文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

長年の文筆業にあたり、手書きの原稿からワープロ、そしてパソコンへと文字を綴る方法が変わってきた。便利になった反面、うろたえているのは漢字を忘れただけでなく、手書きで文字が書けなくなったことだ。今日も宛名書きを失敗し、おしゃれな封筒を3枚も無駄にしてしまった。子どもの頃はすらすらと文字を書いていたのにね。漢字のテストでは満点を取っていたし、英文の続け字で先生に褒められたのはどこの誰?

辞書を見ながら何とか外国人と意思の疎通が図れそうになった中学生の頃、アメリカの少女と文通を始めた思い出がある。それがいつ途切れたか、名前も住所も忘れてしまったけれど、太平洋をはさんで遣り取りが出来たのが嬉しくて、かわいい便箋や封筒にお小遣いをいっぱい使った。インターネットなんてなかった時代、鉛筆で下書きしたのをペンでなぞって、もう一度辞書を持ち出しては間違いがないかチェックしたものである。

クリスマスにはプレゼント交換。どうすれば海外に小包を届けられるかを図書館で調べ、私は小さな日本人形の置物を送り、向こうからは手作りのチョコレート菓子が送られてきた。包装はとても簡素で、食べ物をこんな無造作に送ってくることにビックリ。まだ写真交換はしていなかったため、彼女がどんなルックスでどんな家に住んでいるのか邪推し、質問できないまま文通は終わってしまったように思う。本当に浅はかな推測から、英語の上達も文字を上手に綴る練習も自ら放棄してしまった。その後に至って綴れなくなったのは英文どころではない。

あの当時より今は日本語も上手く書けない。お習字はちょっとやったけれど、左利きを右に矯正してからギクシャクとした文字。老眼のせいもあり、文字を書くことが苦手になってしまった状況で、ちょっとした署名をするのにさえドキドキしてしまう。自分の名前すら綺麗に書けず、結婚式、御葬儀、パーティなどでペンを持ったとき、先に書かれた隣の文字を見ては緊張感が膨らむのである。でも文筆業を始めた頃はここまでじゃなかった。

TOKYO FMで構成作家を始めたころ、400字詰の原稿用紙にパーソナリティーのお喋りを何枚も綴り、失敗しては書き直しをした努力が懐かしい。クリスマスイブの生放送、周りに人がいっぱい集まった渋谷パルコのスペイン坂スタジオで、マイクに向かう某アイドルに走り書きで原稿を渡し続けたこともあった。そのとき私の文字は読むことができたんだなあと思いながら、中指のペンダコが消えてしまったことが悲しい。今さらペン習字を習うには気が遠いので、私のもう一つの職業であるパソコンの技能を使い倒し、下手くそな手書き文字を隠そうとしているダメダメさである。

機械の便利さに惑わされて、人間の手から直に生まれてくる貴重で美しい財産を失くしてしまった。海を挟んで文通をしていた彼女は今どうしているのかなと思いつつ、流れるような文字で手紙の交換をした頃が懐かしくてたまらない。

メールチェックをしていたら怪しい1通を受け取った。差出人は三菱東京UFJ銀行だ。
その内容は以下の通り(URL後半は・・・にしました)。

----------------------------------
こんにちは!
最近、利用者の個人情報が一部のネットショップサーバーに不正取得され、利用者の個人情報漏洩事件が起こりました。
お客様のアカウントの安全性を保つために、「三菱東京UFJ銀行システム」がアップグレードされましたが、お客様はアカウントが凍結されないように直ちにご登録のうえご確認ください。

以下のページより登録を続けてください。

https://entry11.bk.mufg.jp/ibg/dfw/APLIN/loginib/login?・・・

――Copyright(C)2015 The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ,Ltd.All rights reserved――
----------------------------------

変だな。
冒頭から「こんにちは!」なんて銀行が書くわけないし、こんな短いメールもありえない。リンクをクリックすればフィッシングサイトへ誘導されるだろう。乗っ取られたかと疑うのは変換しづらく崩れかけた怪しいフォントであり、たぶん日本からの発信ではないだろう。技術があればヘッダーも偽装できる。しかしこれまでの手口を上回っているのは、ドメインが三菱東京UFJ銀行そのもの。

