文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

「お綺麗ですよ。またお待ちしております。」
元気な声に見送られて、いそいそと美容院のドアを開けた。駅に向かって花柄の傘をポンと開けば、七夕の夜はもう3日も続いた雨降り。今夜のデートに向けて巻き髪にしてもらったのに、いくら傘の角度を変えても、湿気でカールは取れていくばかりだ。おしゃれするために会社を早退した罰が当たったのかな。

今夜の待ち合わせ場所は、彼の会社がある駅。街の再開発に向けたジョイント・プロジェクトで、二年前から同じチームとなった私たちはアフター5に時々、仕事にかこつけて二人飲み会をする。まずはスタバで資料を広げて打ち合わせをし、要件がまとまったら「さあ、どこへ食べに行こうか」のお楽しみ。ベルギービールと自家製ソーセージの店、カウンター席だけのリーズナブルなフレンチ、魚河岸直送のお刺身が山盛りの居酒屋・・、行きつけの店は確かで居心地がいいけれど、いつもと同じ風景、いつもと同じ味。割り勘で飲んだらいつもの時間となり、どちらかの部屋に泊まることも暗黙の了解となっている。歯ブラシはもちろん翌日の着替えまでキープした、ちょっと鮮度の落ちかけた関係かもしれない。

濡れた傘を畳んで押し込まれた、終電に近い各駅停車。
「今夜はあなたの部屋?」
電車の窓ガラスに映った彼の顔が「うん」とうなづく。
「美容院に行ったんだけど、髪が雨でボサボサになったから直せるかな。」
大きなあくびをしながら、ネクタイを緩めてうなづく顔は、彼女の努力に気付かないオトコ。それなら勇気を出して言ってみよう。今まで一度も聞けなかったことだ。

「ねえ、私のこと愛してる?」
反応を伺う前に、電車は乗換駅に着いた。

駅構内に最終電車のアナウンスが流れて足早になる彼。私はピタッと止まり、小さくなっていく後姿を見ていた。振り向いてくれるかな、戻ってきてくれるかなの期待が遠ざかる。改札口に入ったところまで見届けた後は、溢れる涙で何も見えなくなった。どうして振り向いてくれないの?今日の変身に可愛くなったねと言ってくれないの?

くたびれた格好のまま24時間営業のファストフード店に入る。見る影もないヘアスタイル、車が撥ねた泥水で水玉模様ができた白いワンピース、前の店で忘れた花柄の傘。心配して欲しい「悟ってちゃん」をやらかした自己嫌悪で、スマホの電源を切った。紙コップのコーヒーは冷え切って、窓に叩きつける雨はますます激しさを増す。これじゃ彦星と織姫は120%会えないよね。

「コーヒーをお取替えしましょうか」。
首を縦に振って顔を上げると、頬杖をついて私をのぞきこんでいる彼。
シティホテルのカードキーを見せ、大きな紙袋を指さした。そこに入っているのは彼の部屋に預けておいた私の着替えで、念のためとドライヤーまで入っている。
「その服はホテルでクリーニングに出して、仕上がったら僕が取りに行くよ。打ち合わせのついでだからね。」 打ち合わせ?新しい仕事のミーティング?何、何?

一年後の素晴らしく晴れた日、私たちはそのホテルで結婚式をあげた。合同プロジェクトは成功し、今は別々のチームに属している。時間がうまく合えば行きつけの店で飲んで食べて、相も変わらず混んだ各駅停車に乗る。窓ガラスに映る亭主となったオトコの顔を伺って、あれっ、あくびしてネクタイを緩めながら何か言ってるなあ。
「アイシテル、アイシテル、アイシテル・・・」

次の乗り換え駅では走らずに、ちゃんと手を引いてね。クシャクシャッと笑った私のお腹には、愛の結晶がすくすくと育っている。

--------------------------

毎年7月7日に書いている小さなラブストーリーが9回目となりました。ということはこのブログも長く続いてきたんですね。お読みくださっている皆様に大感謝!です。くれぐれもですが小説は実体験ではなく、想像力の産物です。

その一方、これまでの切ない思い出をオムニバスにして、『赤いやねの家』のタイトルで、引っ越しをテーマにした小説を出す予定でおります。家族、恋人、友だち、ペット等々、住んでいた家、無くなってしまった家にまつわるエピソード。心の整理をしながら、これから執筆活動に入りますね!

