文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

10年ぶりに髪を短くした。かろうじて結べる程度のショートヘアだ。周りからは「何かあった?」と聞かれるけれど、恋人もいないのだから失恋ではなく、単に長い髪が邪魔になっただけである。

床に落ちた長い抜け毛はひどく目立つ。シャンプー後の排水溝に集まった毛はゴソッと嵩が多く見えて、このまま行ったら四谷怪談のヒロインになるんじゃないかと背筋が寒くなる。夏になれば猫の抜け毛も加わって、履いても拭いても掃除を怠った家に見えてしまうのが耐え切れず、クリーンな道を選ぶことにした。

そして断髪式。スタッフを使わず1人で切り盛りし、半年に1回しか予約が取れない某カリスマ美容師からOKの連絡を貰って、土曜日の正午に向かったのは世田谷。駅から10分ほど歩いた森の中にある美容室に、ボサボサのロングヘアで「お久しぶり、野武士です」と挨拶したら笑われた。戦国時代の合戦で負傷して野山を逃げ惑うサムライみたいに、見る影もないヘアスタイルになっていたからである。

DSC_0365

「どうします?」以前に、鏡の前に座って即刻お願いしたのは「思い切りやっちゃって下さい」。シャキシャキと動く鋏がいさぎよく切り落とした髪が、ホウキで履き集めればこんもりと黒い山となる。私の10年間が切り落とされたのだと感無量になり、それからは目を閉じて過去を振り返る旅に出た。

いつだったかラジオでユーミンが言っていたが、よほど強運の持ち主でない限りロングヘアは運と体力を吸い取る。なるほど私の傾向としては、ショートヘアの時に素敵な恋をつかみ、ロングヘアの時に詐欺師やスケコマシやらが寄ってくる。たぶん髪がユーミンほどのミラクル強度を持っていないのだろう。しかも伸ばせば伸ばすほど貧相な質感になって「美」からは遠ざかる。

さてさて森の中の美容室。親ゆずりの頑固な癖毛ゆえ、カットの後に縮毛矯正、ふんわりとカールするためのデジタルパーマ、仕上げのブロー。ここまで要した時間は4時間半に及んでも、値段は町場の美容院の半額程度だった。「長らくお待たせしたので・・」の割引が入っていたのだろうが、何よりも爽快で幸せな気分になった。

ずっと頭皮を引っ張っていた重りが消えた世界は、御伽草子の「鉢かつぎ姫」に匹敵する。観音様のお告げにより大人になるまで頭に鉢をかぶりつづけ、周りにいじめられながらも最後に幸福をつかんだ娘の物語である。

ロングヘアで鉢かつぎ姫になれるのは、ユーミンが言っていたように天から選ばれた存在なのだろう。頭皮が軽くなった私は昔のごとくラッキーに出会えるよう、軽々と生き生きと振る舞いたい。長い髪を切ったのはこれで何度目か・・、今度こそ失くさない幸せを手に入れたいと思っている。

DSC_0373

駅に向かって歩く途中、立ち止まってスマホのメールを見ていたら「すみません」と声をかけられた。「〇〇行のバスはどこから乗るんでしょうか」の質問に乗り場を指さした直後に、ハッと気付いたこと。その男性は白い杖をつき、私は黄色い点字ブロックの上に立っている。バス乗り場の番号を探して歩いてきた彼の行く手を、私は知らずに妨げていたのである。

KIMG5229

先日、車椅子バスケのパラリンピアンである男性から障害とは何かについて話を聞いた。彼らは障がい者と呼ばれているけれど、身体が不自由なことは障害ではないという。例えば点字ブロックの上に誰かが荷物を置けば、そこに初めて目の不自由な人の歩行を妨げる障害が生まれる。バリアフリーでない駅で車椅子では降りられない段差があれば、それが足の不自由な人の障害となる。どんな人でも暮らしやすくする街づくり、困っている人の立場になって考えてあげる心づくりが必要なんだと教えて戴いた。

彼がバスケに出会ったのは車椅子生活になってからのこと。高校生のとき交通事故で脊椎を損傷するまでは大して運動にも興味がなかったという。失意に負けず、持ち前の陽気さとポジティブさで練習に励み、シドニーオリンピックでは車椅子バスケ日本代表のキャプテンを務めた。今は障害についての講演活動をしながら、全国の学校を回る日々が続いているという。彼のポリシーは「語るよりも見せる」。車椅子からバスケのゴールに100発100中でシュートを決める格好よさに子どもたちは目を輝かせ、障害なんていう垣根はどこへやら、たちまち年齢差を超えた友達になるのだそうだ。