偽

mufg

アップした画像はメーラー(Beckey!)をキャプチャーしたのとネットバンクのURL画面。Fromアドレスは簡単に偽装できるけれど、↓のリンク先指定されたサブドメインまで銀行と一緒なのはどういう手口だろう。
https://entry11.bk.mufg.jp/ibg/dfw/APLIN/loginib/login?・・・

仕掛けはHTMLメール。ソースを表示させると、ジャンプ先は中国企業のサイトに仕込まれたJavaScriptであることが分かった。
<A href="http://www.stone-moju.com/js/">https://entry11.bk.mufg.jp/ibg/dfw/APLIN/loginib/login?・・・</A>

クリックしたことにより表示されるフィッシングサイトは"bk.mufg.jp.kre.cn.com"で、中国の平頂山市(pingdingshan)での契約だ。アクセスしても今はエラー表示になっているので、すぐ閉鎖したのかもしれない。

被害者がいないことを祈りつつ、ネットで金銭の取引をすることは限界にきたように思っている。クライアント企業が大手WEB制作会社に発注し、全てお任せで高額の報酬を払っているのは何度も目にしてきた。実際のプログラミングを行っているのは下請けどころかアルバイトを雇っている孫請けで、見た目を繕うサイトにしか出来上がっていないのである。サイト内で守れる力がないから、これまた外国企業が作ったセキュリティソフトを高額で契約して、その結果WORDやEXCELをクラッシュさせる不具合となった。私が蒙ったトラブルについてはMS Officeを「応答なし」にした犯人ソフトの記事にアップしている。

銀行がネットバンキングシステムを継続したいなら、自社にITのプロフェッショナルを置くべきだろう。WEBページは見た目ではなく、裏の裏にあるコーディングが支配していることをクライアントは分かってくれない。請負先が有名かつ安くを選んでいる間に、まずはご自分たちがお勉強されるべきかと存じます。

追記:
ちなみにメールヘッダのIPアドレスを調べたら発信元は中国の広州市(Guangzhou)からだった。たぶんプロクシサーバを経由して偽装したんだろう。

メールソフトは進化して、WEBサイトさながらの表示ができるようになった。しかしソースに仕込まれた罠は表面から見ることはできず、今回のようにテキスト表示を装ったメールまで登場している。もしあなたがお使いのメールソフトで閲覧方法が選べるのであったら、HTML表示ではなくテキスト表示にしたほうが良い。見栄えが悪いからこそフィッシングの仕掛けをクリックする確率が減るからである。美しいものには裏があることをお忘れなく。

オヤジのように尿酸値が高くなり、プリン体を多く含む食品を控えるように主治医から命ぜられている私。逗子に住んでいる特権としての生シラスは泣く泣く諦めたが、お正月はもっと悲惨なものである。数の子、イクラ、タコ、ごまめ、ぶり、海老、タコなどお重に並ぶ魚介類は殆どNGであった。

せこせこと野菜の皮を剥いてお煮しめを作り、他に食べて良いのは蒲鉾と黒豆、魚肉系を入れないシンプルなお雑煮ぐらい。血圧が高いので塩分も控えなくてはならない。テレビと共にダラダラ過ごす元旦も、ワインや日本酒といった醸造酒は避けて、焼酎、ウイスキーの蒸留酒をチビチビと飲む。

尿酸値対策の食生活を初めてから、家でよく食べるようになったのは豚バラ肉。ロース肉よりプリン体含有量が低いことを知り、週に2回は常夜鍋を作っている。しかもプリン体は水に溶けやすい。常夜鍋はシンプルな料理で、鍋に水と日本酒を入れて沸かし、にんにくを数カケ、ホウレンソウまたは小松菜、気分によって舞茸かシメジ。最後に薄切りの豚バラを重ならないように入れたら火を止めて、たっぷりの大根おろしとポン酢で戴く。

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大根おろしには刻んだネギと、すりおろした生ニンニクも混ぜる。ニンニクに含まれるアリシンは抗酸化力が高く、豚肉などビタミンB1が豊富に含まれる食品と共に食べると、美容効果が相乗するらしい。入れすぎると翌日にお腹を壊すので、量は体調に相談しながらだ。

