浸水が始まった。職員たちは入居者とデイサービス利用者50人を連れて裏山へ避難させたというが、途中で2名が流されて犠牲になったという。施設の2階まで浸水したため、その晩は地域住民と併せて130人が裏山の100屬曚匹虜邏判蠅如∈造蠅海澹を寄せ合って夜が明けるのを待ったのである。

その後、避難所に分散した入居者たちは県内の養護施設9か所が受け入れを決定。半壊した施設はもっと奥まった場所へ移転が認められ、昨年11月に建物が完成、今年3月末には定員60床が満床となった。津波で地域が壊れてしまい、おじいちゃん・おばあちゃんの見守りをできる家族がいなくなった。独り暮らしで経済的にも行き詰まった高齢者たちは養護老人ホームへの入居を待っている。

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今回私たちは、仕事がら足腰に負担のかかるスタッフ全員に腰用サポーターを寄贈。ヨーロッパで4割のシェアを誇るフランス・チュアンヌ社製の「第2の皮膚」と呼ばれる素材を使用したストレスフリーなサポーターである。若い年代は東京に仕事を求めて流出する東北では、施設は建設されても介護スタッフが圧倒的に少ない。五葉寮は自立できる入居者も多いが、それでもスタッフ1人で15人を看ているのだという。

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贈呈式が終わり、帰途はジャンボタクシーに乗って新花巻駅へ向かう。携帯の電波も立たない山道をくねくねと走ること約2時間、途中で一休みした道の駅「遠野風の丘」で自分へのお土産としてブリキのカッパを買った。

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18時には飲食店がクローズしてしまった新花巻駅で20時の新幹線を待ちながら、お疲れさまでしたと缶ビールで乾杯。次に東北を訪れるときは観光客として、たっぷり時間をかけた旅をしたいな。そのころには気仙沼も釜石も今よりずっと復興しているといいな。もっと地元の人たちと自然体で触れ合えるといいな。皆それぞれの想いを胸に、ちょっと後ろ髪を引かれる復興支援の2日間であった。

朝の気仙沼港は雲が低く垂れこめて、霧雨が本降りに変わろうとしている。私たちは9時にホテルを出発、気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」に向かった。ここには家庭に事情のある子どもたちが入所し、現在は3歳から18歳までの51名が暮らしている。

この施設は地震でタイルにヒビが入ったり地割れしたりの被害を受けたが、高い場所にあるので津波は到達しなかった。しかし電気・水道のライフラインが止まり、10日後の夜に電気が回復して初めて、大津波の映像に驚愕したのだという。何が起きたか分からないまま生きた心地がしなかったのは2昼夜に及んだ大火災で、すぐそこで街が燃えているように見えたそうだ。

ホールで身を寄せ合って生活したのは子どもたちと職員に加えて、避難してきた地元の人たちの合計140人。食料の備蓄は子どもたち3日分しかなく、3食を2食に減らして先が見えない不安と戦った。この施設は津波の避難所には指定されていないため救援物資が届かず、自衛隊が確認に来てくれたのは震災から1週間後、大口の支援があったのは2週間後だったそうだ。それでも人間がいっぱい集まっているとお互いが支えになり、気持ちが楽になる。心のケアを必要とした人は誰もいなくて、むしろ仮設住宅に独りで入ってからが寂しくなる人が多いのだという。

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今回私たちは午前中の訪問だったので子どもたちには会えなかったが、職員の皆さんが大歓迎してくれた。サイズいろいろの自転車とヘルメット、パソコン、そして前と後ろに可愛いロゴの入ったフランス製Tシャツの贈呈式は笑顔でいっぱいになった。サンジロンは自転車ロードレースの世界最高峰「ツール・ド・フランス」の第9ステージ出発点であり、背中側にロゴの使用が特別に認められたのである。

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記念撮影を終えると出発の時間。気仙沼から釜石に向かうため、まずは盛駅までバスを利用する。駅の窓口でBRTのチケットを購入して待っていると、岩手県観光PRキャラクター「わんこきょうだい」が描かれたハイブリッドの赤いバスがやってきた。