近ごろは盲導犬が後ろから刺されたり、杖をついて歩く盲学校の生徒が蹴られたり、胸の痛むニュースが続く。混雑の中を急ぐ人ににとっては邪魔な存在かもしれないけれど、彼らはハンディキャップを持っているだけで、決して「害」ではない。誰が障がい者なんていう言葉を作ったのか、逆に100%健常者と呼べる人がこの世にいるのか、自分と違っている人を差別する偏見こそが大きな障害なのだと思う。

仕事もプライベートも、PCメールとスマホでやり取りしている私にとって、固定電話にかかってくる知らない番号は99%がセールスだ。「今お使いの複合機が安くなる」「インターネットが安くなる」といった代理店からのセールスはやたら流暢な喋りの男性が多く、断ると「いいから社長につないでください」と凄む。頭に血が上るやり取りの後、記録した電話番号を着信拒否登録。しかし最近ではメガバンクからのセールス電話も増えて、固定電話はFAX専用にしておこうかと思うほどになった。

そんな日曜日の午後、「○○畳店です。今たいへん畳がお安くなっていまして」と年配の女性から電話がかかってきた。「うちに畳はありません」と答えると「ないんですか・・・」と溜息をついてプツッと回線の切れる音。上品そうな声からして畳屋の奥さんだと思うが、畳がありそうな家を探すには行き当たりばったりの電話セールスしかないのだろうか。マーケティング効率の悪さに衰退産業の悲哀を感じてしまった。

コミュニケーション手段が多様化した今、固定電話は信用度を得るために設置している人も多い。定住場所があるという証明になり、子どもの入学や不動産ローンの契約には必要となるが、子育てが終わって第二の人生を歩んでいる年代層にはどうだろう。電話セールスだけでなく、振込詐欺犯の絶好の商売道具になっているように思うのである。

公的機関からの連絡でさえ、携帯にかけて下さいとお願いすれば受けてくれる。名刺に固定電話を書いてあっても、連絡は携帯へと言われることが多い。固定電話は本当に必要か、時代の流れに取り残された遺物のように感じる昨今である。

三寒四温を秋には何と言うのだろう。言葉は見つからなくても肌は季節の移ろいを感じている。入道雲が消えて、晴れと雨とが周期的に繰り返すようになるとそろそろ半袖もおしまいだ。

DSC_0271


天高く猫肥ゆる秋。涼しくなって空腹度が増したのか、与六は自動給餌器の前に寝転んで時を待っている。一日に三回、決まった量のドライフードが出るように設定しているのだが、猛烈な勢いで食べて一粒だけ残しては、キッチンで次の給餌を待つのである。

どれだけ肥っているのか確かめる機会は年に一度のシャンプー。猫は自分の身体をなめて綺麗にするので洗わなくて良いというが、猛暑日にダレている姿を見るとシャワーをさせたくなる。怖がって頼りない声で「フミ〜」と鳴きつつ、引っ掻きも噛みつきもせず、バスルームの隅で固まっている哀れな生き物は・・・、良かった、思ったより痩せている。ドライヤーの熱風から逃げて、ダイニングテーブルに転がって被毛を乾かしている与六に「頑張ったね」のおやつをあげると、ニッと笑った顎の白さに飼い主も大満足である。

IMG_0688

DSC_0267

シャンプーから一週間後には真夏日という言葉を聞かなくなり、朝夕にはカーディガンを着たくなる涼しさ。クリーニングのタグ付きのまま袖を通さなかった夏服や、下駄箱に並べたまま履かなかったサンダルを眺めると、なんだか大切なイベントに行き損ねたような気分である。今年最後の夏服でおしゃれして出かける機会は、9月15日に招待されているJJ.MONKSの"2014 Never Ending Summer Party Vol.5"。湘南の大人たちが一堂に会して大ディスコ大会で大騒ぎする予定だ。宜しければどうぞご一緒に!