翌日に早くから外出する時はNGな料理だけれど、食べ続けているうちに変化に気付いた。日に日に肌の艶が増して色白になり、目尻の皺が消えてきたのである。脂質の多い豚ばら肉はデブる危険性はあるが、お湯で脂を落としているし茹で汁は飲まない。しかも朝・昼はカップスープのみで一日一食主義にしているせいか、体重に変化は起きずにいる。忘年会・新年会続きで暴飲暴食しているに関わらず、「痩せた?」と聞かれることが多くなった。

朝はジャブジャブと数回洗顔して、特別なお手入れは何もせず。水の冷たさで頬は赤くなるが、戴き物やサンプルの化粧水を少々付け、時間がたてばスベスベ肌に戻っている。もっと凄いのは乾燥による痒みが消えたこと。これまで毎冬は身体中が痒くて痒くて、寝ている間に爪を立てて掻きむしった跡が醜い傷になっていたのに、今年は何もない。

これがもしも豚ばら肉&ニンニク効果だったら凄いなあ!いや待てよ、制限の賜物か?
温野菜は好きだけど生野菜は苦手。デザートや果物など甘いもの・酸っぱいものは滅多に食べない。ご飯やパスタなど炭水化物は外食の時だけ。結果として好きなのはお酒と肴だけど、主治医の言いつけを守って美味しいものは控えている。

豚バラ肉&ニンニクが公に宣伝するほどの〇〇美容法とはまだ言えない。でも次回の血液検査結果が良好であるなら、ちょっと臭いけれども周りに勧めてみようかと思うアンビリーバブルな食生活である。

生まれて初めての七福神巡り。1月7日に「鎌倉・江の島七福神巡り」を達成したあと、地元の逗子・葉山には「湘南七福神巡り」があることを知った。ネットで調べてみると御開帳は10日まで。今日で終わりだと気付いたのは午後1時過ぎで、慌てて昼食を食べ、部屋着にコートを羽織って飛び出した。

残り時間的にウォーキングは諦め、車で廻ることを決心。スマホで検索したおすすめルートを基に、まずカーナビに池子の東昌寺をインプットした。六浦の方に走って行くと右側にそれらしきお寺。でも山門には車止の立ち札があり、境内には入れそうにない。回りにタイムズもないし、仕方なく引き返して京急新逗子駅に車を置いて、電車に飛び乗った。

隣りの神武寺駅で降りて少し戻ると先ほど見た山門。なんと道を挟んで向かい側に檀家用の大駐車場があるではないか。大ボケにがっくりしながら気を取り直し、宝仙福禄寿尊のご朱印を戴く。

そのまま歩いて山越えをしようかと思ったが、絶対に無理だ。すぐに新逗子駅まで戻り、まずは徒歩で行ける延命寺へ。真言宗のこのお寺には実家にあったお位牌を預かって戴いているので、これまで何度もお参りに来ている。その永代供養堂の隣に厨子弁財天。本堂左側の寺務所でご朱印を戴いて、車を取りに戻った。

さあ今度こそ運転して廻ろう。次にインプットしたのは東逗子の光照寺。ここの七福神は福徳延命寿老人だ。本堂の写真を撮りながらしまった!と気づいたのは、前の二つ東昌寺と延命寺を撮り忘れていたこと。しかし先を急がねば間に合わないので、スマホで次のお寺を探す。

光照寺

福徳延命寿老人

春は桜の名所である逗葉高校の住宅街を抜け、次に目指すは羽山町長柄の仙光院。ところが檀家用駐車場に停めて気付いたのは、両側が墓地であり、下に見える本堂まで道が繋がっていないことだ。

仙光院の上
 
どうやって辿りつけばいいんだ・・と長柄交差点まで行き、斜めの道へ入るとなんと偶然にも長運寺を発見。山を背にした地味なお寺で、円満布袋尊のご朱印を戴いた縁側の寺務所では「よくお参りにいらっしゃいました」と挨拶された。ここで仙光院への道順を教えてもらい再チャレンジである。