期待を背負って走るマラソン選手に声援が飛ぶ。応援の声は「頑張って〜!」。声掛けされた側は聞こえているのかいないのか、いや、耳に神経を集中している場合ではないはずだ。苦しくて苦しくて苦しくて、これ以上頑張れるかは、他の誰よりも密接に向き合ってた自分にしか分からない。

どうして、いつから、「頑張って!」が始まったんだんだろう。マラソンにせよ仕事にせよ、プロフェショナルのギリギリで戦ってきた努力があるのに、事情を知らないギャラリーからの励ましは優しくて傲慢だ。これ以上どう頑張ればいいんだよ・・。心理学の世界で「頑張って」はお気軽すぎて、うつ病患者に対してはNGワードである。
本人が地道に頑張るしかないことに、どこまで他人がアドバイスするの?

数年前の夏、仕事で徹夜のあとに仲間たちと富士山に登った。
日本にエアロビクスが入ってきたころから有酸素運動を続けている私には、すいすいと登れる登山道だと思っていた。ところが息が続かず足が吊って、仲間を邪魔するだけの厄介者になったのである。なのに誰も「頑張って」を言わないのは、たぶん私の限界を見て取ったから。「先に行ってください」と手を振り、似たような体力の新しい友人を見つけてゆっくりゆっくりとカタツムリみたいに登った。登頂を果たした時にチームは既に下山した後だったけれど、だからこそ私のプライドは傷つかずに済んだ。心で泣いている自分と戦って、目的を果たしたことは我が人生の表彰状になったと思う。

人間は一人で生まれて一人で死んでいく。どんなに頑張っても孤独は避けられない。だからこそ付け焼刃の「頑張って」ではなく、黙々と鍛錬している姿を、宇宙みたいに大きなフィールドで見守り合える誰かが欲しい。

このブログをアップした後はプログラミング作業に戻り、たぶん寝ないままに明晩も徹夜が確定。そこに欲しいのは「君なら大丈夫!」だ。豚もおだてりゃ木に登るを促進するのは、そんじょそこらじゃ落ちないことを知っている訓練した豚の「どうよ!」を褒めてくれる、まっとうに観察し続けてくれた目じゃないだろうか。

私が属している某団体は6月が年度末だ。慰労の打ち上げや引き継ぎ会、キックオフパーティーなど、今月から来月にかけては毎晩のように宴会が続く。合間を縫ってパソコンに向かっている最中も頭に歌謡曲が鳴り響いているのは、二日続けてカラオケに行ったせいだろうか。

昨晩は赤坂の一つ木通りにある「島」というナイトクラブに行った。昭和歌謡が全盛だった時代に人気のあった歌手・島和彦さんが経営している店で、お客が生ピアノ伴奏に合わせて喉を披露する、大人のライブバーである。集まったメンバーの大半は演歌とムード歌謡に染まった年代であり、間違ってもAKBなど歌える雰囲気ではない。「赤本」と呼ばれた懐かしい楽譜集から歌を探し、リズムとキーを打ち合わせしてマイクの前に立てば、エロティックな色合いのスポットライトが当たる。

DSC_3280

即席オンステージの伴奏は決して完璧とは言えないが、気付いたのはどんなアップテンポな曲であろうと、大人の味付けがされること。歌っている人の個性と声質が引き出され、「この部分はゆっくりと」、「この部分はゴージャスに」と自己演出しながら、歌詞と共にこれまでの人生が見えてくるのである。歌詞が色変わりテロップで流れる通信カラオケのデジタル音楽に比べると、生ピアノ伴奏は歌本の縦書き歌詞しかない超アナログ。しかしそれが頭の体操になって、知性までもが見えてくる。