子ども番組に以前書いた歌を口ずさみながら、9月の卓上カレンダーに予定を書き込む朝。窓際でツクツクボウシが一際大きな声で鳴き始め、夏の名残を惜しむかのように、目を真ん丸にした与六が樹木の幹を見つめている。


秋がそうっとやってきた

どこへいったのかな 麦わらぼうしの海
ズックに残った砂に 秋がそうっとやってきた
ひんやりさらさら ひんやりさらさら やってきた

どこへいったのかな ミンミンゼミの空
からっぽの虫取りあみに 秋がそうっとつかまった
しいんとキラキラ しいんとキラキラ つかまった

どこへいったのかな 真っ白にゅうどう雲
魚のむれに化けて 秋がそうっと ひろがった
青空ゆうゆう 青空ゆうゆう ひろがった

NHK朝の連ドラ「花子とアン」で、とても懐かしく照れくさいものがある。主人公の花子や友人の蓮子、醍醐が使うお嬢様言葉だ。彼女らが卒業した秀和女学校のモデルとなったのは、翻訳家・村岡花子の母校である東洋英和女学校(後の東洋英和女学院)。雑誌「女性自身」によればドラマ放送開始からステータスの高い女子校人気が再燃し、娘を入学させる母親が急増したという。

日本のお嬢様学校四天王は「学習院女子」「聖心女学院」「白百合学園」「東洋英和女学院」だそうで、湘南白百合から聖心女子大へ進んだ私は二冠を制したことになるのだろうか。いやいやとんでもない、公立の小学校から受験して白百合の中学へ入学した私は、机を並べるクラスメートとは育ちも環境も雲泥の差だった。父は都内で小さな自動車販売・修理の会社を興したばかりで、住まいはお得意様から借りた2DKのタウンハウス。営業に飛び回って週末しか家にいない父と、経理仕事で帰りが毎晩深夜になる母が、爪に火をともすように働いたおかげで、当時は日本一入学金が高いお嬢様学校の生徒になることができたのである。

新学期前のオリエンテーションで目が点になったのが言葉遣い。これについては以前「美しい言葉で送るメール」という日記に書いたが、挨拶は「ごきげんよう」、感謝の言葉は「恐れ入ります」、掃除当番のホウキ係は「おはき」、雑巾係は「おふき」なのだ。稚園児の頃からお嬢様言葉をごく自然に使ってきたクラスメートたちが異星人かと思えた。もしも通学が制服でなく自由服だったら、私は劣等感の塊になって孤立していたに違いない。すました「ごきげんよう」は分不相応な奢り言葉に感じて、娘の何たるかを知っている親の前では絶対に口にすることは出来なかった。

しかし「花子とアン」の土曜日の放送を見て、私の見識が間違っていたのを知った。放送局で「ラジオのおばさん」として子ども向けの原稿を読む花子が、「さようなら」の挨拶を「ごきげんよう さようなら」にしたいと申し出る。嫌味たっぷりな部長は「あなたは給費生で、貧しい家の出だそうですね」と見下し、「ごきげんようが似合う人間と似あわない人間がいるんですよ」と冷笑するのである。

それに対して花子は「ごきげんようは様々な祈りが込めらえた言葉だと思います」と反論。健康な子も病気の子も、人生が上手くいかない大人たちも、全ての人たちが明日も元気に無事で放送が聞けますようにと祈りを込めて「ごきげんよう さようなら」で番組を終わらせて欲しいと願うのだ。

「ごきげんよう」を英語にすれば、"Have a niceday!"や"How do you do?"。一般的な"Hello"や"Good-bye"といった挨拶だけではなく、相手を気遣う思いやりが含まれた言葉なのだと思う。思いやりを独り占めしない分かち合いは博愛で、猜疑心にとらわれない限り、いつかは安らぎをくれる。朝ドラの最後に美輪明宏が語る「ごきげんよう さようなら」の台詞は子どもたちの間でブームになっているそうで、お嬢様学校の範疇から外に出たらしい。懐かしくて微笑ましい。

白百合時代から時が過ぎ、今やハイグレードな集まりに参加したときには、まさかの「ごめんあそばせ」「よろしくって?」を口走ってしまうワタクシ。帰りにその足で地元の立ち飲み屋に寄ったときには、「いいじゃん!」と神奈川弁を口走るのもアタシ。TPOに準ずる余裕が生まれたのだと解釈することにして、さてトラウマの「ごきげんよう」も使うべきかとうか。いい歳して流行語かと思われたくなく、やっぱり止めておこうと悪デレするひねくれ者である。