長運寺

円満布袋尊

長柄毘沙門天の仙光院にはあっけないほど簡単に着き、山門手前の駐車場に車を置く。毘沙門天に繋がっているという鈴を鳴らし、境内の「ぽっくり観音」「ぼけ除観音」は横目で通り過ぎ、ご朱印を戴いた。この時点で午後4時12分。

仙光院駐車場

仙光院

長柄毘沙門天

七福神巡りのタイムトライアル、いったい何回Uターンをしたことか、次は葉山町一色でかなり離れている。134号線をひた走り、玉蔵院に駆け込んで恵比寿天に拝観。ちゃんとご朱印も戴いたが、慌てふためいているので境内の写真を撮ることを忘れてしまった。

さあて残すは逗子市桜山の宗泰寺。田越橋からの抜け道で横を通った記憶があるため、カーナビ要らずで到着したのが午後4時45分である。ところが境内の駐車場に入るのには躊躇する出来事が・・。なんと6時からお通夜が始まるらしく、喪服姿の方々が準備を始め、本堂前には御霊燈の提灯が下がっている。どうしたものか、でもここで諦めてなるものかと寺務所の呼び鈴を押した。

宗泰寺

ご住職は筆書きを快く引き受けて、「どうぞどうぞ」と福徳大黒尊天への拝観を勧めて下さる。靴を脱いで廊下を通り本堂に入ると、葬儀の御祭壇の右側に福徳大黒尊天の像。無事に辿りつけたことを感謝して、ご朱印帳を胸に抱き車に戻った。

福徳大黒尊天

玉蔵院と宗奏寺のご朱印

せっかくなので写真を撮り忘れた延命寺東昌寺に戻ってカメラに納めたが、もう真っ暗なので葉山町一色の玉蔵院は再訪を諦めた。次回は早くから計画を立て、ドロナワ式七福神巡りはやめようと心に誓ったのは言うまでもない。

延命寺

厨子弁財天

東昌寺

翌日、リビングルームでご朱印帳を広げて感慨に耽っていると、与六がテーブルに飛び乗ってきた。新しいもの、ご主人様が大切にしているものには必ずチョッカイを出す猫である。墨の香りが気に入ったらしく頭をこすりつけ、寝転んでページを手でめくり、最後は尻尾を載せて大あくびした。神様ごめんなさい。大胆不敵なこの家族にも、どうか御利益がありますように(本マグロがテンコ盛りになった夢を見るとか)。

与六1

与六2


残すは三浦七福神巡りだが、参拝期間は15日まで。ご朱印帳の残りの白いページを眺めながら、急いてはことを仕損じるだ。来年の楽しみに取っておこうかなと考えている。

先週は2コースの七福神巡りをした。まず7日はウォーキングの女3人旅、「鎌倉・江の島七福神巡り」である。意外と早く回ることが出来たので記録を残しておきたい。

全て徒歩は厳しいので、11時に逗子駅に集合して北鎌倉駅で下車。黄色いロウバイの花を写メしながら浄智寺へ向かう。境内の奥深く、最初に出会った七福神はやぐらの中に立つ布袋尊。ツルツルに光ったお腹を撫でたのは私で何万人目だろう。

北鎌倉のロウバイ

浄智寺

布袋尊

寺務所で1,000円の白紙ご朱印帳を買い、300円を納めて1ページ目に筆書きとご朱印を戴く。

浄智寺

そして次に目指すのは鎌倉の鶴岡八幡宮。建長寺の手前までは歩道の幅が狭く、すれ違う人と道を譲りあいながら鎌倉までの歩く距離はかなり長い。

鶴岡八幡宮には駐車場の脇から入って旗上弁財天社を目指す。裸弁財天のお姿は拝見できなかったが、ご朱印を戴いたら源氏池の鴨たちを眺めて次の神様へ。朝比奈方面にまた歩き出す。

裸弁財天

源氏池の鴨

花が美しいことで知られている宝戒寺のお庭はまだ寒々しい風景であったが、赤々と焚かれているかがり火が暖かい。靴を脱いで本堂に上がり、左側に祀られている毘沙門天にご挨拶して、ご朱印を戴く。ここでは机の前に正座して向かい合いながら筆書きの様子を拝見できるのが嬉しい。