🎵コモエスタ・セニョール コモエスタ・セニョリータ 酔いしれてみたいのよ 赤坂の夜🎵のムード歌謡を誰かが歌えば、自然に誰かがダンスを始める。それもエッチなチークダンスではなく、適度にジルバを取り入れた大人の踊り方だ。カラオケ同好会の副会長(俗称チーママ)でありながら私はまだまだ青二才。都心で何十年もの経験を積んできた経営者のオジサマたちに、粋な遊び方のお手本を見せて戴いた夜であった。これが赤坂、美空ひばりも五木ひろしも訪れたというこの店で、演歌と歌謡曲の真髄に目覚めたのは言うまでもない。

作詞をするときは「メロ先(先に曲を貰って歌詞を当てはめること)でお願いします」なんて言っていたのを改め、情感のままに手書きで詞を書いていた時代に戻るべきか。昭和のアナログに回帰したい、甘酸っぱいラムネ味みたいな想いがシュワシュワと胸に溢れている。

梅雨前線の活動が活発になってきた。九州では豪雨と土砂災害、関東では雷と雹、突風の被害に見舞われている。積乱雲から爆発的に吹き降ろす気流をダウンバーストというそうで、遭遇した人たちは「この世の終わりか」と思ったほどの破壊力だったらしい。

今も都内では大雨が降っているらしいが、ここ逗子の気候は恵まれている。雲の間から日差しが出て、求愛の時期に入った鳥たちが賑やかなコーラス。木々は生き生きと、オレンジのノウゼンカズラが2階の書斎まで力強いツルをのばしてきた。去年と同じ風景、去年と同じ居場所。ほんわりとした幸せ。

DSC_3218

DSC_3220

この生活をいつまで続けられるのか、独り暮らしに不安は山積。もし竜巻でも起こったら自分と猫の身を守る自信はない。しかし美術家である篠田桃紅さんの著書「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」を読んで、その達観した生き方に勇気を貰った。

24歳で実家を出たときからごく自然に、一人でいることを前提に生きてきた篠田さんは自由に、つまり自らに由って(よって)生きているという。自分の孤独を客観視できるから、寂しくなく、むしろ気楽で平和。漢字の「人」は互いに支え合いながら立っている姿だと世間一般に言われているが、古来の甲骨文字では一人で立っており、相手への過度な依存をしないことが本来の人の姿に思えるのだそうだ。

理由を抜粋すると「過度な期待を相手に抱けば、その人の負担になるかもしれません。ゆきすぎた愛情を注げば、その人の迷惑にしかなりません。相手は、よけいなことをしてくれていると、内心思っているかもしれません。しかし、世の中には、そうしたことに気づかず、振る舞っている人がいます。悪意ではないから、誰も憎むことはできない。まわりが困っています。」

そう、これなんだ。相手に依存することが私は最も惨めで怖い。恋人ができても甘えることはないし、手をつないで歩くことさえ躊躇う。それを水くさいと思われようが常に一定の距離を置くことで、いつも新鮮で魅力的な、大人と大人の関係でありたいと願う。それを「君に僕は必要ないんだね」と言う人もいたけれど、違っているな。もし彼が先に亡くなる場合でも、あとのことは心配せず空に旅立てるような、逞しい女でいたいのだ。

綾瀬はるかがNHK大河ドラマで演じた新島八重は、夫の新島襄からハンサム・ウーマンと呼ばれた存在であった。会津戦争では男装して鉄砲を撃ち、夫が急逝後は赤十字看護婦として従軍。86歳で死去するまで、行動や態度がりりしく、自立した女性として現役でいた姿に、一人で立っている「人」の文字を重ねずにいられない。

篠田桃紅さんもハンサム・ウーマン。縛られたくないから予定や目標も立てず、その日の風が吹きやすいように暮らしてきたという。絵を描く仕事も何時から何時までと決めているわけじゃなく、夢中になっているうちに夜が明けてしまう現役の103歳だ。師と仰ぐなんて言ったら迷惑がられるだろうけれど、先に道を作って戴いたことに感謝。私の人生なんてまだ彼女の1ページにも満たないなあと、ゴールの見えない道を楽しみたいと思っている。

