文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

NHK朝の連ドラ「花子とアン」で、とても懐かしく照れくさいものがある。主人公の花子や友人の蓮子、醍醐が使うお嬢様言葉だ。彼女らが卒業した秀和女学校のモデルとなったのは、翻訳家・村岡花子の母校である東洋英和女学校(後の東洋英和女学院)。雑誌「女性自身」によればドラマ放送開始からステータスの高い女子校人気が再燃し、娘を入学させる母親が急増したという。

日本のお嬢様学校四天王は「学習院女子」「聖心女学院」「白百合学園」「東洋英和女学院」だそうで、湘南白百合から聖心女子大へ進んだ私は二冠を制したことになるのだろうか。いやいやとんでもない、公立の小学校から受験して白百合の中学へ入学した私は、机を並べるクラスメートとは育ちも環境も雲泥の差だった。父は都内で小さな自動車販売・修理の会社を興したばかりで、住まいはお得意様から借りた2DKのタウンハウス。営業に飛び回って週末しか家にいない父と、経理仕事で帰りが毎晩深夜になる母が、爪に火をともすように働いたおかげで、当時は日本一入学金が高いお嬢様学校の生徒になることができたのである。

新学期前のオリエンテーションで目が点になったのが言葉遣い。これについては以前「美しい言葉で送るメール」という日記に書いたが、挨拶は「ごきげんよう」、感謝の言葉は「恐れ入ります」、掃除当番のホウキ係は「おはき」、雑巾係は「おふき」なのだ。稚園児の頃からお嬢様言葉をごく自然に使ってきたクラスメートたちが異星人かと思えた。もしも通学が制服でなく自由服だったら、私は劣等感の塊になって孤立していたに違いない。すました「ごきげんよう」は分不相応な奢り言葉に感じて、娘の何たるかを知っている親の前では絶対に口にすることは出来なかった。

しかし「花子とアン」の土曜日の放送を見て、私の見識が間違っていたのを知った。放送局で「ラジオのおばさん」として子ども向けの原稿を読む花子が、「さようなら」の挨拶を「ごきげんよう さようなら」にしたいと申し出る。嫌味たっぷりな部長は「あなたは給費生で、貧しい家の出だそうですね」と見下し、「ごきげんようが似合う人間と似あわない人間がいるんですよ」と冷笑するのである。

それに対して花子は「ごきげんようは様々な祈りが込めらえた言葉だと思います」と反論。健康な子も病気の子も、人生が上手くいかない大人たちも、全ての人たちが明日も元気に無事で放送が聞けますようにと祈りを込めて「ごきげんよう さようなら」で番組を終わらせて欲しいと願うのだ。

「ごきげんよう」を英語にすれば、"Have a niceday!"や"How do you do?"。一般的な"Hello"や"Good-bye"といった挨拶だけではなく、相手を気遣う思いやりが含まれた言葉なのだと思う。思いやりを独り占めしない分かち合いは博愛で、猜疑心にとらわれない限り、いつかは安らぎをくれる。朝ドラの最後に美輪明宏が語る「ごきげんよう さようなら」の台詞は子どもたちの間でブームになっているそうで、お嬢様学校の範疇から外に出たらしい。懐かしくて微笑ましい。

白百合時代から時が過ぎ、今やハイグレードな集まりに参加したときには、まさかの「ごめんあそばせ」「よろしくって?」を口走ってしまうワタクシ。帰りにその足で地元の立ち飲み屋に寄ったときには、「いいじゃん!」と神奈川弁を口走るのもアタシ。TPOに準ずる余裕が生まれたのだと解釈することにして、さてトラウマの「ごきげんよう」も使うべきかとうか。いい歳して流行語かと思われたくなく、やっぱり止めておこうと悪デレするひねくれ者である。

ブログの更新がしばらく滞ってしまった。急ぎの仕事が入り、パソコン相手に徹夜を繰り返す生活がまた戻ってきたからである。「痩せた?」と聞かれるのは女として嬉しいけれど、やつれて貧相に見えるのはこの年齢ではNGだ。飲まず食わずで50時間起きていたなんて記録は自慢できるものではなく、心身をすり減らして老化を早めるのを反省しなくてはならない。