宝戒寺

ここからの七福神巡りは距離が近く、次に妙隆寺の寿老人。

妙隆寺

寿老人

続いて本覚寺の夷尊神。

本覚寺

夷尊神

若宮大路を横切って御成通りを抜け、やはり花の美しいことで有名な長谷寺へとテクテク歩く。時間は午後1時半過ぎ。お腹がすいてランチする店を探したものの、鎌倉は殆どが水曜日休みなのだ。長谷寺門前の蕎麦屋で一息ついて、かけそばを注文。時計を気にしながら早めに店を出た。

かけそば

長谷寺で驚いたのはスイカで拝観料が払えること。駅の券売機みたいな自販機が並んでいる。受付を通ったら右奥に進み、大黒堂に祀られている大黒天への列に並び、さわり大黒天の打出小槌に触れてご利益を願う。その後は弁天屈へと進み、壁面に順路となっている弁財天と十六童子を拝観して回るのはアトラクション的な要素もあって楽しい。

長谷寺の券売機

長谷寺

大黒天

さわり大黒

次は長谷駅から近く江ノ電の踏切の向こう、面掛行列で有名な御霊神社へ。宝物庫への入館料を払って福禄寿にご対面する。これで7つの神様全てを廻ったわけだが、「鎌倉・江の島七福神巡り」の場合はまだ終わらない。最後に江の島弁財天が待っているのだ。

御霊神社

福禄寿

極楽寺駅から江ノ電に乗って、江の島駅に着いたのは午後4時過ぎ。洲鼻通りを抜けて夕空の美しい弁天橋を渡り、太ももがパンパンになる長い階段を上って江島神社に到着。社務所に滑り込みセーフでご朱印帳を待つ番号札を貰い、その間に江の島弁財天のお堂を拝観した。

極楽寺駅

江の島弁天橋

江島弁財天

せっかく来た江の島、そのまま帰るのは勿体なくて奥宮まで歩く。灯台のライトアップを撮ったり、人懐こい猫をからかったり、最後は裏道を通りながら3人で海岸のイルミネーションを撮った。

江の島灯台

片瀬海岸のイルミネーション

途中で江ノ電には乗ったが、6時間かけて殆ど徒歩で廻った七福神巡り。長い距離も苦にならなかったのは女3人で喋りながら歩いたからだろう。しかしいちばん年上の私は翌々日に筋肉痛。神様から戴いたありがたい痛みだと思い、やり遂げた満足感でいっぱいである。

逗子に居を構えて7年。ダウンを着ていても凍えるような寒さの中、初めて氏神様である亀岡八幡宮の参拝の列に並んだ。喪中のため寿ぎのご挨拶はできないが、「いつもお守りくださり、ありがとうございました」、「介護施設にいる父がずっと健康でいられますように」、「空に旅立った継母が安らかでいられますように」のお願いをした。

空に向かってホラ貝を吹いているのは立飲ワイン屋でよくご一緒するセンセイであり、神殿に手を合わせた後は一人一人にお神酒とお守りが振る舞われ、実にアットホームな初詣である。みんな二人ずつまっすぐに並び、境内で騒ぐこともなく静かに立ち去る。

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そう言えばと思い出したのは、藤沢市片瀬に住んでいたころ必ず家族で行った江島神社の初詣。げんを担いで陸側に車を停め、江ノ島まで凍える海風が吹き荒れる橋を背中を丸めて渡った。買ってきた破魔矢を居間の鴨居にさして、家族でパンパン!と手を叩くと一年の幸せが約束されたように思えて心が温まったものである。

それから七里ガ浜へ引っ越した大晦日、せっかくだから鶴岡八幡宮へ初詣に行こうという話になった。紅白歌合戦が終わり、ゆく年くる年の除夜の鐘を聞いたらすぐに坂道を下って、家族全員で鎌倉高校前のホームで江ノ電を待った。

ところが到着した車両は窓に顔が引っ付くほどの大混雑。なんとか乗り込んで鎌倉駅につけば、若宮大路は明治神宮なみの規制がはられており、10歩進めば警察官のピーッという笛の音と共にロープで止められる。誰かの頭に当たったであろうお賽銭を投げ、せっかくだからとおみくじを買ったところ、父は「大凶」が当たってしまった。これはいけないと引き直しをするため鎌倉宮(大塔宮)まで歩いたが、開いてみれば何の因果か「凶」。それ以降わが家では初詣に行った記憶がない。

