文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

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草木が空に向かってどんどん枝葉を伸ばしていく5月は、何を見ても生命のエネルギーを感じる。
その反面、枯れていくもの、衰えていくものが更に色褪せて見え、「生者必滅」なんて言葉が浮かんでしまう。

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お見舞いに行かなくちゃ。ケーキ屋さんでプリンを買って、午後から介護施設にいる父を訪ねた。

ちょっと歩けば汗ばむ陽気。駅からたかだか15分の道のりが、やたら長く感じる。89歳の父を見舞う私も、高齢者の域に達したことを実感した。

エレベーターで居室のある階まで上がると、扉が開いた瞬間に父の背中を発見。スタッフステーションのカウンターに向かって座るのが、父の昼間の定位置だ。居室に籠って寝てばかりにならないよう、みんなが声をかけやすい場所にいる。
GW後半とあって、お見舞いにくる家族はいつもより多い。今日は笑顔いっぱいの居住者と、独りで無表情な居住者とに分かれているようだ。

父の肩に手を置いて顔をのぞきこむと、キョトンとした顔。
「私が誰だか分かる?」と聞いても首を横に振るだけで、呆けが前より進んでいるのが分かった。

お土産のプリンをスプーンで口一杯に運んで、むせて咳き込んで、目を真っ赤にして、それでも食べることしか眼中にない。前より明らかに口数が減り、と言うよりほとんど喋らなくなって、頭を縦に振るか横に振るかだけ。

「私が誰だか分かる?」の質問を何度か投げかけると、やっと声は出すようになったものの、出てくるのは妹たちの名前ばかりである。呆けの症状として当たり前かもしれないけれど、一人娘の名前を忘れてしまうなんて、父は生きているのに家族を失った気がして切なくなった。

食べてはこぼし、食べてはこぼしの口元を拭いていると、赤くなった目で私をじっと見る。何かをモゴモゴ言っているけれど、濁音で聞き取れない。その様子を察した看護師さんから、「痰を吸引しましょう。少しは喋りやすくなります」の申し出があった。

しばらくして戻ってきた父は、言語治療師に習った通り、口を大きく開けて、二言だけ喋ったのだ。
「ゆり子、きれい」

あとにも先にもその二言だけだったけれど、涙が出るほど嬉しかった。
お腹が空いたでもなく、横になりたいでもなく、呆けた父が必死に伝えてきたメッセージ。そこには一生分を凝縮した愛があるのを感じる。

もう自分で自分を高齢者だなんて言わない。ずっと綺麗でいようと心に決めて、スタッフに家族写真を撮って貰った幸せな時間だった。

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作詞家という職業は、演歌、アニソン、子どもの歌、CMソング、秋元康を除くと、昭和の名残りかもしれない。今は歌手本人が作詞・作曲をするのがほとんど。シンガーソングライターという呼び名すら死語となってしまった。

よほどの大センセイ以外、作詞家の寿命は限られている。放送作家より若干長いぐらいで、50歳を迎える前に、他の職業にシフトしている人が多いと思う。私もその一人で、40歳から始めたWEB制作とプログラミングがメインになり、作詞の印税はほんのお小遣い程度だ。小学校の音楽教科書には2曲載っているけれど、教科書は無償なので儲かる術もない。その楽曲を掲載(または録音・演奏・カラオケ・配信)した出版社や放送局から入ってくる印税のみである。

ongaku

2007年にこのブログを始めたとき、どうやって作詞家になったかの経緯を書いた。

作詞家になるには・その1

作詞家になるには・その2


「その1」から抜粋しよう。
私の場合は高校生の時、無謀な売り込みをしたのがきっかけだ。
親に買ってもらったフォークギターを練習しているうちに、自分でも作ろうと数曲書き溜めた。それをラジカセでカセットテープに録音して、ヤマハ音楽振興会に送りつけたのである。