お盆休み返上で働き続ける最中、友人たちから土曜日のお誘いメールが入った。葉山の森戸海岸で少人数で楽しむ七輪BBQ。月曜の締切を考えると参加できる状況ではなく「ごめんなさい」の返事を入れたが、集中してプログラミングのロジックを考えようとしても頭が上の空。土曜日のお昼を過ぎて、今頃みんな飲んで騒いで楽しんでいるんだろうなと思うと、居ても立っても居られなくなる。私はあと何回の夏を体験するのだろうと考えると、それは仕事ではなく遊びで充実感を得るべきだと、若かりし頃の私がささやくのである。

ええい、何とかなるさ!パソコンをシャットダウンして「今から行くね」と友人に電話を入れ、今年はまだ袖を通していないサマードレスに着替えた。途中でワインを買って森戸海岸に着いたのは午後2時半。大歓迎してくれたみんなと乾杯して、焼けたばかりの牛肉を戴いて、話は盛り上がる盛り上がる。記念撮影の画像は私一人だけ白いけれど、大人になっても夏は遊ぶためにあるのだと日に焼けた仲間たちが教えてくれた気がした。

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トウモロコシが香ばしく焼きあがった頃、ふと後ろを見ると雨雲が接近している。秋雨前線が山のようなラインを描いて、やがて海の上で「晴れ」と「雨」とが明暗真っ二つに・・。怖いというよりは生まれて初めて見た空模様に感動して、2014年夏の思い出が増えたことを喜んだ。

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さてさて今は東京へ向かう横須賀線の中。ノートパソコンでこのブログを書きつつ、テキストエディタの裏では会議に提出する資料の再チェックをしている。残暑は厳しくても生活の季節は秋に入った。仕事でも遊びでも自分が生きていた証を沢山作らなくちゃと本腰を入れる今年の後半戦である。

立秋を過ぎて急に涼しくなった。久しぶりにホットコーヒーを入れてゆったりとした午後を過ごしている。外を眺めれば盛夏の象徴みたいな夾竹桃も花が僅かになり、夏休みの終わりを迎える小学生の頃を思い出す。二学期に提出する宿題はないけれど、解決のつかない人生の宿題はどうしたものか。数々の分岐点での選択に、こんな生き方で良かったのかとちょっとナーバスな気分だ。

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「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)

台風が近づいているせいかお盆休みなのに子どもの声が聞こえず、セミの鳴き声を除いては静かな土曜日。秋の歳時記をめくりながらお気に入りの句を探している。物書きの自虐さ、自分を切ない想いに追い込むのが大好きな性分にとって、秋の歳時記は物侘しい言葉の宝庫である。

「今朝秋や見入る鏡に親の顔」(村上鬼城)

今朝秋、今朝の秋とは立秋の日の朝をいう。さらに一歩踏み込んでの今朝秋は、真夏の夜の夢から醒めて我に返った朝みたいなイメージを持つ。人が歳を重ねるのは誕生日ではなく、若さがひとつ終わったと感じる初秋の一日ではないだろうか。季節は更け、人間は老ける。自然界に生きている当たり前の現象がやっぱり物侘しい。


「頼まれしことに励みて新涼に」(星野立子)

「涼し」が夏の季語なのに対し「新涼」は秋の季語で、初めて涼しとも言う。何もやる気が起きない猛暑が遠ざかると、頼まれごとに手を出す余裕が生まれてくる。昨日の打ち合わせで「困った」「どうしましょう」を連発していた相手を救うべきかどうか。儲けにはならないけれど、まだ自分が人の役に立つことを確かめるべく、一肌脱いでみましょうか。でもその前に・・。

「立秋の夜気好もしく出かけけり」(高浜年尾)

17時を告げるチャイムは「さあ、飲みに行こう!」の音。久々に感じる空腹にソワソワしつつ、今夜は焼酎のお湯割りにしようと決めた。人恋しさが際立ち、ほっとするぬくもりが欲しくなるのも立秋。ピーヒョロロロロと鳴く哀愁のこもったトビの声が夕空に響いている。

独り暮らしにとって「行ってきます」と「ただいま」は必要な言葉なのかと考えることがある。与六というペットはいても、なにせ自由気ままな猫。出かけていく私を2階の窓から見送ってくれる時もあるが、視線は屋根の上で賑やかに騒ぐ野鳥たちに向けられており、さもなければ涼しい場所で寝そべって夜の運動会のために力を蓄えている。