老若男女が集った飲み会の席で、「平等」と「公平」の違いについて議論になった。辞書を引くと以下の意味を持つ。

・「平等」 かたよりや差別がなく、みな等しいこと。
・「公平」 すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。

これでは理解が不充分で、Yahoo!知恵袋で明快な解答を見つけた。

・「平等」 みんなに等しくチャンスと自由を与えること。
・「公平」 各人の努力とその成果に応じて、等しく評価すること。

これを賃金の額に例えれば、能力別で差をつけるのが「公平」。一律に労働時間で計算するのが「平等」となるらしい。1時間に10個の製品を作る者と、1個しか作れない者に同額の賃金を支払うのが「平等」だ。しかし平等に賃金を払えば能力のある者は不平不満を抱いて別の職場に行き、公平に賃金を払えば能力のない者は生活できなくなり、やはり職場を去っていく。

この仕組みって恋愛関係に似ていると思った。
「私が10の愛をあげたのだから、あなたも10の愛を返して下さい」。これは平等だ。
「私は10の愛をあげました。でもあなたには1の愛しかありません。それでもまた私は10の愛をあげます」。これが公平だと思う。
愛が共産主義でないなら、あげること・貰うことを天秤で計り合う必要はない。例え一方通行の愛であっても、相手を愛おしみ、悩み、もがき苦しむ「恋愛道場」(同じ職場)に居ることは、いつかは立場を逆転する同じ土俵に乗っているということなのだから。

バースデーパーティーであなたが丸いケーキを切り分ける役目を仰せつかったとき、一片一片が同じ大きさになるようにと努力する。平等にカットして配ったにも関わらず、一口食べて残す人、誰かにあげちゃう人もいる。その光景を見て「私があんなに苦労して切り分けたのに、全部食べてよ!」とムカつくかもしれないが、銘々皿に乗ったケーキを貰った時点でみんな既に嬉しいのだ。それをどう食べるかまで監視するのは「公平」ではなく、小学校の給食チェックみたいなものである。食べなきゃいけない義務感が湧く。

恋愛は公平であるほど、深まり長続きするんじゃないかな。フィフティー・フィフティーなんて有りないと思うし、思いの丈が届かなくて悶々とする夜も、「恋人いない歴は生まれたときからでーす!」の人に比べたらどんなに幸せなことか。アイドルやアニメの主人公ではなく、身近に愛する対象がいるのだから。

でもね、相手に訊ねもせず消極的になるのはいけない。ダメもとで言ってみるべきだ。「給料を上げて貰えますか!」ってね。OKかNGかペンディングか・・、NGでない限りは希望があるってことを喜ばねばいけない。「公平」とは黙々と自分を磨いて突き進む、場が「平等」な差別化の道なんじゃないだろうか。

小学生の頃、自分は何歳まで生きるべきかに悩んでいた。30歳を越えたら老人で、しかもショートカットの女性は美意識を捨てた末路だと確信していたのだ。若さが人生のプライオリティと思った根拠は思い出せないが、年取ってまで生きたくないボーダーラインは、20歳を迎えたときには40歳、30歳では60歳、40歳では70歳という具合に許容範囲が広がってきた。その年齢を迎えても自分はまだまだイケてると自惚れるのは、私だけではないだろう。

今日は夕食をとりながら、NHKのクローズアップ現代「老いて 恋して 結ばれて 〜超高齢社会の“男と女”〜」を見た。シニア世代の婚活が活発化しており、65歳以上で結婚する人は1990年以降、4倍の増加だという。一例として登場したのは結婚相談所に登録した61歳の男性医師(結婚経験なし)で、自分より20歳以下の相手を求めていた。美人に目を付けたら「お父さんの歳なので」と断られてもめげず、お見合いを繰り返し、やっとお付き合いをOKしてくれた女性とはLINEで繋がって、ラブラブのデートをしている様子が映し出された。