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ダンプカーが行き交う国道45号線を経由して、盛駅までの所要時間は75分。途中で「奇跡の一本松」という停留所の名前に車内がどよめいた。「どこにあるの?」と窓に張り付きながら、道路の両側は土の山だらけで殺風景なことに気付く。街ごと津波で流された跡地には、地面の嵩上げに盛り土をするため、土砂運搬用ベルトコンベアが設置されている。呆然としていると次の停留所は「陸前高田」。プレハブの市役所脇にバスが止まると、数名のお客が無口に乗り込んできた。

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「下船渡」「大船渡」と停留所を過ぎつつ、道路が狭いので一方通行か思っていたら、なんと線路敷地を改築したバス専用道なのである。駅のホームは残っていても線路はなく、代わりに舗装された道路をバスが走る。終点の「盛」に到着して運転手さんにチケットを渡しながら、ここを毎日往復している気分はどんなものだろうと切なくなった。

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旭が丘学園の理事長が気仙沼の水産業について話していたことを思い出す。「魚の加工工場をやっと再建して商品を作っても、お得意様だった店には既に他の業者の商品が入っているので間に合わない。そこに今度は地面の嵩上げが必要だと言われると、建物を取り壊さなくちゃならない。2階の高さまで土が盛られますからね。津波や火災だけじゃなく借金まで、みんな二重三重の被害でやっていけなくなるんです」。

被災地の現実は実際に足を運び、この目で見て、この耳で聞かなければ分からない。釜石で津波の被害に遭った老人ホームへの訪問については、後篇に綴ることにする。

6月10、11日と東北の被災地を周ってきた。あまりに盛り沢山な旅だったので何から書いたら良いのか、頭の整理をするべく、前篇・中篇・後篇に分けてアップしたい。

今回の復興支援活動にはフランスからのメンバーが加わった。ピレネー山脈の麓にある人口6,600人の町・サンジロン(Saint-Girons)からやってきた82歳のエコロジスト、クリスチャン・ジュベルティ氏である。来日したのは地学のシンポジウムに参加したとき以来40年ぶり。テレビで東日本大震災の映像を見るにつけ心を痛め、何とか自分たちも支援ができないものかと、クリスチャン氏が会長を務めるロータリークラブより申し出を戴いたのである。

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6月10日は東京駅14時36分発のやまびこ55号で一ノ関へ。約40分待って大船渡線に乗り換え、最初の目的地である気仙沼へ向かった。夕刻時とあって2両編成のディーゼルカーは高校生たちでいっぱい。一同にスマホをいじってイヤホンで音楽を聴いているのは首都圏の学生と変わらないが、髪を染めている子や馬鹿騒ぎする子は誰もいない。爽やかで純朴そうな若者たちが、パラパラと山間の駅に降り立っていく姿は懐かしい映画のようだ。

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気仙沼駅到着は19時15分。3年前の6月に車で炊き出しに来たときには前を通り過ぎただけだったが、駅舎は綺麗にリニューアルされて、両手を広げたピカチュウが出迎えてくれた。

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迎えに来てくれた気仙沼プラザホテルのバスに乗り、日が暮れて静まり返った町の中を走っていく。気仙沼大島へ向かったフェリー乗り場のある港周辺からはガレキが無くなり、両手で鼻を覆ったあの悪臭も全くしない。復興に向けたアイデアを練り、被災した地区を1時間で周る観光タクシーまで走っているそうだ。

ホテルに着いたらすぐ夕食。気仙沼港に上がった新鮮な魚介類がお膳に並び、仲居さんがアワビの踊り焼きと釜飯に火を入れてくれる。クリスチャン氏はズワイガニに興味津々。カニフォークを使うのが面倒なのか、歯でかぶりついている横顔がとても可愛かった。

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被災地でお金を使うのも復興支援だと、二次会は雨の中を「復興屋台村 気仙沼横丁」へ歩く。地元の食材をアピールする22の飲食店が入ったプレハブには明々と提灯がともり、気仙沼で80年続いたという焼き鳥屋さんが私たちを呼び込んでくれた。40代半ばのマスターはイケメンで独身。すぐに皆が打ち解けて笑い声が湧き起こるのは、小さな店舗ならではの温かさだ。