ブログの更新がしばらく滞ってしまった。急ぎの仕事が入り、パソコン相手に徹夜を繰り返す生活がまた戻ってきたからである。「痩せた?」と聞かれるのは女として嬉しいけれど、やつれて貧相に見えるのはこの年齢ではNGだ。飲まず食わずで50時間起きていたなんて記録は自慢できるものではなく、心身をすり減らして老化を早めるのを反省しなくてはならない。

お盆休み返上で働き続ける最中、友人たちから土曜日のお誘いメールが入った。葉山の森戸海岸で少人数で楽しむ七輪BBQ。月曜の締切を考えると参加できる状況ではなく「ごめんなさい」の返事を入れたが、集中してプログラミングのロジックを考えようとしても頭が上の空。土曜日のお昼を過ぎて、今頃みんな飲んで騒いで楽しんでいるんだろうなと思うと、居ても立っても居られなくなる。私はあと何回の夏を体験するのだろうと考えると、それは仕事ではなく遊びで充実感を得るべきだと、若かりし頃の私がささやくのである。

ええい、何とかなるさ!パソコンをシャットダウンして「今から行くね」と友人に電話を入れ、今年はまだ袖を通していないサマードレスに着替えた。途中でワインを買って森戸海岸に着いたのは午後2時半。大歓迎してくれたみんなと乾杯して、焼けたばかりの牛肉を戴いて、話は盛り上がる盛り上がる。記念撮影の画像は私一人だけ白いけれど、大人になっても夏は遊ぶためにあるのだと日に焼けた仲間たちが教えてくれた気がした。

KIMG6450


トウモロコシが香ばしく焼きあがった頃、ふと後ろを見ると雨雲が接近している。秋雨前線が山のようなラインを描いて、やがて海の上で「晴れ」と「雨」とが明暗真っ二つに・・。怖いというよりは生まれて初めて見た空模様に感動して、2014年夏の思い出が増えたことを喜んだ。

KIMG6457


KIMG6459

KIMG6461

さてさて今は東京へ向かう横須賀線の中。ノートパソコンでこのブログを書きつつ、テキストエディタの裏では会議に提出する資料の再チェックをしている。残暑は厳しくても生活の季節は秋に入った。仕事でも遊びでも自分が生きていた証を沢山作らなくちゃと本腰を入れる今年の後半戦である。

立秋を過ぎて急に涼しくなった。久しぶりにホットコーヒーを入れてゆったりとした午後を過ごしている。外を眺めれば盛夏の象徴みたいな夾竹桃も花が僅かになり、夏休みの終わりを迎える小学生の頃を思い出す。二学期に提出する宿題はないけれど、解決のつかない人生の宿題はどうしたものか。数々の分岐点での選択に、こんな生き方で良かったのかとちょっとナーバスな気分だ。

20140809

「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)

台風が近づいているせいかお盆休みなのに子どもの声が聞こえず、セミの鳴き声を除いては静かな土曜日。秋の歳時記をめくりながらお気に入りの句を探している。物書きの自虐さ、自分を切ない想いに追い込むのが大好きな性分にとって、秋の歳時記は物侘しい言葉の宝庫である。

「今朝秋や見入る鏡に親の顔」(村上鬼城)

今朝秋、今朝の秋とは立秋の日の朝をいう。さらに一歩踏み込んでの今朝秋は、真夏の夜の夢から醒めて我に返った朝みたいなイメージを持つ。人が歳を重ねるのは誕生日ではなく、若さがひとつ終わったと感じる初秋の一日ではないだろうか。季節は更け、人間は老ける。自然界に生きている当たり前の現象がやっぱり物侘しい。


「頼まれしことに励みて新涼に」(星野立子)

「涼し」が夏の季語なのに対し「新涼」は秋の季語で、初めて涼しとも言う。何もやる気が起きない猛暑が遠ざかると、頼まれごとに手を出す余裕が生まれてくる。昨日の打ち合わせで「困った」「どうしましょう」を連発していた相手を救うべきかどうか。儲けにはならないけれど、まだ自分が人の役に立つことを確かめるべく、一肌脱いでみましょうか。でもその前に・・。