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外出先から戻った時は玄関で「ただいま〜」を連発すると、面倒臭そうにノソノソと歩いてきてマットの上に仰向けになり、頭を撫でるとニッと笑う。しかしこのお出迎えの確率は5割程度で、どこに居るのか探しに行けばベッドの上で爆睡していることが多い。食っちゃ寝ばかりで丸々と肥った古女房みたいだ。

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それでも毎回「行ってきます」と「ただいま」を口にするのは、家族と暮らしていた頃からの習慣なのか、祖父母と両親がいた実家を思い出しては切なくなる。塾から戻った夏休みの夕方、柘植(つげ)の生垣にホースで水撒きをしている父や、キッチンで祖母と一緒に夕食の支度を始めた母からの「おかえり」。麦茶を飲む私に「暑かっただろう」とリビングの扇風機を「強」にして向けてくれる祖父。思春期の娘にとって家庭の声と音は時に煩わしくもあったが、いずれ成人したとき思いやりを持った人間になるためのレッスンだったと思う。

躾という愛育の恩に気付いた時には恩返しをする人はもういなくて、教えられた習慣だけが後に残る。それは心あたたかく、慎ましく美しく暮らすこと。たとえ一人住まいであろうと「行ってきます」「ただいま」「おはよう」「おやすみなさい」を言うのは、雨露から身を守ってくれる家に対しての礼儀と愛情。台風のときに強風を防いでくれる窓ガラス1枚だって私の家族であり、ピカピカに磨いて「ありがとう」を言ってあげなくちゃいけないのだ。

いつも割烹着のポケットに雑巾を入れ、棚の隅々まで埃一つないよう磨いていた祖母は「モノには心がある」と言っていた。トイレの1輪挿しに可憐な花を欠かさないのは人間のためでなく、排泄という行為を快く受け入れてくれるトイレに対しての「ありがとう」だったのだろう。

忙しさが一段落した8月。書斎に積もった資料の山を片付け、お盆休みは意を決して大掃除に取り掛かろう。引っ越して来た頃を彷彿とさせるように家を磨いて「きれいになったね」と声をかけてあげたい。

この夏は冷房を使わない記録を更新している。5歳になった与六は仔猫だった頃と比べ、網戸を手で開けたり引っ掻いたりしなくなったので、全開にした窓を通じて部屋に涼しい風が吹くようになった。

朝から晩までパソコンに向かい続ける毎日は相変わらずだが、体感温度は去年よりもはるかに楽。椅子に座りすぎの腰痛を心配してくれるのか、日暮れ前には与六がニャンと呼びに来て、尻尾を振りつつベランダへ出ようよと誘導する。「ちょっとだけね」とお付き合いして見上げた空は・・・、言葉にならないほどダイナミックで美しい。

ジェット機が描いた飛行機雲が南から北の空へと渡り、白いラインがだんだんと太くなっていく。カメラアングルに試行錯誤しているうちに、今度はミニジェットらしい機体が現れて細めな飛行機雲を引っ張っていく。その周りの雲たちも刷毛でシュシュッとなぞったようなふんわり加減で、一足先に秋が来たみたいだ。

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現役の夏を探して海の方角を見れば3本並んだ椰子。一緒に背伸びのストレッチをして、潮の香りがする南風を胸いっぱい吸い込めるのはリゾートマンションに暮らしている特権だろう。最近は車で遠出することもなくなり、旅行と言えばボランティア団体で被災地を訪ねるだけで、すっかり出不精になってしまった。本当は仕事で都内に出向くのも面倒だけど、元気で過ごしていることを時々アピールしないと、「どこか悪いの?大丈夫?」なんていう安否確認メールが入ってしまう。

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とても元気です、ありがとう。
今日の原稿は上がりました、ありがとう。
これから夕食の支度です、ありがとう。
明日も良い天気、ありがとう。

天にも昇る幸福は巡ってこなくても、ありがとうをいっぱい言えるのは、小さな幸福が継続しているってことだ。小さな家族である与六のおかげで、寂しいという言葉を忘れてしまったこの頃。さてさて茹であがった枝豆をつまみながら、プロ野球でも観ることにしましょうか。楊柳のステテコ姿で涼しそうに寛いでいた祖父を思い出して、風が通る家にありがとうの逗子ライフである。