そして2015年。恒例の年始パーティーもせずに過ごした三が日の夜、鎌倉はどんな様子だろうかと小町通りに入ってみた。歩いてくるのは若い人たちばかりで、キャーキャーと騒ぐ声が響き渡って破魔矢のチリチリという鈴の音は聞こえない。上っていく私は端を歩いていても道を阻まれ、ジグザグに横切ってやっと馴染みのバーに入り一息ついた。

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その夜は結局行けずじまいだった鶴岡八幡宮。鎌倉駅から小坪回りのバスに乗り、混雑を避けるコースで自宅に戻った。毎年元旦にアップしているHappy ニャーYearも今年はお休み。でも継母が亡くなる前に注文して、与六に着せた羊のコスプレ衣装はアップしなくちゃね。顔は怒ってるけど魔除けの羊ということで。

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どんな一年になるやら、氏神様に感謝を告げに行ってからまだ数日だけど、何だか小さな幸せが起きている。今年のテーマは長年のしがらみから離れるための断捨離。7日からわが家に及んでくるマンションの長期修繕に向けて、たくさんたくさんゴミを出したお正月休みであった。

映画三昧しようと思うお正月に向けて、光TVのチューナーを交換した。シングルチューナーモデルのPM700からトリプルチューナーモデルのAM900へ。今まで視聴中は裏録が出来なかったのが、1チャンネル視聴+2チャンネル同時裏録画が可能で、しかも月々のレンタル料はこれまでと同じ値段なのである。

しかし手放しで喜べないのは新しいモデルが出たことをどうして教えてくれなかったのかということ。光TVのサイトは新規導入ガイドからしか対応チューナーのページに行けず、一度契約してしまえば客からの問い合わせがない限り、何年も古いモデルをレンタルしっぱなしだ。

同じことはプロバイダのサービスにも言える。2年前に初めてのタブレットとしてNexus7を買ったとき、BIGLOBEの「LTEモバイルルータ(AtermMR01LN)+Nexus7」というプランを申し込んだ。端末を安く入手できるサービスとして、24か月間の月額費用に加え、アシストパックという月額加算量料を支払うのが条件である。しかしこれには縛りがあって満了月以外に解約した場合、LTEプランの解約料にプラスしてアシストパック加算分契約解除料も必要になるのだ。

ところがところが、BIGLOBEでは1年前に定期利用契約が廃止されていた。サービス開始日にかかわらず解約時に契約解除料金はかからず、アシストパック加算分契約解除料も払わなくて良くなったのである。これを知ったのは今年の秋。すぐにサポートに電話してプランを変更し、月額料金は3,016円から975円へと下がった。Nexus7の液晶が割れたので新しいタブレットを入手しようと思い、各社のプランを比較しているうちにBIGLOBEの規約変更のページを発見したのである。どうして顧客に知らせてくれなかったのだろう。

携帯電話会社も同様で、auの電話料が高いと悩んでいる友人に「カケホとデリラ」を教えてあげたところ、そんなサービス初めて知ったとビックリされた。故障してauショップに持って行った際にも料金が安くなる仕組みは教えてくれなかったというのである。

電話やネット回線の進化に伴い、対応機器やサービスが次々新しくなる。しかしどの事業者も新規顧客や乗り換え客の獲得に走るばかりで、既存の顧客満足をおろそかにしていないだろうか。知らないうちにプランの名称は変わり、ユーザビリティ(使い勝手)の悪いホームページからは欲しい情報に辿りつけず、サービスセンターに電話しても「ただいま大変混みあっております」と待たされ続ける。

顧客離れを防ぐのは他社との競争ではなく、パーソナルなオーダーメイド対応だということに気付いて欲しいものである。

また幸せな誕生日を迎えました。バブル復活なのか忘年会が連続して、お留守番の与六は爪を立てて私の外出を阻止しています。

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この顔は誰かに似てるかな?で、後輩曰く「吊り上がった目が〇〇さん!」。8年前、恵比寿から逗子に今の住まいを購入して、半年後に亡くなってしまった彼氏にそっくりだそうです。