「立秋の夜気好もしく出かけけり」(高浜年尾)

17時を告げるチャイムは「さあ、飲みに行こう!」の音。久々に感じる空腹にソワソワしつつ、今夜は焼酎のお湯割りにしようと決めた。人恋しさが際立ち、ほっとするぬくもりが欲しくなるのも立秋。ピーヒョロロロロと鳴く哀愁のこもったトビの声が夕空に響いている。

独り暮らしにとって「行ってきます」と「ただいま」は必要な言葉なのかと考えることがある。与六というペットはいても、なにせ自由気ままな猫。出かけていく私を2階の窓から見送ってくれる時もあるが、視線は屋根の上で賑やかに騒ぐ野鳥たちに向けられており、さもなければ涼しい場所で寝そべって夜の運動会のために力を蓄えている。

yoroku

外出先から戻った時は玄関で「ただいま〜」を連発すると、面倒臭そうにノソノソと歩いてきてマットの上に仰向けになり、頭を撫でるとニッと笑う。しかしこのお出迎えの確率は5割程度で、どこに居るのか探しに行けばベッドの上で爆睡していることが多い。食っちゃ寝ばかりで丸々と肥った古女房みたいだ。

KIMG6408

それでも毎回「行ってきます」と「ただいま」を口にするのは、家族と暮らしていた頃からの習慣なのか、祖父母と両親がいた実家を思い出しては切なくなる。塾から戻った夏休みの夕方、柘植(つげ)の生垣にホースで水撒きをしている父や、キッチンで祖母と一緒に夕食の支度を始めた母からの「おかえり」。麦茶を飲む私に「暑かっただろう」とリビングの扇風機を「強」にして向けてくれる祖父。思春期の娘にとって家庭の声と音は時に煩わしくもあったが、いずれ成人したとき思いやりを持った人間になるためのレッスンだったと思う。

躾という愛育の恩に気付いた時には恩返しをする人はもういなくて、教えられた習慣だけが後に残る。それは心あたたかく、慎ましく美しく暮らすこと。たとえ一人住まいであろうと「行ってきます」「ただいま」「おはよう」「おやすみなさい」を言うのは、雨露から身を守ってくれる家に対しての礼儀と愛情。台風のときに強風を防いでくれる窓ガラス1枚だって私の家族であり、ピカピカに磨いて「ありがとう」を言ってあげなくちゃいけないのだ。

いつも割烹着のポケットに雑巾を入れ、棚の隅々まで埃一つないよう磨いていた祖母は「モノには心がある」と言っていた。トイレの1輪挿しに可憐な花を欠かさないのは人間のためでなく、排泄という行為を快く受け入れてくれるトイレに対しての「ありがとう」だったのだろう。

忙しさが一段落した8月。書斎に積もった資料の山を片付け、お盆休みは意を決して大掃除に取り掛かろう。引っ越して来た頃を彷彿とさせるように家を磨いて「きれいになったね」と声をかけてあげたい。

この夏は冷房を使わない記録を更新している。5歳になった与六は仔猫だった頃と比べ、網戸を手で開けたり引っ掻いたりしなくなったので、全開にした窓を通じて部屋に涼しい風が吹くようになった。

朝から晩までパソコンに向かい続ける毎日は相変わらずだが、体感温度は去年よりもはるかに楽。椅子に座りすぎの腰痛を心配してくれるのか、日暮れ前には与六がニャンと呼びに来て、尻尾を振りつつベランダへ出ようよと誘導する。「ちょっとだけね」とお付き合いして見上げた空は・・・、言葉にならないほどダイナミックで美しい。

ジェット機が描いた飛行機雲が南から北の空へと渡り、白いラインがだんだんと太くなっていく。カメラアングルに試行錯誤しているうちに、今度はミニジェットらしい機体が現れて細めな飛行機雲を引っ張っていく。その周りの雲たちも刷毛でシュシュッとなぞったようなふんわり加減で、一足先に秋が来たみたいだ。

KIMG6384

KIMG6380

KIMG6388

現役の夏を探して海の方角を見れば3本並んだ椰子。一緒に背伸びのストレッチをして、潮の香りがする南風を胸いっぱい吸い込めるのはリゾートマンションに暮らしている特権だろう。最近は車で遠出することもなくなり、旅行と言えばボランティア団体で被災地を訪ねるだけで、すっかり出不精になってしまった。本当は仕事で都内に出向くのも面倒だけど、元気で過ごしていることを時々アピールしないと、「どこか悪いの?大丈夫?」なんていう安否確認メールが入ってしまう。