自分をさておき、人を美醜で判断してはいけない。しかしどう贔屓目に見てもルックスが宜しくない方が性格までも醜悪と判断されたとき、「一円玉ブス!」(これ以上崩せない)もしくは「猿人ブス!」(原人に進化する前のケモノ)と心の中で怒鳴ってしまう至らないワタシ。街角で電車で居酒屋で、その種に出会ってしまったときは目が離せなくなり、お嬢様学校に勤務する修身教師になってイラついてしまうのである。ああ、最も性格が悪いのは私だ。

友人に招かれて出かけたビーチパーティー。午後1時過ぎに到着するとBBQの第一戦は終わり、主催者たちは補給の買い物に出かけた様子である。この日のために取り寄せておいた赤ワイン2本をクーラーボックスに入れて周囲を観察していたところ、最も危ないと思えるベロベロに酔った見知らぬ女子が近寄ってきた。「酒くれ!」とクーラーボックスを開け、私がつい先ほど入れたばかりのワインボトルを開けようとするのである。

「ごめんなさい、これは主催者にお見せしてからね」と声をかけると、「2本あるのにいいじゃん!」と怒鳴られ、「しゃーないから自分が持ってきたのを飲むよ」と、スクリューキャップの白ワインを抱えて退散。あぐらをかいてマイボトルを飲みほした後、飲みかけの缶ビールを持ったまま爆睡している。ごめんなさいっ、その姿、教科書に載っていた北京原人を想像してしまった。

でもどこか懐かしいのはなぜ。70年代の学生フォークみたいなファッション。一重瞼にヘアスタイルは「おすべらかし」(平安時代のストレートヘア)。くるんとした丸い鼻から鼻提灯が出ているのは笑えるが、よく見るとメイクもせずに透き通った綺麗な肌をしている。黙ってれば無垢なカワイイ寝顔じゃないですか。日本人の原点じゃないですか。

もうちょっと痩せて明石家さんま的パーツを矯正して、ファッション上手になって、「オレ」じゃなく「ワタシ」と綺麗な言葉を話したら、頭のいい貴女がこれまで一生懸命勉強して身に着けたスキルも、小保方マジックみたいに100倍の注目度を得られるんだよ。STAP細胞の真偽はともかく、才色兼備で初心なタイプこそ文明人のアイドルになれるのである。

全員が注視するなか熱中症寸前で目覚め、それまで周りが水分補給をしたり足に水をかけたりとケアしてたことを一切知らない彼女は、「ビールだ!」とクーラーボックスに突進した。再開したBBQの焼き物を頬張って元気復活。自分の理想に合わない男たちを卑下しつつ、これから婚活を頑張ってスーパーエリートをゲットするぞと、お父さんの年齢に近い男性に豪語し始めたのは面白すぎた。

そうだね、頑張れがんばれ!その強気は恋愛ドラマのように男を制すかもしれない。また何かの縁で再会したときにはオレサマ的な「悪デレ」言葉を止めて、素のままのカワイイ貴女を見せてくれたら、隣にはきっと理想の彼氏がシャンパングラスを差し出して待っているだろう。キーンと冷えた泡のボトル栓を抜いてくれたとき、「ごちになりっす」じゃなく「いただきます」と言うんだよ。この夏のハッピーエンドを楽しみにしながら、逗子の恋愛ステージ本番が始まった。

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今日の都心は34度を超える猛暑だったという。しかし海と山が近い逗子で暮らしている私はまだ冷房も扇風機も使わず、窓を開けて風を入れるだけで過ごしている。体感温度は28℃ぐらい。湿度が高いので汗をかく不快さはあっても、機械によって強制的に冷やされる肌の違和感よりは数倍も楽である。顔をジャブジャブと洗った後は、自然の油が出てくるので化粧水すら要らない。

仕事で都内に行くときは必ず長袖を着用。なぜなら横須賀線は腕を摩りたくなるほど冷房が効き過ぎているからだ。電車から降りるとクシャミと鼻水が止まらないのは寒暖差アレルギーの症状だろうか、ポケットティッシュの減り具合は冬と変わらない。生き返ったと思えるのは太陽ジリジリの自然環境下にあるときで、片手にハンカチ、片手にペットボトルを持って汗だくで歩いている方が、電車の強制的な冷房で震えているよりホッとする。