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立飲み屋で聞きましたが誰が言ったのか、私は彼氏に高級マンションを買ってもらい、左団扇で暮らしているとの噂が浸透しているそうです。そんなことがあれば贈与税で訴えられているでしょうし、彼は既に亡くなっています。
癌だったお腹の痛みを堪えながら運転してくれた目利きの彼と、クリスマスイブに高級家具店を回りました。搬入されたらヨット仲間たちとテラスでBBQしようねと笑い合いながら、春先に数人だけでその願いは適いましたが、それからは危篤のベッドまで遭うことはありませんでした。高級ブランド好きだった彼のために頑張ったのに、ほとんど見て貰えなかったのが悔やまれます。

彼は日本で名だたる一族でありながら大規模倒産したことは新聞の一面に載り、負債への重圧が癌となって体内で急速に巣食ったのだと思います。豪快に親分肌を演じながら、身体から臭ってくるのは死でした。そんな状況で私への援助なんて有り得ない。噂をまき散らしている方はどなたか存じませんが、逗子の家も家具も私自身が清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったのですよ。楽しみを見つけて癌から復活して欲しいと願う起爆剤です。

逗子は小さな町です。歩けば知り合いとすれ違い、飲み屋ではいつもの顔たちが集うのが嬉しいと思っていました。でも上記の噂話を伝言ゲームしているのは同じ人たち。本音と建前が大きく違うのが田舎の証拠でしょう。それが良し、それが悪し、日本でいちばん高齢化が進んでいるこの逗子で、市政を背負っていく若い人たちがジジババみたいに他人を蹴落として、ほくそ笑むのはいかがなものか。

自分を下衆(げす)にしてしまう目論見は止めませんか?「見ざる聞かざる言わざる」が周りの人たちを守り、幸せにするベストな方法だと考えます。人間は幸せになるために生きているのですよね。

噂話なんてしない友人たち、信頼できる友人たちがサプライズに仕掛けてくれた誕生日パーティーの画像を載せますね。男性たちが写っていても勘ぐり無用です。魔女の宅急便のコスプレで「やさしさに包まれたなら」をアカペラしました。
ゆり子と書かれたケーキが可愛い!そしてプレゼントが沢山沢山。玄関で待ち構えていた与六が皆さんに「こんなにいっぱい飛び込める袋をありがとう!」と嬉々として転がっております。

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昨日は友人たちのクリスマス・コンサートを聴きに逗子の教会へ行った。ツリーが飾られた聖堂に座るのは久しぶりで、湘南白百合学園に通っていたティーンエイジの頃を思い出す。中学受験で入学した私にとってカトリック教育はまるで異国に来た気分。「主の祈り」と「天使祝詞(アヴェマリアの祈り)」を丸暗記することから始まって、ミサではベールを被った女性信者を羨ましく眺めながら、負けじと「アーメン」を言うタイミングを図ったりしていた。

お祈りもすっかり板についた頃、嬉しかったのは朝礼で聖歌(讃美歌)を歌う大役を戴いたとき。放送室でマイクの前に立ち、中高の全校生徒に向けて歌う係だ。二人一組なので失敗することはなかったけれど、曲目はその朝に告げられるので、初めての曲の場合はぶっつけ本番で聖歌集の音符を追ったものである。

今でも空で歌える大好きな曲はカトリック聖歌305番「みははマリア」。

♪み母マリア 身も心も
 とこしなえに 献げまつる
 朝な 夕な 真心もて
 君をのぞみ 慕いまつる
 みめぐみこそは きよき慰め
 輝かしき 君がかむり
 うるわしき 君がえまい
 ああ我ら深く 慕いまつる

 み母マリア この汚れし
 我らの身を 清めたまえ
 この憂世(うきよ)を しばし避けて
 とわの栄え 仰ぎまつる
 花咲き匂う 天(あめ)のみ国へ
 たどる道を 照らしたまえ
 いまわにも みめぐみもて
 罪あるこの身を 守りたまえ ♪