しかし何故そんな年下を望む? 驚いたのは番組の取材で、「自分は実年齢より10歳以上若い」と思っている男性が多かったこと。上記の医師もダンベルで鍛えた上腕筋を見せて若さをアピールしていたけれど、髪がフサフサしていようが日焼けしていようが、なんか無理しているなあと悲しくなってしまった。残念なことにメイクしている女性に比べて、素顔の男性は顔の老けが目立つ。ガードやお手入れをすることなく、紫外線を浴びまくってきたせいか、刻まれた皺やシミが実年齢を物語っているのだ。でもまあ女性だって、ファンデの厚塗りで皺が鎌倉彫みたいに際立っている人も多々いるけれどね。

若く見られたいと思うのは全世界・全年齢が共通の願いだろう。身体の生殖能力が衰えようと、潜在意識には種の保存のために異性をゲットしたい欲望が根付いているからだ。羨ましい例として番組が取材した熟年夫婦では、孫に等しい子どもを設けたラブラブの家庭が登場していた。その歳でエッチできるんだ!と感動して、日本の医療技術は生殖年齢アップに向けるべきでは?と思ったほどである。経済に困窮している日本は、働く若い人口を増やさなければ年金支給も滞ってしまう。よって二重対策として経済力がある年代には、終戦後の「産めよ増やせよ」を促す時代が来るかもしれない。映画「コクーン」の爺ちゃん・婆ちゃんだ。

ネットで申し込んだ、サントリーの「セサミンEX無料お試しモニター」当選の通知とサンプルが届いた。同封されているお客様の声には驚きの効果が掲載されている。90粒入りを1日3粒飲み続けてどんな変化が起きるのか。1か月後には10歳若く見られたらハイテンションでキャピキャピしてやろうと、捕らぬ狸の皮算用的な妄想を抱く。よーし100歳まで生きてやろうじゃないか!って、う〜ん、私は今いくつ?

DSC_3143

青紫の花を咲かせるアガパンサスが、緑の長い花茎を伸ばすようになると梅雨が近い。あっという間に1年が過ぎてしまったことに気づき、こんな生活でいいのかと焦るのも去年と同じである。

DSC_3081

私の生活スタイルを表現している熟語は「一気呵成」。ゆったりと時間配分するのではなく、仕事でも趣味でも完成を見るまでは寝食を忘れて全身全霊を注ぐ。作詞家、放送作家、コンサートの構成作家、ミュージカルの脚本家を掛け持ちしていた頃は、このワーキングスタイルで張りつめていた。

作詞家としては、アーティストや子どもの歌などを書いて(もしくはメロディに嵌め込んで)、スタジオ録音に行く。

放送作家としては、月〜金の午前中枠の帯番組のために情報入手(試写室で映画を見る、アートの展示を見る、流行っているものを取材する等が毎日)をして原稿を書き、別枠で夜の生放送もこなす。地方の放送局にはパーソナリティーと一緒に録り溜めに行く。

構成作家としては、アーティストたちのコンサートを無から形作る。何を歌うか何を喋るか、どんなステージを組み立てるか、演出の流れはどうするか等々、とにかく全部だ。

ミュージカルの脚本家としては、ストーリーを作り、舞台の流れを考え、台詞と詞を書き、演出家と打ち合わせをしながら直しを入れる。脚本が完成するまではホテルに閉じ込められたり、原稿を取りに来たスタッフが家の下で待っていたりする。

上記の仕事をスケジュールに割り振りし、鎌倉の実家から運転してスタジオや取材先に向かい、深夜に帰宅して明け方まで原稿を書き、適当に朝ごはんを流し込んでまた出動。そんな生活がずーっと続いていた時代を振り返ると、狂気の沙汰だったとしか思えない。東京まで1時間の距離でよく事故らなかったものだ。しかもちゃんと恋愛やおしゃれまでしていたのは、アドレナリンが長期に渡り出まくっていたのだろう。

やがて年末に急性腎炎で倒れ、医者に「死んじゃいますよ」と言われて、今は自宅で原稿書き&WEB制作の仕事をしている。なのに一気呵成の癖は治ることがなく、気が付くと48時間が1日になるのは度々だ。その結果は・・・猫だけがダーリンのお一人様に満足し、視力が低下して転びまくって満身創痍。足のカサブタが増えていくのを見ながら無理を悟る。

