文章で稼ぐ贅沢

作詞からプログラミングまで、文字を並べて生きる物書きのひとりごと @ 逗子

部屋に閉じこもって、朝な夕なパソコンに向かい続けてきた私に青天の霹靂。先月から外見を必要とする仕事が加わった。

容貌に関して生活管理を徹底せねばならず、太っちゃダメ、日に焼けたらダメ、髪型を変えたらダメのエトセトラ。やめていたアルコールは週1〜2回、外出したときだけ飲み始めたものの、むくみは禁物なのでまた節制している。自宅ではビール1滴さえ飲まないし、羽目を外しすぎた翌日は断食。つまらなすぎて、「楽すればいいじゃないの」「やめちゃえば?」と囁く悪魔の声に付きまとわれる。

こんな折に役に立ったのは、先日から読み始めた『新しい自分に生まれ変わる 「やめる」習慣』(著:古川武士)だ。欲望は理性より強く、悪い習慣を断ち切るためには欲望との戦いに勝利する必要があるとして、方法論が書かれている。
「悪い習慣を断ち切るぞと決意しているときは、理性がハンドルを握っていて、欲望は助手席で大人しくしている状態です。しかし空腹が襲ってきたり、ストレスがかかる仕事をしているときは、この欲望が暴れ始めます。そして、理性を運転席から引きずり下ろして、自分がハンドルを握ろうとします」という比喩は的を得ている。

食べ過ぎ・飲み過ぎといった身体習慣ならまず3週間。とにかくつらい禁欲期を乗り切るためには、孤独になって周りからの誘惑を断ち切る厳しい試練が必要で、それを超えると、どうでもよくなる無気力期が4週間、快適になる安定期が3週間、マンネリ化する倦怠期が最後にやってくるらしい。

私の場合は断酒で8kg痩せたあとに倦怠期が訪れた。甘いものが食べたい誘惑に火がつき、付き合いで飲んで帰宅した後に、コンビニで買ったアイスクリームを食べる悪習がパターン化しそうになったのである。

お酒をやめて痩せたいという目標をモチベーションにしていたのが、願いが叶って達成されると原動力を失い、またリバウンドへと向かう。ここで必要なのは行動を持続させるための次の目標であり、「何のために」という骨太の理由とメリットがなければ腰は上がらないのだ。

心が後戻りしそうになったとき、太ってはいけないという仕事上の理由ができて、それを守れば収入になるメリットが生まれた。運が良かったのか、更なる試練が続くのか、とにもかくにも停滞している暇が無くなったのは確かだと思う。

悪い習慣は心地よくて、「リラックスしたい、人とつながりたい、刺激が欲しい、嫌なことを忘れたい、プレッシャーから解放されたい」といった欲求を満たしてくれるけれど、続けていれば身心の健康を害すし、自己嫌悪に陥って幸福感が低下する。ほどほどの頃合いを保ちながら、うまくセルフコントロールができる方法を探さなくちゃね。

新しく開けた世界がどんな夢を見せてくれるのか、今はとにかくチャレンジするしかない人生の後半戦である。

zushi

今日は私用で横浜へ。バスには乗らず早めに家を出て、逗子駅まで歩いた。約25分の道すがら、植物を見て歩くのが楽しいからだ。

まず出会ったのがデイゴの花。BOOMの『島唄』の歌詞「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐がきた」で有名になった花だが、見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがあるらしい。『島唄』では1945年の沖縄戦で、戦闘機が嵐のようにやってきたと歌われている。

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次に目についたのはケイトウ。ギリシャ語では燃焼(argenta)という学名が付いている。子どものころ遊びに行った新居浜の祖母の家には、四国のギラギラした日差しが降り注ぐ庭に、炎みたいに真っ赤なケイトウが沢山咲いていた。他にもダリアとサルビアと、なぜか赤い花ばかりが記憶に残っている。

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日向を避けて川沿いの遊歩道に入ると、緑蔭。覆い被さるように広がった木々の枝が風に揺れると、足下の光と陰も揺れる。民家の窓に下がった葦簾ごしに、赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきた。そうっと通り過ぎて、また次の緑蔭へ。

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夕方になると開き出すのが、オシロイバナ。コロコロした黒い種を潰すと白い粉がこぼれて、和名は「夕化粧」だ。小学校の帰りに道草しては、集めた種でポケットをパンパンにしたものである。口紅にしたらさぞ綺麗だろうと思う赤い花は、ほんのり蜜の匂い。

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花を見つけては写真を撮って感傷に浸り、猫を見つけては頭を撫でて遊び、幾つになっても道草の癖は治らない。今日の用事はキャンセルして、立呑屋にでも寄ろうかな。

大人の道草は赤提灯。やっぱり赤いものに惹かれるんだなと、こっそり独り笑いした。

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立秋とは名ばかりの、うだるような猛暑だ。昨夜は冷房を付けっ放しで寝てしまったので、身体がだるくて節々が痛い。こんな時にはちゃんと汗をかかねばと、意を決して散歩に出たものの、焼けつくような日差しに根をあげた。

日曜日だというのに、人っ子一人いない昼下がり。ジージー、ミーンミーンと降り注ぐような蝉しぐれに反して、子どもの声ひとつ聞こえないのは、揃ってプールにでも行ってるんだろうか。

とりあえず街に出て買い物をしようとバス停に立つと、前の家の洗濯物が目に入った。家族が多いのか、幾つも下がった物干しハンガーの最も手前に、肌色の大きなブラジャーが下がっている。道路側なのに何て大胆な・・・と凝視したけれど、きっとビア樽みたいなお腹をした、陽気なおばあちゃんの下着なのだろうと笑いがこみ上げてきた。

鳥の影が横切ったので空を見上げると、クロスした沢山の電線。ケーブルが全て地中に埋まっている我が家の周りに比べると、昭和の時代にタイムスリップした風景である。

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耳をすませば、どこか他の家からオリンピックの実況中継が聴こえてくる。お父さんが枝豆とビールをお供に、競泳の応援をしているのかな。「金メダル〜!」と絶叫するアナウンサーの熱狂度に、なんだか東京オリンピックがあった昭和39年が懐かしくなり、私も家に引き返すことにした。

「秋立つや 身はならはしの 余所(よそ)の窓」 一茶

小さな家々が軒を連ねた川沿いの道。蚊取り線香の匂い。
ゆっくりと首を振る扇風機を従えて、バレーボール女子の応援をしていた祖父がどこかの窓にいるようで、ちょっと切ない帰り道である。

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