体感温度は感性から影響を受けているとの自己的考察。
例えば、昼間にモアーッとした駅のベンチで電車を待っているとき。隣のご婦人が使う扇子からお裾分けの風を受けた心地よさは何だろう。田舎のおばあちゃんを訪ねた子どもの頃、水色の蚊帳を張った寝床で、私が寝付くまで団扇で仰いでくれた涼しさと共通している。人の手を介した優しい風だ。

例えば、夏の遊園地で肝試しに入ったお化け屋敷。暗い・かび臭いといった不満はあっても、暑くて耐えられなかったと怒るだろうか。もちろん冷房は入っているだろうけど、恐怖に打ち勝つ方向に集中していれば汗腺も引き締まる。外に出て「大したことなかったじゃない〜!」と勝ち誇った瞬間にドッと汗が噴き出てくるのだ。

てなわけで「心頭を滅却すれば火もまた涼し」となるか、これから本番を迎える今年の夏。
梅雨明け宣言と共に花火大会が始まり、昨日は鎌倉、今日は葉山。どちらのビーチにも近い我が家では窓ガラスが震えるほどのドカーン!という打上げ音がとどろき渡り、ビビった与六はベッドの下に逃げ込んでいる。「大丈夫よ」と引っ張り出して抱っこすれば、ガタガタと震えて悲しい声で鳴き、スルッとと私の腕を抜けるとまたベッドの下へ。これは体感温度的にかなり寒い思いをしているに違いないと、約40分で終わる花火大会の間、耳をピクピクしている与六を励まし続けた。ジェット機の爆音は平気なのに、花火は腰が抜けるほどの恐怖らしい。

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さてさてフライデーナイトの明晩は、仕事関係で六本木に行かなくてはならない。コンクリートジャングルが焼け付く都心の熱気は恐ろしいが、それよりも家に心残りが・・・。ドッカーン!の音に震え上がる与六が恐怖で凍死しないよう、どうか明日は3夜連続の花火大会がありませんように。

私の心臓には毛の生える土壌がない。勇気を振り絞って自分を売り込もうとしても相手が無反応だったとき、「あっ、今のは何でもないんです。ところで・・」と、話を摩り替えるビビり具合は、絶対に営業には向いていないことを自覚する。しかしその控えめさが功を得ることを何度も体験してきた。逗子の漁港町に住む田舎者が、日本の先進業界でトップに君臨する方々から興味を持って戴くという有り得ない恩恵に預かってきたのである。

例えばその1。投資プロジェクトを売り込みたい元彼から「俺のマネージャーをやってくれ」と頼まれ、著名企業のトップたちに接見して回っていたころ。会議後の宴席で酔っ払い活気付いて逗子をアピールした結果、「行ってみたいな。案内してくれるか?」と地魚グルメツアーの企画を仰せつかる。電車の切符の買い方すら分からないお偉方をたった3坪の立ち飲み屋にご案内したら大喜びされ、その後もツアーを重ねているうちに元彼は失職し、企業トップとは「ちゃん」で呼び合う慣れ具合になってしまった。それでも営業する度胸はないのでずっと飲み友達のままだが、困った時には必ず助けてくれるとの言葉を戴いている。社長も漁師もフリーターも公平に集う場所からスタートしたのだから、目線は同じ高さだ。

例えばその2。私は世界に120万人の会員を持つボランティア団体の会員に属している。マイクロソフトのビル・ゲイツは組織が掲げるポリオ撲滅運動に賛同し、毎年3億5千万ドルもの寄付を続けているほど大きな団体だ。その末端の1クラブに入会するとき先輩から言われたことは「3年を過ぎるまで営業活動をしてはいけない」「自我を捨て奉仕しなさい」だった。奉仕って何?と、意味など分かりようもない自分。例会場のホテルはクリスマスシーズンにはカップルが長蛇の列を作る有名スポットにあり、時には三ツ星レストランでの食事会になったりする。私なんて、私なんて・・「花子とアン」の女学校状態である。

そして今は入会してから8年目。WEB制作というデジタル系職業に基づき奉仕したことで会長賞を戴き、その上を行く東京都の下半分95クラブ・会員数5,000人をまとめる地区でIT関連の権限を任せて戴いている。来年にはこの上ない役職を戴くにあたりビビって辞退したところ、「貴女じゃなきゃ駄目なんです」とのお言葉を戴き、どう返答したら良いものか頭上にはハテナマークの雲が浮かんでいる状況だ。