本当に私、何してるんだろう。要するに不器用なんだな。取捨選択ができなくて全部をやろうとするから、高血圧や高尿酸値のツケが回ってくるのは分かり切っているのにねぇ。

これじゃ干からびると思い、恋愛に目を向けたこの頃。でも昔のように仕事と両立させるパワーはなく、年増のシンデレラを救出してくれる誰かがいたらと妄想を抱いている。妄想が現実になる確率は低くとも、アガパンサスが突然変異で赤や黄色の花を咲かせないとも限らない。ひそかに万が一を期待しながら、また一年が過ぎていくことに歯止めをかけたいな。

うちの与六は生後2カ月のときにブリーダーさんから購入した、猫種としては比較的新しいマンチカンという種類の雄猫である。何十万円もする短足マンチカンではなくて足長タイプだけれど、骨太な体つき、真ん丸な頭、くるみ型の目、腰を振りながら直線上を歩くモンローウォークなどは血統書通りで、足のレングスも短めかなと贔屓目に思っている。

与六はペットとして飼われるために代々繁殖して生まれてきた子。この6年間ベランダ以外は表に出したことがないのに、野生だったルーツを感じるときがある。
  • 飼い主の急激な動作には危険を察して飛びのき、決して油断しない。

  • トイレで用を足した後は、モノと匂いを隠すために執拗に砂をかける。

  • 見張っている窓から小鳥を見つけると、捕りに行けない悔しさで「カカカ」と鳴く。

  • 窓から野良猫に出くわしたときは、鈴のような声で「ニャ」と呼びかけるか、「ウンギャーゴロゴロ!」と敵意を剥き出して脅す。

  • 暑くてもじっくりと被毛に太陽光を浴びて、ビタミンDを生成する。

  • 飼い主から貰う食べ物は嗅いで嗅いで嗅いで・・・、フレッシュでなければ絶対に食べない。

書き出せばもっとあるけれど、昨夜気付いた与六の野生。インテリアの色に合わせて自らが保護色になっているのだ。いや、被毛の色にマッチした場所を選んで寝ていると言った方がいいかも。

DSC_3041

DSC_3040

革のソファーを保護するために掛けたのは、同じ茶系のハワイアン柄タオル。それは与六の被毛カラーと見事に溶け込んで、擬態としか思えない自然のミラクルを感じる。うっかり上に座ってフンギャ!と叫ばれるところだった。

親馬鹿のあまり与六の話を長々と綴ってしまったが、今回言いたかったことは他にある。水族館イルカ問題だ。日本動物園水族館協会(JAZA)が国際社会からの批判を受けて、追い込み漁によるイルカ調達を禁止したことで、加盟水族館では「繁殖がうまくいかず、飼育頭数が減るのでは」と不安をつのらせているという。

このニュースを聞いて考えたこと。イルカはワシントン条約の規制対象には入っていないけれど、なぜ野生のイルカの恐怖心をあおる方法で捕獲して水族館が購入し、芸を仕込まなくてはならないかだ。もう野生に戻れない個体を飼育するのなら分かる。いつか絶滅危惧種となったときのために繁殖方法を研究する必要もあるだろう。しかしペット化させてショーを開き、お客さんを喜ばせるのは、単なる人間のエゴじゃないかと思うのだ。

なら動物園は?と「そもそも論」になるので掘り下げないが、野生と飼育との境界線は難しい。アライグマだって、野生→ペット→害獣→特定外来生物の道を辿ったのは誰のせいだろう。

文明を切り拓くためにいったん自然に手をつけたからには、その将来に最後まで責任を取るのが人間の務め。さもなければ地球の創造主から見て、ワーストワンの害獣は人間になってしまうと思うのである。

5月に台風が来たなんて何年ぶりだろう。どうせ大したことないと高をくくっていたその晩は、警報を知らせる逗子の災害無線から始まって、風雨が窓をドーンと叩く音が強まっていく。滅多に鳴かない与六がニャーニャーと足にまとい付くのは、自然の猛威に恐れを感じているのだろう。