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そして三次会はお客さんたちに連れられて、町なかのプレハブ商店街へ。1階にはラーメン屋などの飲食店、2階にはスナックが何軒か入り、なんと建築主は宮城県なのだという。家賃は1か月6万円ほどで、内装は自分持ち、5年契約で借りているそうだ。

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昼間はブティックを経営しているスナックのママから震災時の話を聞いた。70歳のお客さんを乗せて車で避難したら、道路は渋滞で全く動かず。窓を開けて外の様子を見れば、5台ぐらい後ろのところまで津波が迫っている。慌てて飛び出たものの、どちらへ走っても波が向かってくる。10人ほどの集団に追いついて高台に登ろうとしたが、濡れた草の崖が滑ってなかなか登れない。万事休すと諦めかけたところを、周りの人たちがお尻を持ち上げてくれたそうだ。車から出て別れ別れになったお客さんはガレキに捉まって流されていたのを救助されて、偶然にも同じ高台に避難してきたという。

まるで昨日のことのように被災体験を聴きつつ夜が更けたころ、復興屋台村のマスターも合流。自宅が完全に流されて着の身着のまま、イチから店をスタートさせた話を聞かせてくれた。常に前向きでアクティブで、9月には石巻から気仙沼まで走る「ツール・ド・東北」に出場するそうだ。

こうして地元で生の声を聞いていると故郷にいる気分。名残は尽きないけれど、翌日は早起きして気仙沼から釜石へ行き、深夜に東京に戻るハードスケジュールだ。ブログはここで前篇を終了して、だんだん核心に近づくこととしよう。

私の定期購読誌は3冊だ。国際ニュース月刊誌の「クーリエ・ジャポン」、ベネッセ・コーポレーション発行の「ねこのきもち」、会員の義務として購読が課せられている「ロータリーの友」。契約したからには月に1回手元に届き、読む読まないに関わらず本棚のスペースを狭めていく。

定期購読誌1

購読義務の「ロータリーの友」を除く2誌について、取り寄せるようになった理由は「面白かったから」と「必要だったから」だ。しかし最近はポストに届いた包みを見て溜息を付き、解約したいなあと思うようになった。

「クーリエ・ジャポン」は同封された編集長のレターが機微に富んでいるので楽しみにしている。しかし本体を読めば、いかに海外の歴史や進歩が素晴らしいか、日本を捨てて外に出て行け!を突きつけられる内容だ。訳し方も何だかロボット的で、繊細なニュアンスに重きを置く日本語とは程遠いのである。

「ねこのきもち」は与六を飼ってから5年に渡って取り続けてきた。猫の知識、遊び方、病気への心得などは1年で習得。毎年同じような内容が繰り返し掲載され、写っている猫の飼い主が自己満足する同人誌なのである。それでも楽しみにしていたのは付録だったが、今や包みに入っているのは広告の束とキャットフードのサンプル。それらをガサガサとゴミ箱に詰め込んだ後には、雑誌を見る気も失せる。

考えるに月刊誌はどんどん時代遅れになっているような。企画会議を経て編集・発行に至るまでのタイムラグ。昨年の同じ月を参考になんていう会議をしているのだったら頭を殴りたいほどで、定期購読の読者がガッカリする内容の羅列になっているのに気づかないのだろうか。世界中の最新情報がネットで飛び交う今、出版社は月刊誌が生き残る道を模索すべきであり、あぐらをかいた年間契約で買わせるのは騙しでしかない。

この記事をアップするにあたり雑誌を並べて写真を撮った。そこに与六が登場。「ねこのきもち」の上に寝そべってポーズを取っている。「この雑誌をやめないでね」か「表紙の猫よりボクの方が可愛いよ」なのか、想像するにインクの匂いが気にいったのだろう。脳を魅了するマタタビ雑誌なら取り続けるかもと思いながら、義務となった購読に頭を悩ます月刊誌である。

定期購読誌2

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