例えばその3。付き合いのある企業がWEBサイトを作ろうとして、半世紀に渡り信頼のある取引先に依頼したところ、3,000万円もの費用を要求されたのである。検証のために何度も呼ばれた会議で不正当さを追求した結果、支払う金額はたった100万円になった。大手企業と名刺交換のとき鼻で笑われた末が、象とアリとの対決でこちらの勝利。私はちっぽけな会社経営者であり、本質はデジタルの1か0かを打ち込む技術者であり、おしゃれに振る舞えない逗子の田舎者。打ち合わせにはスーツで行かず、コットンのシャツとサンダルで参加する。クローゼットにはエルメスもグッチもマックスマーラも吊下がっているけれど、それを着ていくのが田舎者であり、私が目指すものではないと思っていた。ビシッと高いスーツで決めた大企業に対し、「ボロを着てても心は錦」をトライした好結果である。

3連休の最後、明日は友人たちから葉山のビーチでのBBQに呼ばれている。みんな何を着てくるのかなと思いつつ、どれだけ格好いい田舎者になれるかが勝負。仕事ダイエットで痩せて良かったとウエストが楽になったパンツを履いて、ラメのペディキュアをして、明日の晴天を楽しみにしている。集まる仲間たちの自然体なライフスタイルは、ビル・ゲイツに勝るとも劣らないと、逗子の田舎者を代表して宣言するとしよう。

パジャマに着替えた深夜、何気にNHK BSを見ていたら、楽器を抱えた白髪頭のおじさんたちがステージに登場した。昭和の時代、グループサウンズブームの頂点にいたザ・タイガース。昨年の12月に東京ドームで行われた再結成コンサートの録画放送である。

1967年にデビューして44年ぶりのオリジナルメンバー。加橋かつみさんは都内の某喫茶店でよく拝見したので雰囲気に違和感はないが、白いあごひげを伸ばした沢田研二さんをはじめとする皆の変貌ぶりに驚いた。青春が蘇るというよりはタイムラグがありすぎて、本当にこの人たちがタイガースなのかと、帰還後の浦島太郎を見た気分なのだ。

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しかし実力は衰えていない。2曲目の「サティスファクション」で注目したのが岸部一徳さん。オールマイティな演技を見せる名俳優のイメージしかなく、まさかベーシストとして現役であるとは思わなかった。ドラマーの瞳みのるさんも最年長にして最も若々しくハイテンションで、自分の持ち場ではステージを隅々まで走って客席を盛り上げる。一緒に拳を振り上げる客席のファンたちもどれだけ元気なことか、これこそ日本の中核を成す団塊の世代パワーである。

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タイガースはストーンズのように長期の活動を続けてきたグループに思えたが、1967年に「僕のマリー」でデビューしてから1971年の武道館コンサートで解散するまで、たったの4年間。経験を積んで大人になった今でこそ1年はあっという間に過ぎてしまうが、当時の彼らにとっては毎日を燃焼して生きた長い長い4年間だったと思える。

栄光の時代を噛みしめるがごとく「イエスタデイ」を歌った岸部シローさんは車椅子で登場。自己破産のあとに脳内出血で倒れ、奥さんも亡くし、闘病生活を続けながら今は老人ホーム暮らしというが、後遺症のせいで動きづらい唇からこぼれてくる歌声は音程が正確で、歌詞もしっかりと覚えている。取り囲んで励ましながら楽器を弾きコーラスをするメンバーたちには、久しぶりにライトを浴びた弟に対して感無量な一曲だったであろう。

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びっしり埋まった客席を見ていると、自分も小娘だった時代が蘇る。追っかけをしていたのはアメリカのロックバンド「シカゴ」で、来日公演のチケットを買うために初めて一人で東京へ行った。2月に武道館で行われたコンサートには、表参道のミルクで買ってもらったブラウスをコートもなしに着て行き、憧れのロバート・ラムに見てもらえるかと通路に出て踊ったものだ。穴を掘って埋めたいほど恥ずかしい思い出だけど、歳をとって認知症になったとしても覚えているに違いない。