でも私はそれどころじゃない。請け負っているシステムのバグが取れず、土曜日から脇目も振らずにパソコンに張り付いて悪戦苦闘しているのだ。やむを得ない用事で外には出るけれど、頭の中はプログラミングのコードが絡まり合った状態。眼を皿のようにしてエラーを探すデバッグで、期待と溜息を繰り返しているうちに、いつの間にか台風は通り過ぎてしまった。やがて白々と明けていく空に、また徹夜してしまったと教えられる。

文筆業とプログラマーの道を選んで、良かったのは自宅を仕事場にできることに対し、最悪なのは視力がどんどん落ちていくこと。乱視が加わり階段の上り下りが恐くなったのに加え、暗い中の運転も危なくなってきた。夜間の運転は対向車のライトに目がくらみ、トンネルに入ると前進しているのか後退しているのか分からなくなる。そこに閉所恐怖症が加わって心臓はドキドキ、気が遠くなっていくのだから、いつ事故ってもおかしくないくらいだ。

そしてついに決断。愛車のMINIを手放すことにした。ネットと物流が発達した今は車で買い物に出なくても、amazonならその日のうちに注文したものが届く。仕事で都内に行けば、帰りはアルコールを飲んでくるのだから車の出番がない。年に3回ほどしか乗らなくなったMINIはバッテリーが上がるし、パーツは劣化するしで、駐車場で淋しく出番を待っている姿を見るのが切なくなったのである。

査定に来た業者さんが工場に持って帰り、「このまま引き取っていいですか?」の連絡が来たので、あとは委任状を送るのみ。マンションの管理事務所には駐車場の解約願を提出した。こんなに早く別れの日が来ると思わずにいたので、最後にもう一度乗ってあげれば良かったなと、まるで故人を偲ぶ心境だ。パソコンのフォルダから昔の画像を探して、笑った顔みたいなフロントグリルに、駄目なオーナーでごめんねと手を合わせた。

myCooper

1170336153

ゴムタイヤの足にサヨナラしたのだから、今度は自分の足でしっかり歩かなくては。梅雨に入る前にウォーキングを再開してフットワークの軽い私になることが、きっと愛車への御恩返しになるはずだ。

数日間続いていた晴天がちょっとお休み。フェイスブックに上がる友人たちの画像もトーンダウン気味で、午後からの太陽を待っているらしい。

カレンダーを見て今日は「こどもの日」だと気付き、鯉のぼりを探しにベランダに出てみた。🎵いらかの波と雲の波🎵は歌詞通りだけれど、🎵高く泳ぐや鯉のぼり🎵は全く見当たらない。そういえば旗日に日の丸を掲げる家を見かけなくなり、眼下の景色は時代の変遷そのものだ。

DSC_2961

「兄と読む一つ絵本や端午の日」 高田風人子

日本大歳時記の「端午」に出てくる俳句の中でいちばん好きな句。一人っ子の私は絵本も玩具も独り占めできたが、男の子を祝う節句には縁がなかった。風にたなびくカラフルな鯉の数は子だくさんの象徴。騒々しく喧嘩しては親に叱られる兄弟のいる家庭が羨ましくて、これまで書いた歌詞の一人称は「わたし」ではなく「ぼく」にすることが多かった。紀貫之が「男もすなる日記といふものを女もしてみむとするなり」と綴った「土佐日記」の逆パターンである。

男の子のセンチメンタルな心情を勝手に解釈して書いた歌。NHK東京児童合唱団のコンサート用に作詞した「ぼくの子どもが生まれたときに」は、大家族への憧れを明治時代からの時系列で詰め込んだ。菜の花畑や蛍の飛ぶ川が近くにあり、ひいおじいちゃんが一緒に暮らしている家庭は今の日本にどれくらいあるのだろうか。お父さんとお風呂屋さんに行って、近所のおじさんが背中を洗ってくれる日常は映画の中だけだろうか。

心が通じる誰かと一緒に、無くした風景を探しに田舎へ行きたいな。窓を開けて「草いきれ」の香りを浴びる列車も今はどこに行けば乗れるやら。子どものころに乗った寝台列車の朝が無性に懐かしくなった。

このページのトップヘ