KIMG6394

とても元気です、ありがとう。
今日の原稿は上がりました、ありがとう。
これから夕食の支度です、ありがとう。
明日も良い天気、ありがとう。

天にも昇る幸福は巡ってこなくても、ありがとうをいっぱい言えるのは、小さな幸福が継続しているってことだ。小さな家族である与六のおかげで、寂しいという言葉を忘れてしまったこの頃。さてさて茹であがった枝豆をつまみながら、プロ野球でも観ることにしましょうか。楊柳のステテコ姿で涼しそうに寛いでいた祖父を思い出して、風が通る家にありがとうの逗子ライフである。

自分をさておき、人を美醜で判断してはいけない。しかしどう贔屓目に見てもルックスが宜しくない方が性格までも醜悪と判断されたとき、「一円玉ブス!」(これ以上崩せない)もしくは「猿人ブス!」(原人に進化する前のケモノ)と心の中で怒鳴ってしまう至らないワタシ。街角で電車で居酒屋で、その種に出会ってしまったときは目が離せなくなり、お嬢様学校に勤務する修身教師になってイラついてしまうのである。ああ、最も性格が悪いのは私だ。

友人に招かれて出かけたビーチパーティー。午後1時過ぎに到着するとBBQの第一戦は終わり、主催者たちは補給の買い物に出かけた様子である。この日のために取り寄せておいた赤ワイン2本をクーラーボックスに入れて周囲を観察していたところ、最も危ないと思えるベロベロに酔った見知らぬ女子が近寄ってきた。「酒くれ!」とクーラーボックスを開け、私がつい先ほど入れたばかりのワインボトルを開けようとするのである。

「ごめんなさい、これは主催者にお見せしてからね」と声をかけると、「2本あるのにいいじゃん!」と怒鳴られ、「しゃーないから自分が持ってきたのを飲むよ」と、スクリューキャップの白ワインを抱えて退散。あぐらをかいてマイボトルを飲みほした後、飲みかけの缶ビールを持ったまま爆睡している。ごめんなさいっ、その姿、教科書に載っていた北京原人を想像してしまった。

でもどこか懐かしいのはなぜ。70年代の学生フォークみたいなファッション。一重瞼にヘアスタイルは「おすべらかし」(平安時代のストレートヘア)。くるんとした丸い鼻から鼻提灯が出ているのは笑えるが、よく見るとメイクもせずに透き通った綺麗な肌をしている。黙ってれば無垢なカワイイ寝顔じゃないですか。日本人の原点じゃないですか。

もうちょっと痩せて明石家さんま的パーツを矯正して、ファッション上手になって、「オレ」じゃなく「ワタシ」と綺麗な言葉を話したら、頭のいい貴女がこれまで一生懸命勉強して身に着けたスキルも、小保方マジックみたいに100倍の注目度を得られるんだよ。STAP細胞の真偽はともかく、才色兼備で初心なタイプこそ文明人のアイドルになれるのである。

全員が注視するなか熱中症寸前で目覚め、それまで周りが水分補給をしたり足に水をかけたりとケアしてたことを一切知らない彼女は、「ビールだ!」とクーラーボックスに突進した。再開したBBQの焼き物を頬張って元気復活。自分の理想に合わない男たちを卑下しつつ、これから婚活を頑張ってスーパーエリートをゲットするぞと、お父さんの年齢に近い男性に豪語し始めたのは面白すぎた。

そうだね、頑張れがんばれ!その強気は恋愛ドラマのように男を制すかもしれない。また何かの縁で再会したときにはオレサマ的な「悪デレ」言葉を止めて、素のままのカワイイ貴女を見せてくれたら、隣にはきっと理想の彼氏がシャンパングラスを差し出して待っているだろう。キーンと冷えた泡のボトル栓を抜いてくれたとき、「ごちになりっす」じゃなく「いただきます」と言うんだよ。この夏のハッピーエンドを楽しみにしながら、逗子の恋愛ステージ本番が始まった。

KIMG6278

このページのトップヘ