美しいメロディと宝塚歌劇団みたいな歌詞が女子校にマッチして、属していたコーラス部でも定番となっていたが、よく考えてみれば臨終の歌。しかしキリスト教での臨終とは地上での罪が許され、神のもとへ召される安息への旅立ちなのだから、決して悲しい歌ではないのだろう。

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昨日のコンサートではシューベルトの「アヴェマリア」やモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が歌われ、これもまた懐かしさでいっぱい。♪Ave verum corpus natum de Maria Virgine♪というラテン語の歌詞もちゃんと覚えていて、心の中で一緒にコーラスすると時間が逆戻りする。

教室のスピーカーから流れる私の声はどう聴こえただろうと思いを巡らしながら、セーラー服を着たクラスメートの顔が出演者たちの顔にオーバーラップした。

「夢」という言葉ですぐ思い浮かべるのは、橋幸夫と吉永小百合が歌った日本のオールディーズ「いつでも夢を」だ。実家にテレビが現れた日、家族が目をほころばせて見ていた画面で知った歌。

「星よりひそかに 雨よりやさしく
 あの娘はいつも歌ってる
 声が聞こえる 寂しい胸に
 涙に濡れた この胸に
 言っているいる お持ちなさいな
 いつでも夢を いつでも夢を
 星よりひそかに 雨よりやさしく
 あの娘はいつも歌ってる」
(作曲:佐伯隆夫 作詞:吉田正)

幼かった私に意味は分からずとも強烈にリフレインした言葉の「夢」が記憶に残った。それからウン十年後、2014年11月28日に東日本大震災復興支援イベントで宮城県の亘理町を訪ね、改めて「夢」について考える環境と歳に向かい合っている。

亘理町

そのイベントは私が所属している奉仕団体で「ドリームプロジェクト」という名称だった。住居の殆どが津波にさらわれ、3年目にしてやっと再建された中学校でJリーグ選手によるサッカー教室とお笑いトリオ「我が家」によるコント。元気になるための授業として金曜日の午後を割り当て、生徒たちは走って笑って夢の授業に参加してくれた。

サッカー教室

しかし体育館で大人たちと生徒たちとの対話が始まったとき、どうしようもなく嫌な思いになった。それは「あなたの夢は何ですか、将来どんな仕事をしたいですか」という質問だ。親の仕事を継ぎたいとか自衛隊に入りたいという生徒たちには大きな拍手が送られたけれど、「何になりたいか分からない、まだ夢がない」と答えた生徒に対しては皆が黙った。お笑いトリオと主催者代表は「一生懸命やって探し続けていれば、いつか見つかるよ」とアドバイスしたけれど、その子に何が起こったかの状況を知りもせず、通り一辺倒な励ましは空しい。

トークショー

津波に襲われて校舎の屋上で助けを待っていた生徒たち。大切な人たちを失い仮設住宅に住み、3学年で88人しかいない生徒たち。見渡す限り更地になった所々には沼が出来て、彼らは魚釣りをして遊んでいるという。なぜこんな更地の真ん中にある学校に通うのか、下校時刻に来る送迎バスに乗って仮設住宅まで帰っていくのは、周りに何もなくなった中学校だとしても愛する地域に再建された校舎で絆をつないでいたいからなのだ。

泣く・怒る・悲しむでなくて笑う。失いすぎた彼らに問う「夢」という言葉が重すぎて、そして参加した主催者たちは高齢なので今さら「夢」でもなく、何のイベントなのだか溜息しか出なかった。夢や希望といった通り一辺倒の言葉しか使えないのは物書きの私には耐えられず、奉仕団体を退会したい旨を伝えた。しかし取り囲まれて説得され、悶々とした状況が続いている。

「夢」って何ですか?
いつからいつまで見られるのですか?
意味の分からない幼児でも、呆けた高齢者でも見られるのですか?
聞かれたら必ず答えなくてはいけないのですか?

被災地へ出向いた記事をこの数年に渡り書いてきたけれど、今回は時系列の話は書けない。そして次はいつ被災地へ行く覚悟ができるのかも分からない。被災者の皆さんの笑顔を戴くことが目的なんだという意見もあるけれど、相手が「いつでも夢」を必要としているのかどうか、私だって訊ねられれば返答のしようがない曖昧な言葉に悩んでしまうのはどうしたものだろうか。

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