「流行歌」という言葉は時代遅れ。好きなアーティスト、好きな歌はいつまでも現役で心の中に生きている。

今日は朝から緊急事態。会社に遅刻の電話を入れて、僕は慎重に車を走らせている。後部座席には青ざめた表情の君と、膝の上には苦しそうな息遣いのアキタ。動物病院まであと少しだから頑張ってくれよ。そう、アキタってのは君の大事なペットの秋田犬だ。

君がアキタを飼い始めたのは三年前。たまたま入ったペットショップで、亡くなったご主人と誕生日が一緒の子犬を見つけて衝動買いしたんだ。七夕生まれのご主人とは同じ営業部の職場結婚で、僕にとっては頼もしい兄貴のような先輩だった。ところが二年前に出先で突然倒れ、心筋梗塞で急逝。心の準備もないまま一人ぼっちになった君を、僕たち同じ部の仲間が励まして見守ってきたけれど、悲しみはそう簡単に癒えるもんじゃない。定期的に家を訪ねる仲間は一人減り二人減りして、今では僕一人になってしまった。

キッチンの戸棚が壊れたとか、家具を移動したいとか、男手が必要になると呼ばれるのが僕。いつの間にやら勝手知ったる他人の家となり、冷蔵庫から自由に缶ビールを取り出して飲むほどになっていた。誰にも打ち明けていない本心を言えば、君のことを好きになったのは先輩よりも先だったのに、恋の営業センスは奥手。大っぴらに交際宣言した二人から「早く彼女を作って四人で遊ぼうよ」なんて言われながら、生返事を返すだけだった。でも先輩が亡くなったからチャンス到来なんてこれっぽっちも思っていない。本当に君が好きだから、君が好きになった人も大切にしたいから、縁の下の力持ちで一生いて構わないと思っていたんだ。それがアキタの登場であえなく退場となったんだけどね。

秋田犬は忠犬ハチ公で有名になったくらい飼い主に忠実な犬だ。室内で飼われているアキタは番犬として揺るぎない忠誠心を発揮した。僕が部屋に入るとウーッとうなり声をあげ、君に少しでも近づこうものならワワワワン!と飛びかかってくる。仔犬の頃ならかわすこともできたけど、成犬になってからは太刀打ちできず、訪ねるときにはリードを付けて貰うこととなった。「こらっ、アキタ!」を繰り返す君に申し訳なくて足が遠のくようになり、更にもう一つの理由があってこの半年ばかりは訪ねていない。それはカレンダーを見ながら君がぽつりと呟いた一言。
「七夕の夜は奇跡が起きるかなあと思っているの。一晩だけアキタがあの人の姿になるかもしれないって」
ああ、犬以下の自分。君の心に僕の居場所はないんだと落ち込んだ。

そして今朝の電話、久しぶりに聞いた君の声は半泣きで震えている。アキタが嘔吐して痙攣を起こし、呼吸困難になったと言うのだ。すぐに車で駆けつけ、毛布でくるんで動物病院まで運ぶ。君の大切な宝物を二度も失くすなんて、そんなことは絶対にあってはいけない。診察室に入った君たちを待ちながら、窓から見える曇り空に向かって先輩に助けを求めた。

やがて数日経って七夕の夜。君の手料理を前に、僕とライバルは仲良くテーブルに並んでいる。メニューは特製ハンバーグ。僕には赤ワインたっぷりのソース、病院で食中毒と診断されたアキタには玉ねぎ抜きで「召し上がれ」。恩義を感じたのか僕を威嚇しなくなったアキタが、さて今晩先輩の姿に変身するか否か、一緒に見届ける役目を仰せ付かった。でもそれって朝まで一緒にいていいってこと?どこで?

ドキドキしてる僕の表情に「もう酔っちゃったの?」と笑う君は、未だ手の届かない織姫だけど、いつかは家族になれる日がきっとくると思うことにしよう。未来絵図を思い描いている小心者の膝に、大あくびしたアキタがドカッと頭を載せた。

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毎年7月7日に書いている小さなラブストーリー。今回で8回目です。
主人公にライバルを登場させて、未来発展形の物語にしてみました。今日の逗子は曇り空ですが、皆さんの空は織姫と彦星のデートが見られそうですか。キラキラした恋が沢山生まれますように。

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