拙さ丸出しの楽曲。山と積まれたデモテープに埋もれて消えるはず・・が、意外な返事が来た。
「作曲についてはもっと勉強する必要があるが、詞は才能がある。優秀作品としてヤマハのポプコン歌詞集に載せたいので著作権契約をしたい」という内容だった。

一斉を風靡したヤマハのポピュラーソングコンテストは、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥など多数の有名アーティストを輩出した新人の登竜門。詞を書くのが苦手な人のため、ヤマハが発行する作詞集に載せてもらったのである。しかも2曲だ。

というわけで生まれて初めて書いた詞がディレクターの目に止まり、「もっと作曲を勉強するように」と作編曲の勉強をさせられた。ところが大学生になって遊びほうけたり、結婚と離婚のブランクがあったりして、本当のプロとして作詞家になったのは20歳後半である。

一流の作詞家たちと並んで、加山雄三さんのアルバムに私の作った歌が入ったときは、他人事のようだった。NTTのCMソングに採用されてテレビで流れるのを聴き、作詞家が自分の職業なんだと初めて実感したのである。

それから放送作家・脚本家・構成作家を掛け持ちしつつ、いろんな歌手の方々、テレビ東京のアニメ、NHKの教育番組、お母さんといっしょなどで詞を書きながら、40歳で「文章書き」から「WEBプログラマー」へと職を変えた。どちらも起承転結の伴う文を書くという点で、似たようなものだと思っている。

でも、今だから言うけれど、高校生のとき私が本当になりたかった職業は、作詞家ではなく歌手だったのである。音大に行きたくて声楽も習っていたのに、どうしてあのときディレクターに「歌手になりたいです」と言えなかったのか、還暦となったこの歳でも後悔している。

起きている時間の大半をネットの仕事に費やしている今、沢山の最新情報が目に入ってくる。もしあと10歳、いや20歳若かったら絶対に応募していたと思うオーディションを見つけた。

MUSIC PLANET「新人アーティスト発掘プロジェクト2018」という、新人ボーカル発掘プロジェクト。なんと満20歳〜50歳までのアーティストを目指す男女が応募できるというのだ。

国内外の有名アーティストを手掛けてきた音楽プロデューサーが面談・審査し、合格すれば本格的なボイストレーニングを経て、売り出しのためのオリジナル楽曲が作られる。レコーディング、アーティスト写真撮影、LIVE出演、そして数々の音楽配信でオリジナル曲が流れるという。

将来モノになるか白紙のまま専門学校やスクールに通うよりも、歌唱審査によって自分が向いているかどうか、ダイレクトに分かるのは手っ取り早い近道だろう。


私は離婚後に音楽スクールに入って現役の大センセイに付いたけれど、習うよりも実践しなさいと仕事を分けてもらい、あっという間にプロになった。周りからは「もともと才能があったからだよ」と言われても、当の本人に自信なんてなかった。でも高校生のとき歌手になれなかった後悔から、巡ってきた機会は絶対に逃がさないと、チャンスの女神の前髪をつかんだのである。

その当時に比べたら、50歳までオーディションに応募できるなんて羨ましすぎる。
問題は多額のお金がかかるんじゃ?という心配。MUSIC PLANETのQ&Aを見ると、面談・審査において費用は発生しません。通過後は、プロジェクト参加時に費用をご負担いただきます」と書いてある。

私だったら無料の面談・審査にトライしてから考えるだろう。自分にボーカルの才能があるかどうか、プロデューサーの顔色を見に行くことが先決だと思うからだ。一つ山を越えて次の山に向かうかは、自分の意思をきっぱり持って考えればいい。

Youtubeを見ていたら、セカオワのFukaseくんが私の作った歌を早口で歌っているのを発見。ワンコーラスだったけれど空で歌ってくれて、あのとき作詞家になって良かったとしみじみ思った。チャンスの女神は後ろ髪もちょっとだけ残してくれていたようである。




MUSIC PLANET

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